20240302my funny hitchhikerワンマン〜音楽が終わったら〜
新幹線の車窓を眺めていた。
海が見えた。
漠然と思っていたことがある。
人生の最後は海の見えるところで終わりたい。
そんなことを思いながらヘッドフォンで
my funny hitchhikerのAL「Document」を聴いていた。
私の人生は素晴らしかったのだろうか?
別に誰かに問うわけではなく、自問自答したい訳でもなかった。
ただ、そんな言葉が浮かんだだけだ。
ホテルに付き、少しだけ仮眠を取って
三軒茶屋から茶谷通り沿いに下北沢まで歩いた。
学生時代を思い出すがそこに感傷が入る余地もなくただ歩いた。
景色や匂いは記憶を戻すが、13年近く住み、
その当時は死ぬまで東京に住むのだろうな、と
思っていたことさえ忘れるほど、東京という街は
私に寄り添わないことに気づく。
いや、東京だけではない。多分、どこに居場所を作ったとしても私は場所に依存することはないのだろうと思った。
下北沢もすっかり景観が変わり、
今やどこにも居場所がない居心地の悪さを抱え飲み屋を探す。結局、ラーメン屋でビールとあてを頼み、エンジンを少しだけ温め、下北沢ClubQUEへ向かう。
フロアが時間とともに埋まっていき開演の頃には満員になっていた。
メンバーが登場し1曲目「SOS」が始まった。
この歌の少年は
ステージからこの光景をみてどんなふうに思うのだろうか、と考えた。
「Thank you for the luck」ではなく、
積み重ねてきた年月と、裏切ることなく、
いつもそばにいた音楽と自身との密約。
そして真摯に音に対峙してきた生き方。
そんなことを考えた。
ライブは進み「HITOTOWA」が始まった。
近藤智洋は誤解を恐れずに言うと「怒れる若者」そのものだ。
温和な人柄や優しい語り口からおとなしい人のように誰もが思うが、私は彼ほど怒りを抱えている人をあまり知らない。
それは表現としてMFHの楽曲にも反映はされているが、その本質は少なからずリスナーに伝わっていないように感じるときもあったが、この「HITOTOWA」では、出口のない思いがパフォーマンスに反映され、破綻するステージングがまさにMFHらしく、それを支えるメンバーの頼もしさと相まってこの日の沸点の一つだったように思う。
BANDは生き物。
よく使われる常套句。
でもそれは事実なんだ。
LIVEとはそのBANDの生き様だ。
CDの音源とは違う側面が現れて当然だと私は思う。
そして、それこそが私が見たいLIVEなのである。
ステージは進み1st収録の「MUSIC」が始まった。
このフレーズをどう受け止めるかは自由だ。
ただ、このフレーズはあまりにも重い、
そして美しい。
私はこのフレーズのあと涙が止まらなかった。
色んな思いが交差するなか、
満員のフロアに響き渡ったこのフレーズと美しい風景。
音楽とは人生のようなものだ。
その音や言葉がまだ経験していないことを教えてくれたり、これから先、立ち向かうべきものに対してどのように立ち振る舞うかべきかをそっと教えてくれる。
そして見たくない現実を突きつけてきたりもする。それも含めてどのように受け取るかの選択権は自分自身にしかない。
だからこそ音楽は自由でなければならない。
MFHはこれからも走り続けるだろう。
そして私の人生もたぶんまだ少しばかり続くでしょう。
それまでは1ファンとしてずっと追いかけていきたい。
音楽が終わったら明かりを消そう。
海の見える場所で音楽を聴きながら、明かりを消すその日まで
my funny hitchhikerを聴いていたい。
この日のLIVEをみてそう決めた。
※おまけ
my funny hitchhiker 2nd「Documents」をALとして楽しんでいただきたいのは勿論ですが、
「my philosophy Incl Document at my funny hitchhiker」というPlaylistをSpotifyに公開しました。
イメージとしてはAL「Document」を巡るロードムービーのサントラがコンセプトです。
AL「Document」の楽曲は曲順通りに全曲収録していますが、合間に違う楽曲を挟み込み、このALの世界観がより広がるPlaylistだと思っています。
オリジナルAL「Document」を聴きつつ、
合間にでも聴いていただけると嬉しい所存でございます。
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