熱がではじめて四日目の朝はよく晴れていて、ゴミだしのついでに近所をすこし散歩することにした。
 最初の日に病院にいってコロナとインフルエンザの陰性のお墨付きをもらった以外は出歩く気力もなくて、布団にもぐって終日うつらうつらしていたのが、さすがにぼく自身の気持ちによくない影を落としはじめていた。熱はまだ七度七分あったけれど、歩けないことはない。とにかくこんなに長引くのははじめてかもしれなかった。
 もう七時を過ぎているのにまだすこし黄色い日差しが、雲のない青空をいっぱいに満たしていた。車がようやく一台通れるくらいのアスファルトは、赤裸の田んぼと背の高い野草に覆われた荒れ地に挟まれていて、そのぼうぼうに繁る上からはススキが垂れて、日差しに照らされて金色に光っている。そのすぐ奥には単線のローカル鉄道の駅があって、ぼくがちょうど通りかかったときに、汽笛をあげて二両編成の車両がすべりこんできた。いつも出勤するときに乗っているのより二、三本あとのやつだと思う。田んぼにはムクドリがたくさん歩き回って、みんなで忙しそうに嘴を地面に刺している。乾いた木を細かくこすり合わせるような鳴き声がずっとする。鳥の鳴き声なんて、数か月ぶりに聞いたような気がした。適度に冷たい風が耳たぶを撫でながら通りぬけていく。この数日で身体に溜まってしまったよくないものが、熱といっしょにぬけていく感じがした。
 ゴミを捨てて、すぐ隣にいるお地蔵さまになんとなく手を合わせてから、もうすこし道なりにいく。左手には庭の広い家が間隔をあけてぽつぽつ並んでいて、右手の田んぼは刈り取られた稲の根本が茶色く乾いて一面を覆っている。その奥には立ち枯れたセイタカアワダチソウが密生してどこまでもある。褪色した葉っぱが歪な円錐形をしていて、その先っぽに縮れた花がまばらについている。道は朝霧の晴れた中どこまでも果てしなくて、遠くにこの場所を囲むような低い里山が続いている。頭はときどきうずくみたいに痛いけれど、足元は意外にふらつかなくて、けれどしばらく歩いていないから膝の関節がしっくりはまっていないような心許ない感覚がある。
 道はじきにちいさな十字路になって、ささやかな用水路について右に折れた。水面は両側の斜面が重なり合った底にあるからここからはみえない。澄んだ音だけ水の匂いといっしょにのぼってくる。すこしいった先のチャノキの生垣の内側はちいさい梅園みたくなっていて、等間隔に梅の木が植えられている。重なり合った梢は日差しを受けて、細かい陰影をお互いに落としながら白く黒く光っている。その間をシジュウカラが囀りながら飛んでいる。モズもいる。
 ちいさい頃ぼくは東京に住んでいて、一年でいちばんの楽しみは夏に父に連れていかれるキャンプだった。林間のキャンプ場にテントを張って、兄といっしょにあっちこっち走り回りながら、そのキャンプ場の木たち一本一本と友達になれたらいいのになんて、あの頃は本気で考えたりもしたんだった。
 家が近づくと、道の両側は比較的ちいさい田んぼに挟まれる。ネギがあって、大根があって、またネギ。真ん中にはペットボトルでつくられた風車が、きもちのいい音を立てながら勢いよくまわっていた。
 部屋に戻ると、きもちはよくても体がどっと怠くなって、もしかしたら風にあたるのはすこし早かったかもしれないと思った。パジャマに着替えて、ふらふらしながら布団にもぐった。目をつむりながら、窓のすぐ外でムクドリが鳴く声と、欄干を歩くかちゃかちゃいう音をきいた。もしかしたら、今年もまた戸袋に巣をつくりにきてるのかもしれなかった。ムクドリは、青空の色をしたまごを生む。

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