七味
2024年に読み終わった本の感想をまとめる
七味が高3の3月からふらっと書き始めた日記をまとめてます
大学生になったら何か新しいことをしようと思っていた。なんなら運動系にしようかな、なんて思ってもいた。そのはずが、気がついたら何かに導かれるようにしてクイズサークルに入っていた。人生何が起こるかわからんなあと感じている。 これは、昨日の新歓大会の興奮が冷めないので、どうにかしてこの気持ちを言語化して残しておけないかと書き始めたものである。話があちこちにとんだり、文体が変わったり、あとはいつも通り誤字脱字等があったり、読みづらいものになる予感しかない。あまり気にかけず、構成
そういう気分なので文字を書いてみている。もしかしたらそのうち続きを書くかもしれない。 月が明るく出ている夜はなんだか空気も澄んでいる。澄んだ空気に身を置くうちに綺麗な言葉を紡ぎたくなる。今ならきっと澄んだ言葉をそっと発せる。そんな幻想に取り憑かれている。 月を見ると寂しくなるのはわたしだけでしょうか。肌寒いと人恋しくなるのはわたしだけでしょうか。そんなことはないとわかっていて、それでもなんだか独りぼっちであるように感じられるのです。 静かな涙が頬を濡らすのは誰のため
相反する気持ち。もうつらくてすべてを投げ出してしまいたいのと、幸せに生きることを願うこと。どちらも同じくらいの熱量で存在していて、メリーゴーランドみたいにぐるぐる回っている。 いろんな人とのいろんな予定が入っている。楽しみにしているのは間違いないはずなのに、予定までの日に人生が嫌だと思うときが多々ある。 どうしようもない。どうしようもないことが余計に苦しい。悔しい。でもこの悔しさがどこにも行かないし誰にも届かないというか伝えられない気分がずっとしている。それなのに、こう
毎日必死に生きている。平気そうに見せるふりはちょっと上手になったけれど、毎日毎日死にそうになりながら、それでもなんとか生きている。 わたしがまだ生きているのは、世界に絶望していないから。この世界は美しく、いなくなってしまうには惜しい。わたしをとりまく世界を美しくしてくれているのは間違いなくたくさんの人たちのおかげで、わたしはそのおかげでまだ死ねずに今日を彷徨っている。 美しい世界に、もう少しだけ身をおいていたい。可能なら、わたしもその美しい世界の一員でありたい。だからま
二十歳になったらしい。思っていたよりもずっと早かったような気もするし、思っていたよりは遅かったような気もする。まあとにかく今のところ無事に二十歳になりました。 うつとは最近うまく付き合っていけているような気がします。休んでいい、力を抜いていいということの意味をようやく本当に理解した感じがしています。毎朝起きられることもえらいし、起きられない日に休む選択をするのはえらいことなのだと、そういうふうに思えている気がします。 薬も、躊躇なく飲めるようになったというか、薬で変わっ
なんて弱くて脆いんだろう
誰かを幸せにしたいなんて傲慢で、みんなを傷つけ(ていると思い込み)ながら生きていくしかないんだと気がついてしまった たぶんわたしの人生ここからだ
誰も傷つけないためには死ぬしかないと思ってたんだけど、死んでも傷つけてしまうみたいだ もう誰にも出会ってはいけないのかもしれない
このまま死んだら全部終わりにできると思っていたけど、違っていて、たぶんこのままわたしが死んだらいろんな人に後悔が残るんだって気づいてしまって、もう八方塞がりで、じゃあ、わたしは誰も幸せにできないままこの状態で生きていくしかないんだって、そんなつらいことないよ
青春の庭のうさぎたち第6回定期公演『マトリョシカ』を観にいってきました。とりあえず雑にでも感想をば。一応ネタバレには配慮するつもりですがこれから観に行く予定の方で前情報いれたくない方は注意してください。以下しばらく余白。 「夢の中で別の人生を歩む」というのを演劇で表すのか!という驚きがまずあった。だってさ、演じるのは違う人じゃないですか。それを表現しようとしたのがまずすごいなと。その上で、それをきっちり表現しきる役者の皆様もすごい。いやあ本当にもうそのすごさを見られただ
唐突に、死にたいと口にすることがある。わたしを好いてくれている方々には申し訳ない話だなと思いつつ、まあわたしがそう思ってしまうこと自体は仕方のないことであるのでどうしようもない。ただ、死にたいというのは正確ではなくて、そこに適切な言葉がないから使っているだけのような気もする。紐解いていくとごちゃごちゃしてはいるのだけれど、いま改めてきちんと言葉にしておこうと思った。 まず、死にたいと言ったときたいてい始めに感じているのは漠然とした不安。そしてその重さが苦しいということ。そ
さよならの理由を聞かないでダーリン 聞かれても答えられないの さよならの理由を聞かないでダーリン 涙が溢れてしまうから さよならの理由を聞かないでダーリン わたしほんとは……いやなんでもないの 手紙を残して去ってゆきます そうでもしないとわたし、きっと後悔する もちろん、去りゆくことへの後悔もないわけではないけれど、それでも、あなたのもとに残るよりずっといい わたしは、わたしは、最後まであなたを愛していた ええそれを真実にしたかった だからわたしは去ってゆきます ひど
わたしの紡ぐ言葉に対して、やさしくて、やわらかいと言ってくれる人がたくさんいることがうれしい。 わたしは、今までたくさんの人に、たくさんの言葉に助けられてきた。そうして今日まで生きてきたから、わたしは多少なりとも言葉の力を信じてしまっている。 もちろん、言葉で人を動かせるとは思っていないけれど、誰かのお守りくらいにはなれるんじゃないかと思っている。現にわたしの言葉を大切にしてくれる存在がいることを考えると余計にそんな気がしてくる。 それで、わたしの言葉がそうやって誰か
薬を飲まないとやってられないわたしってなんなのだろう。これは、ある程度うつの症状が落ち着いて、ある程度いわゆる普通の生活ができるようになったときくらいから薄々思っていることだ。今のわたしは、薬を飲んでやっとまともな生活をしている。 そろそろ大丈夫になってきたなと感じたから、お医者さんに薬を減らす相談をした。そしたら、一生飲み続ける可能性が高いことを示唆されて、減らせるかもしれないけれど無くせないのだと心の底からわかってしまった。そしたら急にすべてが怖くなってしまった。薬を
旅をしていた気分だ。もちろん、様々な地名が出てくるからというのはあるけれど、それだけではない気がする。たぶん、登場人物たちの心の動き方が旅そのものだったからなんじゃないかな。何か、あるいは誰かにいきなり魅了されてしまう。そして、それを追うように自然に心と体が動いてしまう。それでいくとわたしはこの本に連れてこられたひとりなんだけどね。 今日の暇つぶしのためにとりあえず読み始めたんだけど(家にはだいぶ前からあった)めちゃくちゃ面白かった。なんかこう、人と出会うって奇跡なんだ
昨日からじっくりと時間をかけて『ある犬の飼い主の一日』を読み終えた。この本を家にお迎えしたのはたぶん昨年の4月くらいのことで、読み始めるまでに1年近く眠らせていた。 そもそもこの本を買ったのは表紙の犬の絵がかわいかったからだ。わたしは大の犬好きで、だから表紙を見たときにとてつもなく惹かれてしまった。だから、読んだ感想として、犬あんまり出てこなかったなというのが大きい。まあ飼い主の一日の話だから仕方がないんだけど、もうちょっと犬との楽しい話かと思ってたよ。なんかワンちゃん心