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さざなみ書評『音楽の聴き方』

 胸の鼓動が高まるほど感動した音楽。その感想を誰かに伝えたいけれど、なかなか思いどおりの言葉になってくれない。せっかく下書きしてみたツイートも、語彙力のなさにがっかりしながら削除する。消えた感想といっしょに演奏への感動まで失われた気がして、一人でいたたまれない気分になる。あんなに感動したのに。

 ・・・そんな経験をしたことはあるだろうか? 私は何度もしてきた。しかしそれでも音楽を言葉にしたくて仕方がない。あの演奏を、あの感動を忘れたくないから、自分だけの感想をのこしたい。いろんな角度から私の好きな音楽を語れるようになりたい! 

 そんな等身大で切実な願いをかなえるためにあれこれ試した結果、もっとも役に立った本がある。今回はそれを紹介したい。

書影

 『音楽の聴き方』は、自分の音楽の聴き方を振り返り、自覚的になることで、音楽を語ることばを豊かにするためのガイドブックである。著者は音楽学者の岡田暁生氏。西洋音楽の数々の書籍を執筆する専門家だ。

 そんな著者がなぜ「聴き方」というシンプルな問いをテーマにして、1冊の本を書いたのか。それは、音楽にとって重要な「聴く」という行為が、私たちが自分で思っている以上に不自由なものだからだ。

 不自由さの顕著な例として、現代の音楽鑑賞においては「感動」とか「泣ける」というリアクションが重視されすぎていることや、「音楽を言葉にしてはいけない」というムードがなんとなく漂っていることが、本書では挙げられる。明文化された規律でもないのに、なんとなく共有しているあの感覚。

 音楽の聴き方は全く自由なはずなのに、こうした文化規定から私たちが逃れることは難しく、自分以外の誰かの影響を逃れることもまた不可能だ。それならば、自分はどんな聴き方をしているのか、いちど自覚的になってみよう。そうやって音楽の聴き方を客観的に見直すことで、自由に音楽を聴けるようになろう。自分のことばで音楽を語れるようになろう。それが本書のねらいである。型より入りて型より出よう、ということだ。

 では、本書で提案される音楽の聴き方/書き方とはどんなものか?

 まずはそれを示そう。

1.感性だけで聴く
2.言語をつかって聴く
3.言語として音楽を聴く
4.歴史性の文脈で聴く
5.社会性の文脈で聴く

 驚くべきことに、この5つのステップで音楽を聴き、感想を書けば、それなりの文章になるのだ。ただ、これだけだと抽象的すぎて、どんな心構えで音楽を聴いて、なにをどう言葉にすればいいのか分からない。そこで、「自由に語れる」ようになるための課題曲を用意してみた。

 何回も引っ張ってごめんなさい。でもこんなにイジリやす…特徴的でユニークなレパートリー、紹介せずにはいられないんです。

 この曲について自分らしく語ることを、今回のさざなみ書評のゴールとしたい。ここからは、先述の5つのステップごとに私の感想を書いてみたいと思う。そして最後に5つの感想を全部つなげて、課題曲についてしっかり語ることができているかをチェックする。うまくいっていれば、本書の内容は有用だということになる。ドキドキしながらやってみようと思う。

 皆さまも、動画をみてご自身が感じたことを言葉にしながら読み進めてみてほしい。

1.感性だけで聴く

 音楽は生理的な体験である。鼓膜を愛撫されているだけなのに、気づけば自分という全体が音楽に包まれているかのような錯覚にも陥ってしまう。そんな神秘的な音楽だからこそ、「感動」では済まされない「畏怖」のようなものを感じてしまう。そんな音楽を聴くことの究極の意味は、「自分の感性をよりどころにして、音楽という体験にまつわる温かい記憶を増やしていく」ということに尽きる。

 大まかにまとめると、こんなことが書かれている。自分だけの生身の体験こそが大事だから、音楽を聴く/語るうえでは自分の「感性」こそが最優先なのだ。というわけで、課題曲について、私の感性にしたがい、まずは素直にこう書くとしよう。

「なんやこれ」

 ま、まずはこれでいいんです。このあと膨らませますから!

2.言語をつかって聴く

 心ときめく経験を言葉にしようとするのは、私たちの本能ですらあるだろう。言葉は感動の、記憶の核となってくれる。そう語る著者は、音楽について語るための理想的な語彙とは、「音楽の波長と共振することを可能にするような語彙、人々を共鳴の場へと引き込む誘いの語彙」であるとしている。

 これだけでは抽象的なので、もう一つ例をみてみよう。指揮者がリハーサルで使っている言葉に注目した著者は、それらを4つのタイプに分けている。その4つの詳細については本書で確認していただくことにするが、「形而上学的でないこと、つまり身体的であること」が最重要であるという。

 まとめると、リアルな感覚が伝わってくる、共感してもらえる具体的な言葉を選ぼう、ということだ。以上の方針に従って、表現力に注意しながら「東京ブロンクス」の感想を書いてみよう。

「雄たけびのようなラップが株主への挑発にきこえてスリルがある。」
「ギターのアルペジオがころころ転がる水晶玉みたいでかわいい。」
「2分51秒からの急なシリアス展開とささやき声のラップは、プレクトラム結社の機密情報をコッソリ教えてもらっているようなイリーガルな響きがあって、胸がキュッとするほどドラマチックだ。」

 著者に怒られないか心配になってきたが、次いきます。

3.言語として音楽を聴く

 音楽の中には文法がある。建築のように緻密に構築されるのがクラシック音楽。しかしブラジルのサンバには、円環を言祝ぐ独特の文法がある。その音楽にはその音楽ならではの組み立て方や力学、フレージングがあるということだ。

 では、ヒップホップをプレクトラムで奏でている今回の課題曲は、どんな文法で演奏されているだろう? 開始14秒から16秒目にかけての和音のダイナミクスに、それが顕著に表れている。

「開始15秒の和音がかなり強調して演奏されている。和声進行における緊張をかなり極端なかたちで解釈していることから、「クラシック音楽の文法にもとづいてヒップホップを解釈する」という彼らの立場がわかる。」

 あと2ステップ。どんどんいってみましょう。

4.歴史性の文脈で聴く

 その音楽を「どの文脈で」聴くか、それが問題だ。この演奏ではラップと帽子というヒップホップの特徴を取り入れているが、忘れてはいけないのが「サンプリング」。DJが複数の曲をまぜて再生する文化。

 プレクトラム音楽にとじた聴き方をしてしまうと、この重要なポイントを見落としてしまうだろう。「プレクトラム音楽にヒップホップの方法を輸入した」という文脈をふまえて課題曲を聴くと、こんな感想になる。

「ボッタキアーリ、伊福部昭、鈴木静一、丸本大悟の楽曲の構成要素を、ヒップホップの作法で切り刻んで曲中にちりばめている。時代も国籍もちがう作家を同列に扱い、おもしろい。博愛主義とストリート魂が両立している。」

 付け焼き刃の知識でなんとかなりました。次が最後です!

5.社会性の文脈で聴く

 その演奏が、社会においてどう位置づけられるのか。宮廷サロンで演奏されていたモーツァルトの時代や、共同体形成のためのリスキーな音楽としても機能してしまったベートーヴェンの音楽。そんな歴史を経て日本に爆誕したプレクトラム結社のコンサートは……なんと「総会」である! プレクトラム愛好家にむけて、ヒップホップをやる。いや、よくやるわ。その気持ちを素直に熱量をこめて書いてみる。

「予想を裏切り期待を越えようとする、そのエンターテイナースピリッツがすばらしい。これはみんな聞いた方がいいと思う!」

 これで完成。お疲れさまでした!

全部つなげてみるヴィヴァ

 それでは、5つつなげて文章にしてみよう。

「なんやこれ。雄たけびのようなラップが株主への挑発にきこえてスリルあるわ。でもギターのアルペジオがころころ転がる水晶玉みたいでかわいいな。かつ2分51秒からの急なシリアス展開とささやき声のラップは、プレクトラム結社の機密情報をコッソリ教えてもらっているようなイリーガルな響きがあって、胸がキュッとするほどドラマチックやわ。あと思ったんやけど、開始15秒の和音がかなり強調して演奏されているやん? 和声進行における緊張をかなり極端なかたちで解釈していることから、「クラシック音楽の文法にもとづいてヒップホップを解釈する」という彼らの立場がわかるね。でも、ボッタキアーリ、伊福部昭、鈴木静一、丸本大悟の楽曲の構成要素をヒップホップの作法で切り刻んで曲中にちりばめているのか。時代も国籍もちがう作家を同列に扱っていて、確かにおもろい。博愛主義とストリート魂が両立しとる。しかもこれ、株主総会やろ!? ヘタな事できひん修羅場やん。なのにヒップホップなんか取り入れて、予想を裏切り期待を越えようとする、そのエンターテイナースピリッツがすばらしい。いや恐れ入ったわ。ブラボー!これはみんな聴いた方がいいと思うよ!」

 ・・・意外とサマになったので正直驚いている。

 手順どおりに単文を並べただけでもまとまったアウトプットになった。これは本書の質の高さを物語る結果だと言えるだろう。

 著者のいうように、ちょっと心がけるだけで音楽を語ることの自由度は増すものだ。私がつくってみた感想に満足いかなかった方も、今回のはあくまでテストであるということを了承いただいたうえで、ぜひご自身で読んでみてほしい。そして「東京ブロンクス 結社ver.」のあなたならではの感想をタイムライン上でみることができたなら、広報部専属ライターとしてはとても嬉しい。

 今回はおいしい所だけピックアップしてみたが、本書は通読すると大変読みごたえがあるのでとてもオススメだ。現代の音楽聴取の不自由さがクラシック音楽に由来することをわかりやすく説明したり、「聴き方」について考えるための下準備として、「そもそも音楽って何だ?」という問いへの回答も、様々な書籍から引用したりと、まさに歴史的にも社会的にも掘り下げて音楽について語っている重厚な内容だ。外出がままならず「鑑賞」の比率が高まっているご時世だからこそ、いちど立ち止まって音楽と自分の距離感を見直すのにうってつけの本書を手にとってみてほしい。

【PR】音楽と言語の関係をみてきましたヴィヴァが、弊社の広報活動においても言葉による情報伝達をなにより重視していますヴィヴァ。その一環として、わたくしカヴィヴァラさんによる公演紹介動画や道案内動画を毎回アップロードしていますヴィヴァ。人類の証=「言語」を用いた妥協なき広報戦略にも命をかけさせながら、プレクトラム業界の発展に尽力していく所存ですヴィヴァ。私が人類かどうかは皆さまの想像にお任せしますヴィヴァ。

 では締めの言葉を、

 大地が震えるほどの壮大なフォルティッシモでご唱和くださいヴィヴァ。

 せ~のヴィヴァ…


 プレクトラ~ムヴィヴァ!!!


(文責:モラトリくん、カヴィヴァラさん)

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