ある小説家の憂鬱な午後

 一、

 

 出ない出ない出ない。

 自室のフローリングを芋虫のように転げまわっても、ヘビメタみたいにヘッドバンギングしても、上半身裸で窓から「あんどろぎゃのーす!!」と叫んでみても出てこない。おっと、俺は別に変なクスリをやってるわけではないぞ。その点は安心してほしい。

 それにしても出てこない、ホントここまで出てこなかったら、逆に清々しいわ。

 別に便秘のせいで一週間ウ○コが出ないとか、そんなオチじゃあないぞ。分かっているだろうけれど、一応言っておく。

 じゃ、何が出ないって? そんなの決まっているだろう、ネタだよネタ。ネタと言っても寿司のネタじゃあないよ、小説だよ。小説のアイディアが出てこないの。

 初めての人は初めましてだな。そうでない奴らにはこんにちはか? 俺の名前は風浦涼介<かぜうら・りょうすけ>だ。一応小説家をやっている。興味のある奴は、グーグル先生に俺の事を訊いてみればいい。まぁ聞いたことがあるような無いような、面白そうなようでいてしょうもなさそうな、まぁよくある言い方でいえば毒にも薬にもならないような、微妙な作品群が出てくるはずだ。

 ……誰だよホントに検索した奴は。え? ホントに微妙な作品ばっかりだって? 余計なお世話だっての。俺だってドラマ化したりアニメ化したりするような小説書いてみたいってぇの。

 ドラマやアニメになるような作品書いてみたいってことは、逆に言えば自分の作品が一度も映像化したことがないって事であり、だったらそんな作品を書けばいいじゃん、なんて事を素人さん達は簡単に仰るわけですが、そんな事はおいそれと出来ることではないってことはこの業界にちょっとでも関わったことのある人間なら、わかることでありまして。根本的な問題として作品のベースとなる事象、いわゆる一つのアイディアが俺にはないってことに帰結するわけでありまする。つまりどういう事かっていえば「アイディア出てこーい。空から降ってこーい」と叫びたくなってくるわけであります。

 ちなみに俺がさっきから悶絶しながら捻り出そうとしているのは、二か月後に発売される、オタ……大きなお友達向けの雑誌に掲載される短編用のネタである。あんたも大きなお友達じゃあないのかって? その通りだよチクショウ。小説家っていう職業を選んだ時点で、ある程度はオタク的素質はあることは分かってほしいもんだね。

 さて、閑話休題。ここで大きな問題がある。

 俺は小説家であって、編集者ではないので詳しいことはよく分からないのだが、一冊の本が本屋さんに並び、皆さんの手元に届くまでには、多くの工程が踏まれるのが通常である。企画の立ち上げから始まり、原稿の執筆、ページのレイアウト決め、印刷、運搬――等々。

 俺は門外漢なので簡潔に述べたが、本来ならば、そこには涙あり笑いありの様々なドラマがあり、実態を知ってしまった日にはもう編集者様に足を向けて寝れないような気持ちになること受け合いである。

 以上言ったことは、あくまで雑誌作成における全ての工程が順調に進んだ時の話である。もしもどこかのポイントで遅れが生じてしまった場合、例えば短編を書くはずの小説家が、締め切りを大幅にブッチしているときなどは事情が異なってくる。当然編集者は鬼の如く顔を真っ赤にして、矢のような催促を送ってくることになる。

 ここで大事な事は、俺こと風浦涼介は今まさに締め切りをブッチしている作家だという事だ。どれくらいブッチしているかって? 確か…………三日かな? 

 だってーアイディアが出てこないんだもーん。

 締切オーバー一日目から担当編集者から電話がジャンジャンかかってきた。が、その殆どを俺は無視した。出たのは最初の一回だけ。出てもしょうがないじゃん、どうせ「原稿まだ出来てません」としか言えないんだもん。固定電話はモジュラージャックから引き抜いた、メールもソフトごと削除した、ケータイ? そんなもの一番最初に窓から放り投げたわ。

 一社会人として、その行動はどうなのかって? うるせえな余計なお世話だ。怒られるよりマシだ。

 あーあ。しかし、アイディア出ねぇなー。出るときはホントにポンって出てくるんだけどなー。

 よし、こんな時は現実逃避…………ゲフンゲフン、気分転換だ。

 俺は仕事机の引き出しから一枚の茶色封筒を取り出し、中に入っているA4用紙を広げる。

 これは一か月くらい前に、たまたま編集部に行った際に担当が俺に渡してくれたモノだ。

「はい、風浦さん」

 そうやって俺に封筒を渡す担当(♂・二十五歳)。彼はKO大卒のイケメンだ。細身ですらっと背が高く、眼鏡をかけたその風貌からは知性と品性が醸し出され、いやが上にでも嫉妬心を掻き立てられる。俺はその醜い本心を隠して……この話はこれくらいにしておこう。

 彼が渡してくれたそれは…………ファンレターという奴だった。

 ファンレター、それは読者が作者にしたためた応援メッセージ。

 単純に面白かったですといったものから、便箋何十枚に渡るものまで様々らしい。らしいって言い方になったのは、俺はその日までファンレターというものを貰ったことがなかったからだ。全て先輩作家から伝え聞いたことである。

 イケメン編集から手渡されたそのファンレターであるが、実際はメールで送られてきたのものを、イケメン編集がわざわざプリントアウトして、保管しておいてくれたものである。何をやらしても如才ない男である。

 さて、その肝心のファンレターであるが、差出人はどうやら和歌山に住んでいる、中学二年の女子であるらしかった。

 俺のようなオッサンが書いたシロモノを、女子中学生という、俺からしたらエイリアンよりも複雑怪奇な生き物が読んでくれた上に、手間暇をかけてファンメールまで送ってくれたということが驚きだった。

 エイリアンなんて大袈裟な、なんて思われるかもしれないが、これは俺の偽らざる本音である。

 いや確かに俺にも中学生の時期はあったさ。厳密に言えば『女子』ではなく『男子』中学生だったのだけれど。

 でもそれは十年以上前の話だ。それくらい昔の事などもう殆ど覚えていないっていうのが実情だ。いやマジで。

 仲の良かった奴や面白い先生もいた筈なのだけれど、もう彼らの顔も声も碌に思い出せない。君は薄情者だななどと言われれば、俺は素直に頭を垂れるしかないのだけれど、これが現実だ。

 ヒトの細胞は大体五、六年で入れ替わると言われている。だったら中学生の頃の俺と、今の俺はもはや完全に別人と言うことができるのではないか? 

 だからそんな別人の俺と同じ思考回路、行動様式に則って行動する女子中学生なるモノは、もはや地球侵略にやってきた異星人よりも理解しがたい存在なのである。とはいうものの時代が違うし、そもそも根幹的な問題として、男子と女子とでは行動様式等が大いに異なるのだろうけれど。

 俺と彼女らとの共通点と言えるものは、もはや霊長類ヒト科ホモサピエンスであるということぐらいではないだろうか。

 まぁ『レター』などとは言っても、厳密に言えば電子メールで送って来てくれたのではあるが。しかしながら、女子中学生ということを考えてみれば、自分専用のパソコンを持っているということは考えづらいことから、おそらくは保護者のパソコンを借りてお便りを送って来てくれたのであろう。

 まぁそれはそうとして、俺にとっては人生初めてのファンレターだ。水茎の跡麗しき玉稿、存分に吟味させてもらうことにした。

 その内容は以下のようなものであった。一応個人情報保護の為、氏名は伏せてお見せすることにする。

 

 はじめまして! 風浦先生! 和歌山に住んでいる中学二年生○○です! 

 初めてのお便り失礼します! この度、先生の著作『二条院紗江子の事件簿~例えば彼女が河童になったら~』を読ませていただきました! 率直な感想を言わせてもらいますね! 凄く面白かったです! 特に最後のシーン、紗江子が真犯人に証拠のSDカードを突き付ける所は鳥肌立ちっぱなしでした! 後、大怪我を負った紗江子に隼人が告白するシーンも涙が出そうでした! あと、あと、う~ん一杯あり過ぎてわかんないや(o^-^o)

 とにかくとにかく、私は先生のゆる~くて、どこにでもありそうで、おちゃらけた独特の世界観が大大大大好きです! 何ていうか、この世界を生み出した先生ご自身が楽しんで書いていらっしゃるのが伝わってきます! 

 私は本を読むのが好きで、他にも□□先生や△△先生も好きですが、この独特の空気は風浦先生にしか出せないと思います。まさに風浦ワールド! これは一回ハマったらもう病み付きになっちゃいます! 

 今、世間ではパクリとか盗作とか話題になってますけど、先生もお体に気をつけてこれからもがんばってください! 応援してます! 

 

 

 ……やたらと!マークの多さに、流石は女子中学生だなと思わざるを得なかった。

 また中学生に限らず、女子といえばもっと沢山絵文字を使うイメージが俺の中にはあった。しかしこのメールには一切使われていない。いくらファンレターとはいえ、年長者にコンタクトをとろうとするときに絵文字を使うことに、抵抗を覚えたのかもしれない。

 ところでこのメールを貰った率直な感想であるが――感想文に感想とは変な感じだが――俺は非常に嬉しかった。いや、正確に言えば、凄く嬉しかった。もう天にも昇らん勢いだった。

 放っておけば編集部の窓からバンジージャンプしたかもしれない。それぐらい舞い上がっていた。

 見知らぬ他人から褒め言葉を貰うということが、こんなにもハッピーな気分にさせるということを始めて知った。厳密に言えば、思い出したのかもしれない。

 それくらい久しぶりの事だったのだ。人から褒められるということが。

 女子中学生に褒められて喜んでいるアラサー男の図、というのは客観的に見てどうかなと思うけれど、嬉しいものは嬉しい。それはこの世界を造った神様からといえども、どうこう言われる筋合いのものではないと思う。

 このファンレターを励みに、今後の創作活動に励んでいきたいと思う次第である。

 しかしながら……喫緊の問題として今現在、俺は締め切りをブッチしているわけであり、そんな俺が『今後の創作活動に励』むと言っても一ミクロンの説得力もない事は、いくら俺でも分かっている。

 とにかく仕事としても、人道の観点から見ても俺は今すぐにでもワープロソフトを立ち上げ、依頼されている短編の執筆に取り掛からねばならない。

 しかし、それをしたくても書くアイディアがないのだ。

 何なんだよ『江戸時代を舞台にした、女剣士の冒険活劇』って。俺は江戸時代に全く詳しくない。

 一応今回の仕事を受けるにあたって、色々文献を読んでみたけれど、どんどん深みにハマってしまって、身動きとれない状態になってしまったぞ。何て言ったらいいのかなぁ、ホットケーキを作っていて、味付けにフルーツ、ヨーグルト、ジュースを混ぜたら訳の分からないモノが出来上がった感じかなぁ。ちょっと違うか? 

 俺はデビューから今まで現代ミステリーしか書いたことがないんだ、しかも軽めのミステリー。そんな俺に時代モノ書けなんて無茶振り過ぎるだろKO卒のイケメン編集。

 いや、一応漠然としたイメージはあるんだよ? しかし、これをどうやってネタにして、お話に昇華していければいいのか全く考えが出てこない状態なんだよなー。

 イメージをアイディアにするためにこの三日間、七転八倒を繰り返してきたわけだけれども、いよいよ限界が来たかもしれない。こうやって締め切りをブッチしている内に、担当が俺のアパートまで来るだろう。俺のアパートにはオートロックなんてものはないから、容易に部屋まで来ることができる。下手したら原稿できるまで俺の部屋に泊まり込むとか言い出しかねん。

 あのイケメン編集、爽やかな顔してやることはえげつないからな。下手したら、編集部からムキムキのマッチョマンを二、三人ばかり連れてきて俺を拉致った挙句、『天然温泉』とか銘打ってるクセに堂々と入浴剤使ってるようなド田舎のインチキ温泉宿にカンヅメ……いや、監禁でもしかねない。

 こりゃイカン。ぼやぼやしている場合じゃあない。さっさと身柄をかわさないと。とりあえず駅前のネットカフェにでも……。

 と、俺がそう考えたときだった。

 ピンポーン

 と、部屋のインターホンが鳴った。

 ヤバイ! 編集か!? しまった遅かった! ムキムキマッチョマンズ。拉致。ド田舎のインチキ温泉宿。様々なネガティブなフレーズが頭をよぎった。

 落ち着け俺。編集だからといって、それがどうした(締切に遅れている分際でそれがどうしたとは随分な言い草ではあるが)。編集は俺の部屋のカギを持っていない。だから俺の部屋に刑事よろしく踏み込んでくることはできない。ここは冬眠中のリスの様に大人しくやり過ごすべきだ。そして暗くなってから行動を開始するのだ。

 ……とりあえず、外の様子を見ておこう。もし本当に編集だったらイヤだな……。迷惑をかけている相手の顔をこれから拝見するかもしれないと思うと、流石の俺も暗い気持ちになる。そんな気持ちを抑えて俺は玄関に近づき、ドアスコープから外を伺った。すると……。

 ドアの向こうにいたのはイケメン編集ではなかった。

 年の頃は二十歳くらいだろうか。黒いスーツに身を包んだ、OL風の女性だった。

 ピンポーン。またインターホンの音が鳴りひびく。今度はドアの直近で聞いたので、音が頭の上から直に降ってきた。

 ドアの向こうにいるこの子は一体何者だ? 何かのセールスか!? 宗教の勧誘か!? 

 編集部で見た顔ではない。よって俺の担当の同僚とかではない……と思う。

 この子が別の部署の人で、俺に顔が割れていないことを理由に、イケメン編集から頼まれた助っ人、という事も考えた。しかし、実際その可能性は低いように思えた。だったらこのドアを開けても差し支えあるまい。

 俺はサムターンに手をかけて、時計回りに回転させる。

 ガチャリという乾いた音と共に錠が外れる。

 俺はドアを少しだけ開けて首を伸ばす。そして一応外の様子を伺う。物陰にイケメン編集が隠れていたり、ということはなさそうだ。取りあえず胸を撫で下ろす。

 そしてドアの横に佇む女性に声をかける。

「誰?」

 わざとぶっきらぼうな口調にするのがポイントだ。もしセールスや宗教の類ならば、感じ悪く対応することで、お早めに退散願いたかったからだ。しかし、仕方がないとはいえ、可愛い女子に無愛想な態度をとるというのは若干……いや正直に言ってかなり心が痛む。

 そう、今俺の目の前にいる名称不明の女の子は、かなり可愛いのだ。

 全体的に細身、しかしながらしなやかで力強さすら伝わってくる肢体、俺を見据える眼差しからはこの子の強い意志が伝わってくる。

「ねぇ、お宅どちら様?」

 再度問いかける。この時もドアは四分の一程しか開けたままだ。もし物陰にイケメン編集&マッチョ軍団が隠れていたとしても、即座にドアを閉めて逃れるためだ。

 そんな俺のせせこましい考えを知らないであろう、目の前の女の子はこう言った。

 それは俺にとって仰天の一言でしか言い表せないことだった。

「小説家の風浦涼介先生ですね?」

「え? えぇ、そうですが……」

 え? 何で俺のこと知ってんのこの子? 何者? 俺のファン? ストーカー? 

「始めまして。私、こういう者でございます」

 ペコリと頭を下げながら、女の子は一枚の名刺を差し出した。そこには綺麗な楷書体でこう書いてあった。

『株式会社・ドリームトレーディング営業部 朝宮 夕』

「はぁ……」

 俺は困惑の意思の表れとして、そんな風に息をついた。つまり俺はこう言いたかったのだ「アンタ誰?」

 そんな心境を察してくれたのか、女の子は溌剌とした声でこう言った。

「私どもはクリエイターさん達のために、お互いのアイディアを交換するお手伝いをさせていただいております!」

 ………………。

 …………。

 ……。

 俺はただぽかんと口を開け、馬鹿みたいにその場に立ち尽くすのだった。

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