BFC4一回戦感想

☆作り込まれた小説は、その作りが書かれたものと有機的に繋がって作品としての強度を担保しているか。いかようにも解釈の出来るような開かれた小説は、作品から解釈を求める圧が感じられない限り感じたままを。

☆(最初に言い訳)今回、自分で感想を書いてみて、他の人の評も読んでみてわかったことは、自分には圧倒的にかけている視点があるということでした。作品があって、それを受け取った自分以外の誰かがどう思うかという視点であって、改めて振り返るとそういうのを自分はほとんど度外視していて、分かりやすく人を傷つけるものは勿論わかるけど、そうでなくて、小説が本来的に持つ暴力性に対してかなり無自覚だったと気付かされました。
とても忸怩たる思いがあります。
この感想たちは多くがそういう思いを抱く前に書いたものなので、書き直すか加筆することも考えたのですが、自分なりに作品に向き合った結果でもあるし、今後の教訓ということも踏まえてそのまま出します。
以て、ほかの人たちの感想や、ジャッジの方の評と照らし合わせて、よりよい読者になれるように精進いたします。

◎古川桃流さん「ファクトリー・リセット」

・最初に、ありきたりな母息子の日常のシーンから始まって、そこから、小説が進むにつれて、SF的設定と主人公がホームレスであるということが明かされる(描写の中でわからせる)、そしてその後冒頭の部分に接続するという構成。
上記一連の流れによって、読んでいくうちに読者は油断ならない気持ちにさせられるような印象でした。そしてどこへ連れていかれるかわからない不穏さ。最後に結末に終着したときには、SF的青春小説としての悲哀と爽やかさが入り交じる読後感を覚えました。その読後感と小説装置の齟齬が秀逸であると感じます。

◎日比野心労さん「小僧の死神」

・少年が走り抜けるのは、ありきたりなイメージとクリシェに満たされた日常であって、その背後から追ってくるのは「非日常」であり、決してその非日常の実態は描かれない。
走るうち、少年はアキレスと亀の逸話を思い出し、それと同時に日常は奇妙な遠近感で引き伸ばされて、非日常へ続く回廊への扉が開く。
最後は日常のクリシェの中にもう一度戻ってきて、その余韻だけ残る。
狐に摘まれたような読後感の小説でした。

◎藤崎ほつまさん「柱のきず」

・イメージを重ね合わせて拡散するように書かれている印象でした。言葉の隅々まで理性が行き渡って、緊密に空気を作っている。
そうしてそのイメージが、ところどころで外界に接続されて、それが手触りを作り上げているのではないかと感じました。圧倒的手触り。
最後の一文で唐突にでてきた私とは誰だろう、と少し考えて、それは解釈の余地のあることかもしれないけど、この小説における圧倒的な実感を伴う重さの前では、それも些末なことのように思えました。
とてもよかったです。

◎草野理恵子さん「ミジンコをミンジコといい探すM」

・言葉と言葉、文と文の間に奇妙な断絶があって、安易な解釈やイメージを受けつけない言葉の連なりは、それ故に圧倒的な手触りを持つのではないかと思います。
ロシアフォルマリズムにおいて、文学の本来の目的は物事を異化すること、つまり日常的に見過ごされるモノに手触りを取り戻すことだというのをきいて、それはリーダビリティを落とすことによって実現されるとたしか書いてあったように記憶していて、それに納得した記憶があるのですが、それが現代の文学においてどれ程当てはまるかは正直わかりません。だけど少なくともあらゆるテクストの持つひとつの力であることには変わりなくって、その意味で草野さんの作品は圧倒的に強い。そういう印象を受けました。

◎池谷和浩さん「現着」

・一文目からSFの不穏な設定(無政府、安全地帯)に個人的な感情が素朴な語りで(無性に嬉しくなってしまうのだった)ぶらさがり、その対比が不可分に結びついて作品を形作っているように思いました。
小説としての強度が非常に高い印象です。
終盤ににもうひとつの設定が明らかにされて、最後の一文に繋がる流れはSFの小説の作り方としては見事な印象を受けました。(しかし実はあまりSF小説は読まないのですが……)

◎野本泰地さん「タートル・トーク」

・設定の作り方が非常に丁寧でした。仲が特別いいわけでもないけど、結婚式には出席する程度の間柄というのは微妙なようで、実は現実はそんなどっちつかずの関係がほとんどじゃないだろうかと考えます。そこをうまく捉えている印象。
その上で、ヨシノの亀の話、振られたこと、夢の話が、恐らくヨシノの中でも説明のつかないままごちゃ混ぜになって、よくわからないまま不機嫌になってしまう。そうして、そんなよくわからない不機嫌にまた現実は満たされているような気がするのです。
「私」はそのよくわからないごちゃ混ぜを詳しく聞こうとするが、詳しく話すようなことは実はない。
手触りが非常にある小説のように感じました。

※Bグループ

◎タケゾーさん「メアリー・ベル団」

・ヤングケアラー

・最初にメアリーベルの話をして、その次にヤングケアラーであることが明かされる。その2つからは、必然的に悲壮で血なまぐさい事件が連想されて、読み手は目が離せなくなるような構成でした。
そうして、移動教室がなくなった夜、主人公はひとり妹の面倒をみる。
構成が鮮やかで、なにか起こらずにはおかない設定を自然と作りあげる手腕がとても見事だと思います。
結末に向かってやや駆け足になるもだからといっておざなりにはならず、丁寧にその後の人生を辿りつつ、最後に主人公はある種の憧憬と共にメアリー・ベル団との邂逅を振り返る。
そこにあるのは終盤までの不穏な空気ではなく、どこかしら突き抜けた爽やかな後読感。そんな風に読みました。

◎佐古瑞樹さん「或る男の一日」

・男は日常を生きながら、少しだけ悪意を撒き散らす。しかしその悪意は匿名性に担保されつつ、インターネットという広大な情報を通して実体がなくなってしまう。
そうして友人とのやりとりも、出会いを求めるための手段も(恐らくは性欲解消のためだけの)インターネットを介して限りなく希釈され、後に残るのは背中に走る痛みだけである。そういう風に読みました。
他者に敬意を払わない、好感の持てないような男の日常を淡々と描出していくその文章の行間から、しかし孤独な気配がひしひしと立ち上ってきて読み終わったあとは反感よりもむしろ寂しさが残りました。

◎ 見坂卓郎さん「滝沢」

・純粋に笑いました。よくある詐欺メールあるあるでまずニヤニヤさせられて、その後タッキーの母の一言で虚を突かれる。そこから展開は二転三転して、気がつけばその展開はメールを受け取った「読み手」をも巻き込んでいく。
メールというのはやり取りが出来るものの、対面しての会話よりも瞬発性がないためむしろ一方的でさえあるように思います。
その構造を活かして読み手に直接手を伸ばしてくる小説なんではないかと考えました。

◎ 雨田はなさん「踏みしだく」

・書かれたもの同士が繋がるようで繋がらない。ただ厚く重なり合っていって、小説に深い奥行きを与えている。そういう印象で読みました。
「新人賞に応募される小説は、かなりの確率で幼少期の傷について書かれる。しかし人間はそんなに一面的じゃない」という論旨のツイートだかを見かけた記憶があるけれど、自分はそれだって一面的なものの見方じゃないだろうかと思ったのです。幼少期に感じたこと、受けた傷、与えた傷なんかは、きっと一生ついてまわるものだと思うし、だけどそれは大人になっていく過程で歪んだり逆に真っ直ぐになったりしがら変質する。
この小説で書かれる主人公にとっての幼少期の傷は、決して一面的にならずに、変質しながら自身の一部となっている。そしてそれは美奈によってあっけらかんと指摘されるものでもある。
奇妙な書き出しから最後の一文に至るまでその微妙な意識をしっかりと捕まえていて、だからこの小説は読み手の一部にもなり得るものなんじゃないかと、そんなふうに思いました。

◎ 宮月中さん「十円」

・新しく宗教の生み出される過程を描いた作品だと読みました。その起点を夏休みの自由研究、純粋な好奇心においた構成は鮮やかで、それ故にその捻れの過程が大きな展開を産んでいるように感じました。そうしてそれを六枚におさめるやり方にはお見事以外の言葉が見つかりません。
母親の視点から書かれることによって、具体的な宗教の成立過程をブラックボックスにしつつ、それでも娘を想う気持ちが最後の一文に繋がっていくのだと思うと、どこか薄ら寒いような気持ちになって、それが飄々と語られるだけにより一層強く胸に来るのではと感じました。

◎鈴木林さん「軽作業」

・六枚でイメージを重ね合わせて分厚くできる凄さ(これに限らず)。
ぎょう、から始まる言葉がそのときそのときの状況から不思議に乖離して、ある種の詩のようでした。
状況の立ち上げ方、空間、人物の描き方のうまさは完全にプロフェッショナルのそれで小説書いてる身としては泣きたくなります。
全てが的確で過不足なく描きこまれていく中で、「ぎょう」だけがその緊密な世界の調和を乱しつつ不穏に立ち上がってくる。
恐らくこの作品は、ただ「ぎょう」「ぎょう」と呟きながら何事も起こらずに終わるのもまた一興なんではないかという印象でしたが、敢えて終盤に向けて展開していくことで、短編としての構成に綺麗に収まった印象がありました。

※Cグループ

◎中野真さん「三箱三千円」

・主人公は性欲と無力感、それに起因する(そして多分、それ以外のいろいろに起因する)希死念慮を抱きながら、神崎との危うい関係性を縋るように続けていく。
神崎もまた主人公と同じように、もしかしたらそれ以上にいろいろを抱えながら、それでも主人公に対して権力を行使することでしかその関係性を維持していくことができない。
それがわかりやすさに流されず、わからないまま書かれることで、読み手の気持ちに実感として受け取られるように書かれているのじゃないかと感じました。
生々しい、といえば生々しいのですが、多分生々しいという言葉が持つ、対象との隔たりみたいなものはこの作品にはない。という印象を受けました。

◎キム・ユミさん「父との交信」

・読み手に後を読ませる力がある小説で、待ち遠しいLINEかメールを待ってるときの、焦れったいようなわくわくするような気持ちになりながら読みました。
とにかく会話による引きがうまくて、どんどん読んでしまう。パパの口調もおかしみがあってなぜだか主人公の口調は無線で、その掛け合いだけで、多分何気ない会話でも楽しくなります。会話のやり取りをするごとにその両者の口調の飛躍が目立ってきてとても面白い。
また主人公の情感が書かれていないので、最後の空白がなんなのかを想像させられました。花を挿したり、あの口調から察するに肯定的なことを伝えてそうではありますが、でももしかしたらなにか不穏な……と思わされてしまう、そういう底知れなさのある作品のように読みました。

◎奈良原生織さん「校歌」

・空気の作り方がとてもうまい、と感じました。すごくいい。
冒頭の美園先生のセリフと、そのすぐ後の男子生徒の対比、ずっとニコニコして明るいような(しかしそれゆえにどこか恐ろしい)美園先生と、その行動の対比、語り口と絶えず通底する不穏さの対比、全てが微妙な位置にちゃんと踏みとどまって小説全体の空気感を作っている印象で、相当な小説の底力がないと書けないものなのではないかと感じました。
そして最後は美園先生は逮捕されるけど、その後友人の陸上の描写を書くことによって小説が小さく閉じずに開かれて終わっている。
そんなふうに読みました。

◎谷脇栗太さん「神崎川のザキちゃん」

・正直ちょっとわかりませんでした……。
多分これは出来事をひとつひとつそのまま受け取るよりは、その裏にある一連の流れを謎解きのように繋げていく小説なのではないかという印象で、そして自分はそういう読み方があまりできないのです。
そのまま受け取ろうとしても、「真相を解きあかしておくれ!」という小説の声が聞こえてきてしまって、何度読み返してみてもわかりませんでした。無念です……。

◎匿名希望さん「鉱夫とカナリア」

・スマートフォンに個性を担保された生徒たち(色んな「人種」の)が、それを喪失して暗い坑道へとはいっていく。
小説にでてくるトンネルや穴って、不思議の国のアリスを筆頭に異世界への入り口なことが多い印象なのですが、この小説もその不思議な感覚を巧みに利用して、それでいて、動物たちが過酷に扱われる現場を第三者視点、当事者視点から描いて、それをより大きく俯瞰した視点からも描けているのは、広く視野を持っていないと書けない小説だなと感じました。
小説での陰影の使い方がとてもうまくて印象的でした。

◎わに万崎さん「坊や」

・魔女、という言葉の印象と、どこにでもいそうな優しそうなおばあさんの印象が冒頭で対比されて、小説全体を貫く優しさのような感情が暗示されているように読みました。
ファンタジーなのですがどこか地に足のついたような現実感があって、それは丁寧な描写によって為されているのではないかという印象です。
小説を書く想像力というのはどこかそういう地に足の着いたものが要求されるのではないかと感じていて、この小説は豊かな想像力で独自の世界を作りながらも、そこにしっかりと踏みとどまっている印象を受けました。

※Dグループ

◎たそかれをさん「日記」

・別に突き放した語りというわけではないのに、どこかそっけないような印象を受ける小説で、それは日常の中に食い込んでくる架空の地名とか、領収書マニア的な突拍子もない設定(調べたけどそんなに紙を愛好する界隈が見当たらなかったのですが、本当にそういう界隈があったらすみません)が、するするいなされるように差しはさまれるからなんじゃないかと感じました。
とのバランス感覚がとってもよくって、その奇妙なねじれみたいなものに、もっと長い分量で翻弄されてみたいような気持になりました。

◎冬乃くじさん「サトゥルヌスの子ら」

・これは親子の話であって、姉妹の話であって、でもなんだか家族の話ではない、という印象を受けました。
流れるような小説の構成で、冒頭で具体的な情報量の多い場面を書いて、それを前提にして本筋に入っていくようにしているから読み手としてはとても素直に物語の流れに乗っていける。六枚でやることには多分色々な制約とかそれに伴う限界が付きまとうものですが、そこをものともしていないような印象がありました。(しかし実際ものともしていないのではなく、作りこみの上にそういう風に見えるように書かれているだけだとは思いますが)

◎由井堰さん「予定地」

・なんというか、自分は本当に俳句(短歌?)に関しては素人なのですが、ひとつひとつの句の言葉の広がりに心を寄せていると、ふっと胸が熱くなる瞬間があって、ぽかんと寂しくなる瞬間がありました。とてもとてもよかったです。
言葉と言葉、文章と文章の間にある断絶とかねじれが、優しかったり寂しかったりする実感を句に与えていて、うまく言えないんですが、ひとつはとても短いのにとても豊かな広がりがある印象です。そしてなんとも言えない重さが確かにある。それを感じた時に、心が動いてしまうのです。

◎北野勇作さん「終わりについて」

・掴もうとするとするっと抜けて行ってしまうような小説のように感じました。そうやって握った手の中に不思議な実感だけ残るような。
結局最後までこの小説の実態はわからなくて(わかっているのはそこは終わるための舞台で、芝居があって、巨人がいることくらい)、でも端々に現実に繋がってくるような実感が滲むように書かれているから、その掴みどころのない小説に対して全くの他人ではいられない。
この小説ででてくる夜空には星がなくって、普通は北極星とかを目指して歩くところが、星の無い方へと歩くように言われている。それがそのままこの小説なんではないかと、そういう読み方をしました。

◎西山アオさん「王の夢」

・最初に「街でよく見かける得体のわからないちょっと怖い人」という性質を男に付加して、徐々に男の内面を披瀝していく。
キングという呼称が、男の生活や外面的な性質と対比を為して小説に不思議な感触を与えているように思いました。そうして、少女との思い出と、「二十年後、私たちは何をやっているんだろうね」という言葉が小説の後半で読み手に与えるアイロニーと、全部が哀しいような、それでいて綺麗なような読後感に繋がっているように感じました。この小説をそのまま書いても、この読後感はでることはなくて、そこに西山さんの手腕を感じます。

◎津早原晶子さん「死にたみ温泉」

・自殺する人のの最期のひとときが、恐らく自身も自殺によって亡くなったであろう幽霊の視点を通して書かれる。それによって悲劇としてよりも、むしろ喜劇に近い形で描出されるのですが、その言葉も多分的外れで、根底にはその視点にある自殺する方に対する(ひいては人間全般に対する)慈愛みたいなものが流れているように感じました。
書かれるものと書く方法の対比がそれを作り出していて、そこには人が生きること・死ぬことへの肯定があるのではないか、という読み方をしました。
こんな優しい幽霊が、苦しい人の最期の幾日かに寄り添っててくれるならどれだけ報われるだろう(たとえ存在がわからなくっても)と思います。津早原さんの、人の悲しさを肯定しようとする意思が強く感じられる。


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