いき

 二両編成の暖色バイカラーの車両が、田んぼに挟まれた線路を走っていた。気温があがりすぎないように開け放たれた窓からは、涼しくなりはじめた外気がディーゼルの匂いと草いきれを伴って流れ込んでくる。りょうとかおるは褪色した橙色のロングシートに半身で向かい合うように座って、身体にのぼってくる羽蟻をその都度手の甲で払い落としながら、十八時前で日の沈みかけた窓の外を眺めていた。車両後方に見える薄い雲は残照を受けて、明瞭な陰影を刻みながら赤く光っている。
 「箱が笑うって、段ボールが、ってこと?」
 りょうはかおるの耳たぶにあいた穴を見ていた。穴は反対側にあるはずのものを写さなかった。かおるは窓枠に片肘を乗せて外を見つめたまま口角を上げて、
 「んなワケ」
 といった。
 「中に子供用のおもちゃがはいってんの。段ボールのバーコード読んで、開梱して、コンベアに流すときに、すこし揺れるでしょ。そんときに、おもちゃが笑うの――――アメリカの子どもの声で」
 「アメリカの子どもって、なに」
 りょうは笑った。かおるはまず考えるのが先に立つような喋り方をするとりょうは思う。
 「なんか」
 といってかおるは何秒か黙った。
 「隙間風みたいな笑い声」
 りょうの家が火事で焼けたのは一昨年で、庭に積まれてあったタイヤの脇の姫林檎の花が咲きはじめた頃だった。鎌取で一人暮らしをしていたかおると話したときに、それなら一緒に住もうといわれて、いまの場所に一軒家を借りた。かおるは今年いっぱいで浜松に帰る。りょうはそのまま残る。かおるはちょくちょく遊びに来るといった。それがどれくらいの頻度を想定しているのか、りょうには見当がつかなかった。
 列車を降りて駅をまわりこむように線路を渡ると、左手は塀の高い家、右手は刈り入れを終えたばかりの夕闇の田んぼに挟まれた砂利道になる。田んぼと線路の間にはセイタカアワダチソウが密集した帯になって続いている。端に柿の木があった。まばらに色づきはじめた実が葉叢の隙間から見え隠れして、木末の大腿骨一本分ほどのところが夕日に照らされて赤く光っていた。
 「いちじく、だめだったね」
 先を歩いていたかおるが顔半分だけでりょうを振り向いて、顎を突き出すようにしていった。今年の夏前にビバホームの園芸コーナーで買った、家庭用消火器ほどの大きさのいちじくの苗だった。りょうとかおるは会計をしながら、今年中に実がなるだろうかと話したのだった。りょうは、来年にはなるかなといおうと思っていえなかった。かおるは足を止めて身体ごと振り返った。りょうはその視線を避けて左に顔を向けた。ブロック塀の黒ずんだつなぎ目に沿って蜘蛛が歩いていた。
 「もらいにくるから」
 とかおるがいった。りょうはかおるのほうに顔を向けた。
 「その前に、ぜんぶ食べる」
 「それは、なんでだよ」
 かおるは笑った。りょうも笑いながら、笑うような気持ちにはなれなかった。
 晩ご飯は昨日の残りのシチューとあじの開き、白菜のサラダと朝ゆでておいて食べなかったゆでたまごを食べた。シチューには手羽先が入っていた。咥えると、肉は口の中ですぐにはずれる。
 りょうは以前、鳴海さんから亡くなった人の腕を折った話をきいたことがある。「湿った音がするんだよ。密度の低いような音でさ」と鳴海さんはいった。りょうはそれを想像して、冷や汗の出る気持ちがしたのだった。
 食事を終えると、りょうはトイレに入った。便座に座ると、二の腕の中間ほどの位置から上下で白と橙色に壁紙の色がわかれている。りょうはその境目にはめられた金色のアルミニウムに視線をやりながら、腹に力をこめた。
 「りょうちゃん、かき氷どうすんの。あと? さき?」
 かおるの声が扉のすぐ外側から聞こえた。りょうは腹の力を抜いて扉枠の木目に親指の爪を立てて、「あと」と声を張った。かおるがうーぃと返事をしながら部屋に戻っていく足音が聞こえる。りょうはトイレの時間を邪魔されるのが子どもの頃から嫌いだった。かおるに悪い感情は持ちたくなかった。つま先を立てて腹に力を込めながら、かおるが浜松に帰ったあとの生活をりょうは想像した。そうなったあとのかおると自分の気持ちを考えた。木目には短い溝が縦にできていた。そのうちに慣れていくんだろうとりょうは思った。
 その夜、りょうはコロッケの夢をみた。日本ではないどこかの国の小規模なコロッケ工場で働いていた。白い長机を間に挟んで、白衣を着た人の列が続いている。以前、りょうが務めていた健康食品の工場で使っていたものと同じメーカーの白衣だった。りょうにはわからない言葉で各々が会話をして、みんな同じに見える。
 隣の人が、なにか喋りながらコロッケの衣を渡してくる。りょうはその底面に空いた鼻の穴ほどの大きさの隙間からつぶしたじゃがいもを詰め込んでいく。素手の指先が油でぎとぎとする。
 「こんなつくり方なんだったら、お惣菜のコロッケなんか買うんじゃなかった」
 りょうは声に出してみた。反応はなかった。完成したコロッケを銀色のバットに置くと、隣で手を出していた作業員と目が合って、気まずい想いをした。
 「こんなつくり方なら、コロッケなんて買うんじゃなかった」
 つぶやくようにいうと、また黙って、りょうは衣にコロッケを詰めはじめた。

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