人類史上最悪の発明と、それによって生じる希望(だけではないけれど)

人が人を殺した数と、犬が犬を殺した数、どちらが多いでしょうか。母数に差があるでしょうから、割合で比べた方が適切かもしれません。
全ての人の中で人を殺した人の割合、全ての犬の中で犬を殺した犬の割合、全てのクジラの中でクジラを殺したクジラの割合、全ての蝶の中で蝶を殺した蝶の割合、一番程度が酷いのはどれでしょうか。1の殺した数が2以上であった場合、その分だけ割合は上がるものとさせてください。
私はデータを持っていないので、有効な答えは示せません。しかし現在までに犬は原子爆弾を作っていません。人は原子爆弾を作りました。どうして犬には作れないものが、人には作れたのでしょう。

人は言葉を扱います。
これから私は言葉遊びを始めます。

私たちは認識します。これは光である。これは音である。光を認識したとき、同時に光でないもの(暗闇)を認識します。音を認識したとき、同時に音でないもの(静寂)を認識します。
一つ認識すると、同時にそうでないものを認識します。私たちは差違があるために何かを認識できるのです。具合の悪いときにこそ、健康な状態が良いものだと気が付きます。

あなたは不幸を認識することがあるでしょうか。もしあったなら、不幸でないもの(幸福)も認識できます。
あなたは死を認識することがあるでしょうか。もしあったなら、死でないもの(生)も認識できます。
あなたはあなたを認識することがあるでしょうか。もしあったなら、あなたはあなたでないもの(誰か)を認識できます。

あなたがあなたを認識できるか曖昧になったら、デカルトの言葉を思い出してください。あなたが何か思うのなら、何かを思うあなたは存在します。あなたを認識してください。するとあなたでない誰かのことも認識できます。

「何もかもがくだらないな」と感じることがあるかもしれません。けれどこの世界は不完全なので、「何もかも」などということはありえません。くだらないものがあるなら、必ずくだらなくないものがあります。

不幸があるのなら、必ず幸福が在ります。
死があるのなら、必ず生が在ります。
あなたがあるのなら、必ず誰かが在ります。

この不完全な世界では、完全な不幸は存在できません。世界の始まりから世界の終わりまで(そんなものがあるかは少々不確かですが)ずっと死だけが在ることはありません。あなたが存在する以上、必ず誰かが存在します。

これらはただの言葉遊びです。しかし私たちが言葉を忘れない限り、私たちは言葉で遊ぶことができます。

くだらなくてどうしようもないものがあるとき、必ずそうでないものが。
これから先、私たちが言葉を忘れることはあるでしょうか?

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