見出し画像

生態園いったりもして

 久しぶりで朝から雲ひとつない。曇りはじめる前までは、心配なほど晴ればかりだったのに。起きぬけの窓に青空ばかり広がっていると、みょうにそわそわしてしまう。それは桜が散りはじめたときの気持ちとも、夜空に花火の音が響いてるときの気持ちとも似ている。
 コーヒーを飲みながら机にむかって小説を読んでも、内容が頭にはいらない。そこに書かれた少年は、おばあさんの名の日のお祝いでいっしょに踊った女の子に恋をして、寝床にはいってもうきうきして眠れないでいた。そのはげしい気持ちがいまの自分にしっくりこなかった。
 祖母が昼前からパーマ屋さんにいってくるからという。それまで近くにある大きな公園をひと周りすることにして、パーカーに赤いボアブルゾン、黒いニット帽に手袋をはめて家をでる。九時半前だった。空気が冷たい。固そうに澄んだ青空に、一直線の住宅街が列になってくっきりと建っている。自転車で走りながら、死んでしまった猫を思い出す。小さいときはいたずらばかりで手を焼いた。大きくなってからも懐っこい性格はそのままで、あぐらをかくと必ず上に乗ってきた。他の猫たちにしつこくしていたけど案外仲良くやっていた。太っていたのが、病気になってから急激に痩せてそのまま死んでしまった。きっとこれはずっと悲しい。だけど冬の青空を、太ももの筋肉が痛くなるまで自転車を漕いでいると少しだけ報われたような気がしてくる。その空の上にあの子がいるとはやっぱり思えないのだけれど。
 公園は博物館や野球場、陸上競技場まで併設されていてとにかく広い。博物館はこのあいだ企画展がおわったばかりでいまは常設展だけだった。横を抜けて公園にはいるとすぐ梅園がある。芝に並んだ梅の木のあいまを、背の低いロープが道をつくっている。鼻で息をしながらゆっくりと歩く。早咲きの赤や白がまばらに咲いている。ごつごつした幹や枝が力むようにうねっていてそれだけで面白い。冷たい草いきれがかすかにして気持ちがいい。キャップを被った女の人が、脇をしめて走っていくのが雪柳の垣根ごしにみえる。今年は配偶者と水戸の偕楽園にいく約束をしている。けれど毎年そんな約束をして、実際いったのは一回だけで、今年もほんとうにいくんだか怪しい。烈公のイメージにそぐわないのんびりしたいいところだった。
 広場のほうに向かう。隅にある遊具で懸垂でもしようかと思いつくけどそんな気分でもない。途中、大きい河津桜がある。つぼみが大きくなりはじめている。こんなに寒くてももう春な気がしてくる。
 生態園にいこうかと思って二股を右に行く。左手には大きい噴水のある西洋庭園があって、その垣根が月桂樹になっている。いつもそこに近づくたびに一枚ちぎりとって鼻を当てて匂う。胸いっぱいにいい香りがする。ローマの人たちはこれを冠にしていたんだと思うと、かぶればどれだけ匂うんだろうと少し憧れる。だけど葉っぱをちぎるとき、ちょっと木に申し訳ない気持ちにもなる。公園の中にはカリンの木もあって、毎年秋になると匂いたくて落ちた実を探すけど見つけたことはない。あれがシャキシャキ食べられたら大好きだったろうにと思う。
 生態園は大きい多目的ホールの向かいにある。はいるとすぐ右手に木造のオリエンテーションハウスがあって、その先は森みたいになっている。小さい道に沿ってそこを散策できる。バードウォッチングをはじめたばかりの頃、配偶者といっしょにオリエンテーションハウスを見て回っていたら、学芸員さんに声をかけられて仲良くなったことがある。野鳥を研究していて、とくに水鳥の生態に詳しい人だった。博物館のバックヤードにもいれてくれた。カワセミや、ヒヨドリや、その他珍しい野鳥のはく製をたくさん見せてもらった。お尻から棒を刺されて、脚にタグを結わえつけられた鳥たちは痛々しい気がした。
 生態園の砂利道には霜がたっている。踏みながら歩く。名前のわからない木が左右どこまでも生い茂っている。土と草の匂い。ヒヨドリとシジュウカラとメジロの声。双眼鏡をもってくればよかったと思いながら、木々のあいだを行き来する野鳥を見る。重なった梢のあいだからくっきりと青空が見えて、シルエットになった葉っぱがちらちらするのが眩しい。道のところどころに小さいイーゼルみたいのが立てられて、「野生の花が芽をだしています。気をつけてお通りください」と書かれたラミネートが貼られている。気持ちがあたたかくなる。
 登山でみかけるような丸太の階段がある。下りになった先に野鳥観察舎がある。コロナになってから閉鎖されていたのが、扉が開いてはいれるようになっている。小さなロッジのようになっていて、中は横長の池に面してガラス張りになっている。アルコール消毒してはいる。以前はスコープが並んでいたのが、コロナ対策で撤去されている。池には鳥の姿がほとんどない。奥の方で、シギのような鳥が水面を歩いている。よくみると、厚そうな氷が張っている。冷たそうな起伏の表面に、生態園の木叢が鈍く照り返している。面白く眺める。シギが飛ぶ。飛んだ姿をみて、それがシギでなくカラスだったとはじめて気がついた。
 生態園をでる頃には十一時前になっていた。急いで帰る。洗面台のほうにいた祖母に声をかけると、パーマ屋さんは予約がたくさんで夕方からになったという。芋を焼いてくれていた。テーブルに座って一緒に食べる。戦争のときはご飯は芋で済ませたという。でもこんなねっとり甘いのはなかったんだろうと思う。お昼用にみっつ、卵を茹でる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?