カズオポッカートニー

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カズオポッカートニー

サラリーマンとなるも雑文その他諸々のお仕事もさせてもろてます。 【Twitter】https://twitter.com/PocCartney【Spotify】https://open.spotify.com/user/podyst?si=7f2d74d725c1435d

最近の記事

20240302my funny hitchhikerワンマン〜音楽が終わったら〜

新幹線の車窓を眺めていた。 海が見えた。 漠然と思っていたことがある。 人生の最後は海の見えるところで終わりたい。 そんなことを思いながらヘッドフォンで my funny hitchhikerのAL「Document」を聴いていた。 私の人生は素晴らしかったのだろうか? 別に誰かに問うわけではなく、自問自答したい訳でもなかった。 ただ、そんな言葉が浮かんだだけだ。 ホテルに付き、少しだけ仮眠を取って 三軒茶屋から茶谷通り沿いに下北沢まで歩いた。 学生時代を思い出すがそ

    • 僕たちのDocument

      はじめに 20年近く通っている定食屋がある。自宅からは少し遠いので、近くに行く際にはできるだけ寄るようにしている。つい先日、たまたま近くで用事があったので久方ぶりに入ってみると、先代は隠居されたようで、2代目がテキパキと調理し女将さんが店内の客の注文取りや品出しをしていた。昔からここの煮魚定食が大好きなのでそれを注文し、料理が出てくるのを待っているとふと気づいたことがあった。 ラジカセでラジオを流していたように思うが天井近くに小ぶりなスピーカーが置かれ音楽が流れていたのだ

      • 明日を行く

        花の名前は知らないが、それはとても小さく、そこにただ在ることに意味を持つように見えた。 私達が出会った20歳の夏。彼女を初めて見た時に感じた言葉を今になって思い出した。 私達はとても若く、躍動する心と身体に溺れるまま、愚かすぎるほど幼かった。ただ、隙間を撃つように襲う不安を恐れ、時々私は無口になった。 私達の未来に影を落とすその不安こそが、私が私で在る理由なのを彼女は知っていたからこそ、無口になった私に寄り添い、ただ静かに闇の帳がせり上がっていくのをじっと待つようにその

        • 天使よ、故郷を見よ 

          誰しもが生まれ故郷にはそれなりの思い入れがある。幼き日々に見た街の風景や匂い。方言や慣習なぞは大人になったからとて、どこかにおいていけるようなものでもないのではないだろうか。 しかし、限度はある。どうやら関西人はその点において他の地方出身者とは一線を画しているのではないだろうか、と感じるこの頃でございます。 私自身も兵庫県は尼崎市という、芦屋の次にハイ・ソサエティな街で生まれ育った生粋の関西人でございますが、大学進学で東京へ上京し、卒業後もあわせると、約13年ほど東京で暮

        20240302my funny hitchhikerワンマン〜音楽が終わったら〜

          米櫃を覗く〜生きるとはいとたのし〜

          奇人変人という言葉がある。 辞書で調べて見るとこう書かれていた。 「性格、言動などが普通の人とは異なっている人」 うーむ。 では、普通とはなんぞや?とこれまた辞書で調べた。 「世間にざらにあり、何ら変わった所が見られないこと」 「平均 水準として、その傾きが見られること」 「一般にそう考えられていること」 「同類の多くがそうであるのと同じ程度」 これはどう考えても普通ってつまんねー、としか思えんわな。 僕は至って普通の人間ですよハハハ、なんて世間話のなかで発言する際に、

          米櫃を覗く〜生きるとはいとたのし〜

          20230212my funny hitchhikerトークショーat下北沢ニュー風知空知

          その日、朝早くから目が覚めたので家の近所を散歩しながら、これから向かう先での事柄を色々と思案した。年をとると生業や行末の心配事が増えるかと思っていたが、存外若い頃より無責任になっているようで「なるようになる」と思うことが多くなったのが不思議だ。それはこの先の人生に待っている自身に起こる答えが明確であると受け入れたからであるのと同時に、闇を怖がる子供ではない、と言い聞かせる必要もないほど、闇が光と同じように自身を包み込み、共存しながら生きていると理解できたからだと思う。 ただ

          20230212my funny hitchhikerトークショーat下北沢ニュー風知空知

          20230107my funny hitchhikerトークショーat大阪谷9レガート

          平成元年にリリースされたPaul McCartneyのAL「Flowers In The Dirt」は、ポールの大復活作である。その後、ポールはワールドツアーを敢行し存在感をビンビンに知らしめ、大成功を収めた。 このALが発売される前の頃のポールに対する一般ピーポーの目線は「まだやってるん?」「昔の名前で出ています的な?(笑)」などの非常に冷めた視線であったように思う。私のように「ポール師匠」と騒ぐものは隅に追いやられ迫害され、ともすれば「あいつはあかん。だっていまだポール

          20230107my funny hitchhikerトークショーat大阪谷9レガート

          the number one song in heaven

          私はとても怠け者である。何事も先送りし風呂も入らず炬燵から一歩も出ずに暮らせたらどれほど幸せなのかしらん?と漫画を読みつつみかんを食べながら日々考えている。現に今も炬燵にてNetflixで「チェンソーマン」をダラダラ見ながらnoteを書いている。 しかし、死にたくはないので飯も食わねばならぬし、電化製品が壊れれば買い替えもしなければ支障もでる。なので炬燵から出て銭を稼がねばならぬため、働く。 そんな私を見て、奇特な方が「酒やその他諸々のチャイルディッシュな趣味をやめれば出

          the number one song in heaven

          It’s getting hard to be someone…

          私の家の近所には小学校があり、近所をふらふらと散歩している時などに、グローブやバットを持った子どもたちとよくすれ違う。子どもたちは場所取りのため近場の公園に急ぐが、すでに公園では何組もの子どもたちが限られた場所で三角ベースを楽しんでおり、後から来た子どもたちは隅っこの方のスペースで工夫をしながら同じように三角ベースを始めだす。 そんな風景をしなびたおじさんである私は、その日の晩御飯は何にしようかしらん?などと考えながら眺めてたりする。 知らない人もいるかも知れないので説明

          It’s getting hard to be someone…

          「恥ずっ」考察

          うっひゃーすぽぽぽぎゃらりんうちゃんがずっとんさ〜け〜は〜ちゃぴんちょちゃっぴんちょのぉ〜めぇ〜のぉ〜めぇ〜ずっどんずどんどなんどなーなんどなーの〜む〜な〜らば〜、などの奇声を空の2リットルのペットボトル底部に穴を開け紐を通し頭頂部に載せブリーフ一丁で、三宮センター街のタイル歩道のラインからずれずに黒田節を唄いながら歩きたい。こんな願望がある男である、ということを告白したうえで「恥ずっ」について考えを述べさせていただく。 まず、最初に「恥ずっ」と言っているが、「恥ずっ」とは

          悩んで学んで

          大学の卒業が近づいてきた頃、僕は悩んでいた。希望企業への内定も出ている状況ではあったが、軌道に乗りだした音楽活動を継続するために、このまま院生となり大学に残りたい気持ちや、某ラジオ局の構成の仕事をアルバイトでもいいから続けたい気持ちが、着地点のない永久運動のように頭の中をを駆け回る状況が続き、僕を混乱させた。 考えた結果、母に自分の考えを伝えた。ひと通り僕の話を聞いたあと、電話の向こうで少し沈黙した。そして静かに「何でも好きなことをやりなさい」と、言った。僕は思い出した。母

          神仏を崇びて、神仏を頼らず(なんつって)

          実家からそれほど遠くない場所に、お寺があった。 学校帰りに寄り道をし、その寺のお地蔵様にお供えされた果物や菓子を友だと一緒によく拝借させていただいた。 いくら馬鹿な悪ガキ達といえども、優しいお顔のお地蔵様に対してどこか罪悪感があったのだろう。お地蔵様に手を合わせ「お地蔵様ごめんなさい。お菓子いただきます」と唱えてから、ダッシュでお寺を駆け抜けたことを思い出す。 夕暮れ時のある日、一人でお寺の前を歩いてるとどこからか声が聞こえた(ような気がした)。 「これこれ坊主よ」 「

          神仏を崇びて、神仏を頼らず(なんつって)

          丸いタマゴも切りよで四角

          いつぞやであったろうか。仕事終わりに気の良い友人と、大阪の中心から少しずれた繁華街で待ち合わせをし、二人して夜の街をそぞろ歩いた。 どうせ今夜も空が白むまで飲み明かすのだし、戌一つと刻もまだ早い。小腹膨らます程度に、軽くつまもうではないか、わはは、と少しばかり街を探索することにした。 三人寄れば文殊の知恵、と言うが二人では、欲と二人づれそのままに「あの店とは相性が合う気がしない」とか、「見た目が嫌だ」とか文句ばかりが先走り。結局は一見なのだからどこでもよかろうと、気の良い

          丸いタマゴも切りよで四角

          カレーライス師匠

          母の話によると私がまだ生後10カ月ほどの時に、酔っぱらって帰ってきた父が急に不機嫌になり、私を抱きかかえラグビーボールを優しくパスするかの如くフワリ、と放り投げた。 それ見た母は、忽然とダッシュし手を伸ばすもわずかに届かず、生後10カ月の玉のように可愛い、とても可愛い、形容できないほど高貴でふくよかな赤ん坊の私は、たまたまそこにあった布団の上に落下した。 それ見ていた二人の姉のうち長女は、母と同じように私の元に駆け寄り心配そうであったらしいが、次女は何が楽しいのか突然笑い

          カレーライス師匠

          my funny hitchhikerという化け物

          2022年4月16日 その日は深夜まで非常に楽しく過ごしたが、深酒とお調子者がひょっこりと顔を出し、午前3時に家路についてから眠るまでの間、幾分か反省した。 午前8時には目を覚まし、定期検診のため病院へ向かう。 主治医から、規定内ではあるが、いくらか血圧の上昇がある、と指摘され 「夜中の2時までぐでんぐでんに酒呑んでましてん」と正直に告白したところ、年齢を考えろ、あなた一体おいくつなんですか?等の非常にありがたいお言葉をいただき、足早に病院を出た。 お昼時であったため家に

          my funny hitchhikerという化け物

          悲しい生活

          私は鏡をあまり見ない。 子供の頃からずっとである。 小学生の頃、先祖の言い伝えか! ぐらいに強い意思で 断固として丸刈りを拒否していた私は、慎太郎刈り(所謂スポーツ刈り)で登校していた。なので寝癖は目立たなかったためノホホンと日々を過ごしていた。 中学時代は「なめ猫」「横浜銀蝿」などが 一世を風靡していたヤンキー全盛時代。 私はパンチパーマでヘビメタキッズという サイコパスな少年であったため寝癖など 気にしたこともなかった。 高校時代はパンクやソウルミュージック、 ロッ