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30年前のチャゲアスが見た「赤い丘」を聞いて思ったこと

皆さんは、邦楽ポップスデュオCHAGE and ASKA(以下チャゲアス)で、最も多く聞いたアルバムは、何ですか。多くのチャゲアスファンは、シングル曲のみが収録されたベストアルバムか、彼らの1990年代前半のブームの間に発売されたアルバムを聞いた方々がいると思います。

今回は、ミリオンセラーになったアルバムです。それは『RED HILL』(レッド・ヒル)なるアルバムです。『RED HILL』は1993年10月10日に発売されました。今年で発売30周年を迎えました。チャゲアスの代表曲『YAH YAH YAH』が収録されています。同じ年に発売されたシングル曲も収録されており、チャゲアスのアルバムで最も多くシングル曲が収録されています。
『RED HILL』、英語で「赤い丘」を意味する題名です。ジャケットは赤と橙色が混ざった砂漠に、2つのオールが置かれた船、砂漠の向こうにある宮殿、壮大感を持ったデザインです。
写真集にうつる、黒いスーツのCHAGEとASKAが強い魅力を出しています。この記事では愛着こめて、チャゲちゃん、あすちゃんと呼びます。

CHAGE and ASKA『RED HILL』(1993年)

このアルバムについて、チャゲアスファンからの反応は以下のように、熱い想いがあふれています。

「始まりからわくわくする」
「とにかくたくさん聞いたアルバム」
「この頃からファンになった」
「チャゲアスが流行していた当時の思い出」
「CMやドラマ主題歌で聞いた曲が多い」

アルバムについてチャゲアスファンからの反応

いろんなファンの反応から、このアルバムは1990年代前半に流行していた、チャゲアスブームの背景が強い作品だと感じました。このアルバムとシングル曲『YAH YAH YAH』を当時聞いていた少年少女たちは、チャゲアスの流行を見て、この頃からファンになった方々は、ブリより年上で、現在の40代半ばの方々です。

ブリは中古CD店やフリーマーケットサイトで探しているなか、このアルバムを見つける機会が多いです。なぜなら、このアルバムはミリオンセラーになり、多くの人々が手にしたアルバムだからです。当時買った人々が多かったので、中古CD店でよく目にします。特に、発売当時の初回盤は、ハードカバーケースで、写真集が付いたもので、相当力を入れたパッケージだと感じました。カバーケースの輝きが色あせないまま、見つけた人に強烈な存在感を与えてきます。

チャゲアス『RED HILL』の初回盤ハードカバーケース。
アルバム名が金色の文字で刻まれた、
赤い光沢の厚紙になっている。
メンバーの写真集が付属している。

この記事では、ブリが『RED HILL』を100周聞いて思ったこと、このアルバムがチャゲアスファンで重要な存在である理由、ブームの背景について、まとめました。歌詞や考えはあくまでも、ブリの独自解釈なので、一例として受け取ってください。



~J-POP全盛時代の熱~

1993年の邦楽界は、CD媒体の普及によって、音楽CDの需要が上昇して、音楽作品のミリオンセラーが増加しました。1990年代が始まった日本で、人々は新たなジャンルを多く展開する「J-POP」に、新たな時代を表現した音楽に共感しました。その音楽をカラオケで歌うことが広まっていました。インターネットがなかった当時、音楽はテレビ番組とCMで使われて、多くの人々の耳に入りました。

そんななか、2つの流行が起きていました。一つは、1990年から起きた「ビーイングブーム」というものでした。ビーイングなる音楽事務所に所属するアーティストたちが、次々とヒット曲を飛ばしていました。注目されたのは、ロックバンドのB'z(ビーズ)、ZARD(ザード)、WANDS(ワンズ)でした。彼らの楽曲は多くのテレビ番組やCMで流れていました。ビーイングは、わざと彼らの出演を少なくして、人々の好奇心を生み、楽曲への注目が来るように宣伝しました。その中で、B'zの売上が大きく高まっていました。B'zは1988年のデビューから、多彩な楽曲を作り、ライブ活動でじょじょに人気を得ていました。

1993年の邦楽界の様子図

もう一つの流行は、この記事で紹介する、「チャゲアスブーム」です。チャゲアスは1979年のデビューからキャリアを重ね、経験と技術が成熟していきました。デビュー12年を迎えた1991年に、シングル曲『SAY YES』のヒットから、彼らの作品が注目されるようになりました。彼らの楽曲はテレビ番組やCMで流れて、多くの人々に知られました。彼らの独特な音楽性、邦楽界での評判、ライブ活動の動員数の増加、新しい音楽に興味を持つ人々からの注目で、ブームが起きました。
日本国内のライブコンサートのチケットはすぐに売り切れました。シングルもアルバムも日本国内外で売れて、日本レコード協会からゴールドディスク獲得、海外でアジア系アーティストで初めてワールドミュージックレコードに選ばれました。チャゲちゃん、あすちゃんは、日本全国で誰もが知る、スーパースターになりました。

チャゲアスブームを起こした要素図

1993年にシングル曲『YAH YAH YAH』で、200万枚の売上を記録しました。彼らは『SAY YES』と『YAH YAH YAH』で、200万枚を記録したシングル曲2枚を持ちました。そして、アルバム『RED HILL』はミリオンセラーになりました。1991年の『TREE』、1992年の『GUYS』と、このアルバムで、3作連続ミリオンセラーを記録しました。このブームで、彼らは新たなファンを獲得しました。
ちなみに、チャゲアスの活動の一方、チャゲちゃんはバンドMULTI MAX(マルチマックス)の活動をやっていました。
(1993年のMULTI MAXの活動について、別記事へどうぞ)

このアルバムを初めて聞く方に書きますが、一部の歌詞の意味が難解に見えると思いますが、分かりやすい言葉が使われているので、感じたままに聞いてください。各曲の時間が4,5分で、収録時間が70分もあって、非常に疲れてしまうかもしれません。アルバムの半分まで聞いたら、休憩していいです。
1980年代のチャゲアスを好む方には、作風と世界観が違って、合わないと思ったり、疲れると感じるかもしれません。以前書いた10年前の1983年のチャゲアスを聞いてから、このアルバムを聞くと、時代と音の変化に驚かされます。メロディーが聞きやすいので、気楽に聞くだけでいいです。


~スーパースターが見た丘の正体~

今回のアルバムは、シングル曲とそのカップリング曲が多く、初めて聞く人には聞きやすいところがあります。アカペラを使い、ジャズのようなリズムと管楽器が多い作風になっています。全体的に力強い歌唱と重厚感がある楽曲が豊かです。

ASKA、アルバムでの写真より

収録シングル曲は5曲です。『なぜに君は帰らない』は、アルバムの幕開けに流れる、アップテンポな恋愛曲です。「なぜに」と何回も歌う、失恋からの強い想いが響く、チャゲアスの歌声が迫力があります。
『YAH YAH YAH』は、チャゲアスの代表曲として有名です。さまざまなアーティストたちにカバーされたり、スポーツの応援歌で流れたりしました。リスナーと感情を共有して、拳を上げるゴスペル風ポップス曲です。代表曲と対をなす、『夢の番人』は夢を見せるチケットを人々に渡す番人がいる、不思議な世界をトロンボーンとトランペットが響かせます。
『You are free』は、リズム&ブルースで、恋人の別れを描いた、切ないハーモニーが響くバラード曲です。この楽曲は、中国語でカバーされた人気曲です。
アルバムの最後に収録されたシングル曲『Sons and Daughters~それより僕が伝えたいのは』(サンズ・アンド・ドーターズ)は、チャゲアス史上最も長いシングルの曲名です。親子の愛情と、自然の美しさを魅せる、美しいバラード曲です。実はアルバムのために、アカペラを追加したバージョンに変えました。アメリカのゴスペルグループ、14カラットソウルの方々が奏でて、国境と言語を超えた音楽の力を感じます。

一緒に歌う、チャゲアス(写真中央)と
14カラットソウル(写真両側)のメンバーたち。
14カラットソウルがチャゲアスの楽曲を
カバーしていた。

チャゲちゃんが作ったカップリング曲も、シングル曲に負けずに良質なものです。『君は何も知らないまま』は、『YAH YAH YAH』のカップリング曲です。チャゲちゃんが主に歌い、あすちゃんはコーラスで歌う、明るく、切ないキーボードが響くバラード曲です。
美しいバラード曲『Sons and Daughters』の一方で、こっけいな曲名と思いきや、結婚によって失った自由を嘆くノリノリなダンス曲『Mr.Jの悲劇は岩より重い』は、自由自在なノリを聞かせるチャゲちゃんが聞けます。なんと、チャゲアスの歌詞では珍しく人の名前が登場します。その中で、自分の名前と同じものを見つけたら、照れます。きっぱりと書きますが、ブリの本名はありません。

CHAGE、アルバムでの写真より

アルバム曲は、全体的に音に温かみがあって、重厚感がある響きを感じる楽曲が多いです。アルバムの始まりに流れる『夜明けは沈黙のなかへ』は、オーケストラとアカペラと歌声が重なり、忘れられない人を呼ぶ楽曲です。そして、次の『なぜに君は帰らない』へつながっていきます。
アナログレコードのノイズから始まり、別れと燃える恋愛を描くジャズ曲『螢』(ほたる)。甘える男性のアピール作戦を描いた、ロマンチックなレゲエ曲『今夜ちょっとさ』。中国の老子の言葉から借りて、スローテンポで愛の深みを歌う『TAO』(タオ)。愛の深化を歌う楽曲が、美しい歌声で心に染みわたります。
特に感動的な歌詞だったのは、『THE TIME』なる楽曲です。オーケストラとポップスが交わった音に、さまざまなことが起きる人生のなかで、周りに負けずに夢へ向かう応援歌です。長くキャリアを重ねたチャゲアス自身の心境に思えますが、ブリたちの人生に共感するものに見えます。今日の一歩が何かが変わるかもしれない、希望を与える歌詞です。この音楽を聞いたら、後も続く、新しい感情が生まれるような気がします。

チャゲアス、アルバムでの写真

そして、表題曲『RED HILL』は7分にわたる大作です。チャゲアスが半年ぐらい温めていた楽曲でした。「赤い丘」とは単なる景色と思いきや、歌詞を読んでて、何かのたとえのような気がしました。丘を延々と歩く、主人公の目の前にあるものは、危険を与える存在なのか、主人公を守る存在なのか、分かりません。主人公は「どうしよう」と迷うしかなく、明確な答えがありません。
この主人公は、圧を抱えて、丘を登る様子が描かれていました。大きな課題を進めるなかで感じる圧を、ギター、キーボード、トランペット、ブルースハープの演奏が表しているようです。チャゲアスのハーモニーが感情を吐き出すように、大きく響きます。主人公が見た「赤い丘」とは、長く続くかもしれない圧に押される、感情を描いたたとえだと思いました。このアルバムの発売当時の背景を調べていくと、日本国内外に広がるブームに驚く、チャゲアス自身が抱える、想像以上の感情のようです。絵画のような言葉の表現が、ブリたちを「赤い丘」へ吸い寄せていきます。


~ブームがもたらした影響~

ブリは、このアルバムが出た頃、生まれたばかりで全く覚えていません。「本当にそんなブームがあったのか」と気になりました。チャゲアスブームを当時見ていた、ブリの両親と、周りの人々からの話を聞いたことがあります。

「どこでもチャゲアスの曲が流れていた」
「CMやテレビ番組、雑誌でチャゲアスをたくさん見た」
「1980年代は売れそうで売れなかった彼らが、こんなに人気になるとは思わなかった」
「ライブコンサートに行ったら、生の歌声がすごくて、幸せだった。1980年代後半と比べて、チケットが取りづらくなって、大変だった」
「彼らの人気が最も高まった時期だった。まさに1990年代前半は、彼らの時代だった」

チャゲアスブームを当時見た人々の話
スバル自動車とチャゲアスのコラボレーション広告。
CMでチャゲアスの数々の代表曲を使っていた。
シングル曲『Sons and Daughters』をイメージした色と、
チャゲアスのロゴマークが付いた特別車。

ブリは少年時代に別のアーティストたちのブームを見てきましたが、このチャゲアスブームは、日本全国を巻きこんで、老若男女問わず、彼らに注目して、国外でも彼らの楽曲を輸出していた様子が活発だったと、多くの雑誌や映像資料から気づきました。
このアルバムは、チャゲアスのアルバムのなかで、CMやテレビ番組に使われた楽曲が最も多いです。数々の企業が、チャゲアスとコラボレーションをしていました。彼らがうつる広告、雑誌、映像資料が多く見つかるのは、彼らの流行が熱かったことを示しています。彼らは邦楽史で重要な存在だと、当時を知らないブリたちに残しました。

味の素スープとチャゲアスのコラボレーション広告。
CMに『今夜ちょっとさ』が使われた。
帽子とサングラスを付けた牛がCHAGEを象徴して、
チャゲアスを表した牛がうつっている。
アサヒ飲料とチャゲアスのコラボレーション広告。
CMに『You are free』が使われた。
コーヒー缶を持ったチャゲアス。

ここまで多くの人々に知られて、多くの新たなファンに支持されたチャゲアスですが、ブームに対する心境は意外な様子でした。実は、彼らはブームに浮かれていたわけではありませんでした。今後の様子について、不安を抱いていました。この流行がどこまで続くのか、将来の予定を考えたら、淡々と活動すると思うと、怖くなります。彼ら自身も、ファンも、熱狂的な流行に喜ぶ一方で、さまざまな感情を持ちました。彼らはどこまで続くか分からない「赤い丘」を歩くような、心境でした。

ブリが今まで見てきたアーティストのブーム期間は、平均4年ぐらいでした。ブームの始まりが突然起きてから、2~3年目で絶頂を迎え、その後は落ち着いていきました。チャゲアスブームは、1991年から1996年までありました。1991年から始まり、1993年で絶頂になり、1995年あたりから落ち着いていきました。5年の流行の間、彼らの名が日本国内外で知られていきました。彼らがこうして邦楽史に刻んだ出来事は、運が良かっただけではなく、彼らの独自の音楽性が人々を魅了したしるしだと思いました。


~まとめると聞きやすく濃厚な名盤~

以上、ブリが『RED HILL』を聞いて思ったこと、チャゲアスブームの背景について、まとめました。簡単にこのアルバムについて説明すると、「人気絶頂の時に出た、彼らの自信作で、聞きやすいけどとても濃い」ということです。『YAH YAH YAH』から知って、初めてチャゲアスを聞く人におすすめしたい1枚です。彼らのパワーを感じる楽曲が満載です。
自分がもしスーパースターだったら、ブームが起きてうれしい一方で、想像以上の圧が来て、怖くなる気がします。人生経験を重ねていく中で、ブリが知るアーティストから、流行に複雑な心境を持った話を知り、強烈な感情を受けます。音楽の神様はチャゲアスを選び、人々は彼らを支持しました。彼らはその時代に選ばれたアーティストになり、現在も邦楽ファンの間で語り草になっています。

最後に、このアルバムを聞いて感じたのは、ブリが生まれたばかりの頃に、夢見たスーパースターが現実にいたことが、夢のようです。今日まで生きていて、過去の名盤を知ることができて、ブリは幸せです。「今夜ちょっとさ、1曲だけ」と思って、寝る前に1曲聞いて、癒やされたくなります。当時の人々が持った興奮に、共感した気がしました。


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