2010/12/12 (sun)

午前九時少し前にバイトが終わり、家に帰る。ほとんど準備(と言ってもカバンに本やCDを入れた程度だけど)はしてあったので、シャワーだけ浴びて午前十時過ぎに部屋を出る。コンビニで朝食を買ってから、歩きながら携帯を見ると、Oくんからメールが来ていた。「念のため。きたぐには直江津を0時57分発、京都に6時16分。さすがに窓口やってないから注意。妙高高原から直江津への最終は23時6分発。直江津には23時53分着ね。(10:26)」親切すぎる。彼も今日旅行で新潟へ行くらしい。
京都駅まで歩き、窓口で切符を買う。鈍行では間に合わないので、新幹線で名古屋駅まで、特急ワイドビューしなの13号で長野駅まで、そこから信越本線直江津行に乗り換えて妙高高原駅、16時54分着予定。「妙高高原まで」と口にすると、なんとなく幸せになった。妙高高原という響きがいい。11時32分発ののぞみに乗り込んだ。本を読もうかと思ったけれど、読まなかった。さっき買ったパンを食べて、窓の外を眺めたり自分のケイタイ小説を読んだりちょっと直したりしていた。12時9分、名古屋。
しなのは13時ちょうど発、まだ時間があったので、どこかタバコの吸えるところでコーヒーを飲んでいようと思ったけれど、名古屋駅の中に喫茶店は見当たらなかった。仕方がないので、たいしてお腹は空いていなかったけれど立ち食いのきしめんを食べた。
特急しなのは2時間55分、終点まで乗るので中で少し眠った。少し眠ると頭がはっきりしたので、あとはずっと窓の外を眺めていた。曇り空の長野の景色は寂しかった。住んでいる人たちのことを思って、恥ずかしい感傷だなと感じた。中津川、塩尻、松本、長野。TやLの住んでいる辺りは通ったのだろうか。
長野駅の喫煙所でタバコを一本吸ってから、信越本線。新幹線や特急と違って、この辺りに住んでいる人が乗るんだろうこの路線は、混むというほどではなかったけれど初めて座れなかった。妙高高原まであと43分。乗っているうちに日が暮れて、外は暗くなっていった。
flatterの人から「冬の妙高はすごい」と聞いていたので、さぞ雪が積もっているんだろうと覚悟(期待?)していたけれど、まだそんな季節ではなかったらしく、妙高高原駅はアスファルトが少し濡れている程度だった。Oくんのアドバイスに従って、降りてすぐに窓口で帰りの切符を買う。買いながら、駅の出口の辺りの人たちの会話から「妙高高原メッセ」と聞こえた。あの人たちもコンサートに行くんだろう。年配の人の集まりだった。切符を買ったついでに駅員さんに妙高高原メッセまでの道を聞くと、「高木いくのコンサート会場」と印刷された簡単な地図を出してくれた。「ななめ右の方へ行って左へ、大きな道がありますから」
駅を出て歩き始めると、すぐにおばあさんから声をかけられた。「あなたはどこまでいくの?」タクシーに相乗りしないか、という話だったようだけれど、妙高高原メッセは歩いてすぐのようだったので断った。
午後五時、駅の周りにはいくらかお店があったけれど、明かりがついているのはヤマザキショップと角にあった食堂だけだった。帰る頃にはここも閉まっているだろうな、と思った。帰りの電車に乗るまでに、何か食べるものを買えるといいけれど。
妙高高原駅から少し歩くと、すぐに何もなくなった。教えてもらった通りに左に曲がり、両サイドに木の生えた傾斜を登る。道路の端っこにはちらほら雪が残っていた。静かな道をしばらく行くと、「←妙高高原メッセ」と看板が出ていた。もうすぐそこに見えていた。
妙高高原メッセは、図書館が一緒に入った、二宮のラディアンのような施設だった。床も壁も木目で、照明もどこか暖かかった。(あとで調べてみると、妙高高原メッセの施設はエントランスホール、図書室(蔵書8600冊・パソコン3台)、親子ルーム(液晶テレビ・ブロック遊び用具)、クラフトルーム(作業台4台)、和室(24畳)と多目的ホール(436席収容)が全部のようだった。多目的ルームは一時間1900円で借りられるらしい)
中に入ると、もうかなり人が来ていた。すぐにスタッフの人に声をかけられる。「チケットはお持ちですか?」「はい」すると列に案内された。近所のおじさんおばさんがたくさんいて、ピアノの発表会や学校の文化祭のような雰囲気があった。ちいさな子もたくさんいた。すぐ前に並んでいた男の人が連れた子は、二歳だと言っていた。列に並んでいると、後ろの方から制服を着た中学生(たぶん二年生)の女の子が4、5人歩いてきて、隣に並んでいたおばさんに声をかけていた。「あ、先生」「なんでいるの」「見に来たのよ」「変な服」「コートだもん」
時間になって、列がすすむ。メッセの中には高木いくのコンサートのポスターが何枚も貼られていた。階段の踊り場にはCDと、ストラップの広告が貼ってあった。どちらを買っても終演後サインがもらえる、と書いてあった。ストラップは今日のためだけに作ったらしい。「もうCDを持っている方は」というような言葉が添えてあった。ホールの外、少し広くなったスペースでCDとストラップを売っていた。
ホールには真新しいパイプ椅子が並べられていた。前から三列目、なるべく真ん中寄りの席に座る。水の流れる音や、鳥の鳴く声がかかっていた。待っている間に、だんだん周りの席も埋まっていった。ほとんどが地元の人のようだった。周りの会話を聞くともなしに聞いていた。漬物をつける話や食事の話、なんということのない日常の会話が聞こえてきた。ひどく穏やかな気持ちがした。
17時半に開場、18時半に開演。しばらくただ座ってぼうっと待っていた。そのうちに「もしかしたら売り切れるかも」と不安になったので、一度席を立って(まだ開演まで30分あった)ストラップを買いに出た。ついでに一階でココアを飲んだ。
開演が近づいて、「先立ちまして」と注意を呼びかける放送がかかった。録音や撮影を禁止する他に、小さな子供が泣いたときのこと、送迎のこと(バスか何か出ていたのだろうか)、公演は1時間45分を予定しています、というようなことを言っていた。
宙にスモークが漂い始めて、ステージにハッシーが現れて、ピアノの前に座る。会場はまだざわついていた。ハッシーはピアノの上に何度も手を出しては引っ込めていた。暗いステージに、この間よりも着飾ったいくのさんが出てくる(妙に速くのしのし歩いていた)。客席の照明が落ちてピアノがなって、ようやくざわめきが消える。最初は「赤い糸」。「片思い」「冒険」「恋」を歌って、『いくのふにうたってみせたい曲』のコーナー。「バーイクノフ」だと言っていた。お父さんに十年早いと言われたという美空ひばりの「車屋さん」、「朧月夜」、エディット・ピアフ「愛の賛歌」。「愛の賛歌」は、妙高で歌うにあたって、どんな年代でもなんとなく知っている曲を探していて、赤倉青年会(この人たちがこのコンサートを運営していたっぽい)の人が提案したらしい。エディット・ピアフは当時ボクサーと大恋愛をしていて、恋人のボクサーは試合に勝ってピアフに喜びを伝えようと飛行機に乗るのだけど、飛行機は落ちてしまった。ピアフは悲しみに暮れたのだけれど、もう一度起き上がって歌ったのは悲しみではなく愛することの素晴らしさだった、というエピソードを話していた。
そのあとには「ぽっちとぼっち」。ハッシーやギターの人(名前は忘れた)、青年会の人たち、会場に来ていた妙高高原中学の校長先生など、色んな人に「おーぉー」のパートをふっていた。
ハッシーとギターの人のコーラスがきれいだった「おなじ星」の次に「翔べ!イカロス」のイントロが鳴って、思わず客席の端に待機していた中学生に目をやった。一緒に歌うんだろうと思っていたけれど、最初に目に入った子は嬉しそうに友達を振り返っていて、ステージに上がる気配はまったくなかった。なんとなくずっと中学生を気にしているうちに、「イカロス」は終わってしまった。次の曲が、中学生の出番だった。
いくのさんは、中学生と一緒に「抱きしめたい」を歌いたくて、中学校まで行って朝の全校集会で歌ってきたらしい(羨ましい)。そこで手を上げてくれた17人(男の子も4人くらいいた)が、ここにいる子たち、ということだった。
一緒に歌うと言っても、合唱になっているわけではなくて(ゐさおさんがいないからだろう)、本当に同じメロディを一緒に歌うだけで、普通の中学生だから、特別うまいというわけでもなかったのだけれど、それがかえって、歌う姿も相まって(一生懸命に見えた)、うまく言葉にできない。
「抱きしめたい」のあとには「落陽」「生きる」「和」と続いて一度終わり、アンコールでフェアーグランド・アトラクションの「ハレルヤ」。「妙高の冬は、吹雪が何日も続いて、だんだん憂鬱になってくるんだけど、朝起きて、また雪かなと思いながら窓を開けると、真っ青な空と、真っ白な妙高の山が見えて、そんなときに歌いたくなる歌です」
いくのさんが話していると、なにかと客席からも声が飛んできて、笑い声もよくあがって、とても和やかな雰囲気の会場だった。いくのさんの先生も来ていたらしくて、「先生も来てるよ」と言う声で気がついたいくのさんは少し後ろを向いて目を抑えていた、客席からステージへばらばらと花が届いて、「私ステージで泣いたことないのに」と話していた。ここにいていいのかなと少し思ったけれど、同時にここに立ち会えて本当に良かったと思った。
終演後には、サインのために長い長い列ができていた。並んでいると、「いくのちゃん結婚してないの?」「いくのちゃんと結婚する」という子供の声が聞こえてきた。列が進んで、前に並んだ人たちがいくのさんと話すのを聞きながら、すぐ横にマネージャーの女の人もいるし、なんにも言えないかな、と思っていたけれど、サインを書いてもらっているうちに、ひとつ前の人はすぐいなくなって、マネージャーの人は次の人の対応にいなくなったので(といってもすぐそこにいるのだけど)、一瞬だけその場でいくのさんとふたりだけになったので、ごくごく簡単にジャングルスマイルがどれだけ大切だったかを伝えられた。いくのさんはしっかりと目を見て聞いてくれて、一瞬だけ俯いてから、「その言葉で私も救われるんだよ」と、(本当に、一番辛いときにはいつも「あすなろ」や「抱きしめたい」を聞いていた。この人の歌がなかったら、きっともっとどうしようもなく辛くなっていただろうと思う)右の手で握手してもらって、「また聞きに来ます」と約束した。温かくて、細い指だった。
会場を出て、ウォークマンはポケットにしまったまま、坂を下りた。寒くて、暗くて、静かな道だった。ヤマザキショップも食堂もやっぱりしまっていた。食堂の中ではテレビだけがついていて、髪の長い男の人がひとり座っていた。すぐ目の前で電車が走っていった。あれだったかな、と思いながら、タバコを吸ってから時刻表を見ると、さっきの電車がやっぱり直江津行で21時28分発、次は23時6分だった。22時台は空白になっていた。
ホームに入り椅子に座り温かい缶のスープを飲んで待っていたけれど、あまり寒いので誰もいない改札を抜け外に出た。それから一時間くらい妙高高原駅の周りを歩いていた。セブンイレブンを見つけて、食べ物とジャンプを買った。来週の分がもう売っていた。
23時6分、信越本線で直江津へ、23時53分に着、一時間ホームの待合室で待ってから、0時57分大阪行きの急行きたぐに。Oくんが「自由席は大月の辺りを走っている電車のボックス席みたいな感じ」と言っていたので覚悟していたけれど、思っていたよりは広々としていた。あまり混んでいなかったので、ひとりでボックス席をひとつ使えた。ジャンプとマフラーを枕にして、コートを体にかけて、眠った。
ふと目を覚ますと電車が止まっていて、慌てて時計を見るとまだ4時過ぎ、福井駅に止まっていた。そのあとも眠ったりジャンプを読んだりしているうちにいつの間にか京都駅。電車は予定通りの時間に到着した。朝早かったけれど、Oくんに「ぶじきかん」とメール。起こしてしまったのか、旅行中だし早くに起きたのか、すぐに返事が来た。「お、お疲れ。座れたかい?」
「ライブなくてもまた行ってしまうかもしれん妙高高原 君も旅行楽しんでくれ」「何しにだよ(笑)ありがと(2010/12/13,6:31)」

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