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しらすの話

1年前の昨日のpm4時頃辺りからだったか、床の繋ぎ目から綺麗に蒸し上げられて周囲の光を内密な形で吸収する釜揚げしらすがまろびでてくるようになった。さながら、自分の感性すら自分で守れない私を譴責するかのごとく、しらすはその小さな身をふるふると震わせていた。それも一斉に。
私がうっかりと踏みつけると、それはまるでうっかり踏みつけられた釜揚げしらすのように音も立てずに潰れ、幕張にあるモンベルで東海道五十三次踏破のために購ったスニーカーの靴底には感触もなかった。私は父のことを思い出した。
成人してから父とは一度も顔を合わせてはいない。私が幼い頃母の顔を色が変わるまで殴っていた父をそれでも私は愛していた。小学校で同級生が苛立たしげな気安さで私に向かって時間の不可逆性をまるでセメントに糞をひりだすかのように喋りたて、私がその鼻汁にまみれたビー玉のようにぬめぬめと光る左目を目がけて拳を繰り出した時、今後の人生で自分が決して権力に対して抗い得ないことを悟ったのであった。だからあの夜父に、サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンドの中でどの曲が好きかと問われた時、私は黄金の雄牛に平伏す大衆に直面したモーセのような荒れ狂う諦観の中で、サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンドだと答えたのではなかったか。セメントに糞をひりだしていたのは他でもない、私自身だったのだ。
しらすは日毎に増えていった。私は最早踏まないようにすることはできなかった。どころか、その感触のない感触を足の裏で感じるたびに、抑えようもなく勃起するまでに至った。円筒状のインク瓶を毀つように私はしらすに足をつき下ろし、すり潰されるしらすには内臓もないぞう。しかし時折現れる蟹にだけは、私はどうしてもそのクリスタルストーンを塗りたくられた薄汚い足を踏み下ろすことができなかったのだ。遂にセメントに積もった糞は地上634メートルにまで達し、群衆はその展望台に苛立たしげに殺到し、そうして見下ろす街並みの群衆はしらすのように小さく、群衆は自分たちもそのしらすだということを忘却の彼方に半ば意識的に置いやるのであった。
昨日、ついに眼前に巨大なオウカンガニが出現し、その直径1メートルはあろうかという口から黄金でできた吐瀉物の匂いのするあぶくを吐き出しながら私に迫ってきた。避けて通ることはできない。しかも後ろには私がひり出した糞でできたジッグラトがカンダタが見上げた天上のように燦然と輝きながら聳え立っているのである。私はオウカンガニの汚らしい口元に向かって蹴りを入れた、まさに東海道五十三次を踏破するためにモンベルで購ったそのスニーカーで。オウカンガニはたじろぎ後ずさる。右膝を極限まで身体に引き付け、左の脚は右にやや捻りながら身体中の筋肉を抜き取って右脚付け根に不格好に貼り付け、そうして満を持して身体全体を思い切り捻りながらオウカンガニに蹴りを入れた。
オウカンガニは死んだ。群衆を足蹴にしてリサイタルを行うジャイヤンのひりだす糞のような匂いを立ててあぶくとなって消え、あとにはただ私と、そうして今まで通りにわくわくと湧き出してくるしらすが残された。しかしもう私にはしらすを踏み潰しながら歩いていくことはできなかった。
というわけで、現在蟹と格闘を終えたまさしくその場所で、総武線快速に乗り換えるために降り立ったここ錦糸町駅で、私は動けずにスマートフォンでこれを書き連ねているのである。死ぬまで私は動かずにここにいるだろう。

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