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せめて、もっとミニマリストの顔をしろ

上司、燃ゆ

昨年、直属の上司が飛んだ。
イキったパーマと悪趣味なスーツが鼻につく、胡散臭い人だった。

もともと下側180度(240度くらいかもしれない)に対してパワハラ気質な人で、危うさは感じていた。
私は比較的近い立場にいたので、折りを見ては「やりすぎだ」と諫めることもあった。
その場ではいつも私の進言を受け入れてくれたが、本質的な部分は何も変えられなかった。

ある日、彼のパワハラが部下のひとりにとどめを刺してしまい、それを会社が問題視して以来、彼は職場に来なくなった。
その潔さたるや、まるでサラリーマンという身分を断捨離したかのようだった。

何事も器用にこなし、手段は別としても結果は必ず出す人だったので、会社からも認められてポジションを得ていたけれど、はしごを外されてからは早かった。
いくら仕事の上で有能であったとしても、人間的にはあまり好きになれないタイプの人だった。
確かに能力はある人だったので、私も部分的には尊敬していたが、この職位にしてこの辞め方はと、その無責任さを心底軽蔑した。


彼は近年、「ミニマリスト」を自称していた。

「ミニマリズム」というのは、厳選された必要最低限のもので暮らそうというライフスタイルだ。
管理し関わる対象を減らすことで、様々なストレスやムダから解放される生き方ということらしい。
本当に必要なものだけを見極めて、縛られず身軽に生きようという話だ。
このライフスタイルを実践する人を「ミニマリスト」と呼ぶ。

彼はミニマリズムにハマり始めていた頃、家のものを勝手に捨てすぎて嫁や子供に怒られたと、なぜか嬉しそうに語っていた。
何事も形から入る人で、そのときは「ミニマリストな俺」に自己陶酔しているようだった。
表面的にはミニマルに振る舞っていても、自意識はマキシマルな人だった。

彼はミニマリストを自称する一方で、以前から色んな金融商品や副業に手を出しては、いつかFIREするんだと公言していた。
ミニマリズムは、不必要なものにお金を使わなくなると言う点で、倹約につながると考える人がいる。
FIREも、浪費の少ないライフスタイルを取り入れることが肝要だそうだ。
もっとも、彼の指向は収入(そして消費)の最大化であって、倹約を心掛けているようには見えなかったけれど。

仕事で案件を抱え込みがちな私に、彼はしばしば「新たに何かを手に入れるには、何かを手放さなきゃならない」と忠告した。
そうして彼は、身分も肩書もキャリアも、果ては信用さえも捨てた。

彼はいま、何を手に入れているだろうか。


彼は2年くらい前から、私と同じ財布を使うようになっていた。

abrAsus - 薄い財布

古参気取りのようでみっともないが、私はこの「薄い財布」を10年以上前から愛用している。(古くなって一度買い直した)
シンプルでコンパクトなデザインと、無駄を削ぎ落とすコンセプトに惹かれ購入した。
使い勝手がよく、気に入っていた。

気付かぬうちに、隣のチームの意識高い系()も、同じ財布を使っていた。
近年、この財布が「ミニマリスト御用達」ということになっているらしい。
そしてどうやら、「ミニマリスト」という存在は、少なくない人々にとって、羨望の対象なのだそうだ。

人気商品になった過程は、まさにメーカーのブランディングのたまものといったところだが、「あいつら」と一緒なのがなんとなくイヤになって、2代目がまた少しボロくなってきた昨年、私は結局、人知れず別の財布に買い替えた。


「薄い財布」に限らず、「ミニマリスト的なモノ」というのはいろいろあるらしい。
私は「自称ミニマリスト」こそあまり好きになれないが、ミニマリスト的なモノ」が備えるべきとされる特性は結構好きみたいだ。

「ミニマリスト的なモノ」は、シンプルで、無駄がなく、機能的で、普遍的であることが理想とされやすい。
「ミニマリスト 持ち物」とか「ミニマリスト カバンの中身」とか「ミニマリスト 買ったもの」といったキーワード検索をすれば、そんなアイテムを紹介してくれる記事や動画がごろごろ出てくる。
そしてそれが私によく刺さる。

ミニマリストを自称するブロガーやYouTuberが、「ミニマリスト的なモノ」をたくさん紹介してくれる。
アノニマスな、それでていて細部まで計算され作り込まれた、良質なアイテムが次々に提案される。
あ、これ上司が持ってたな。あ、これもだ。

ただ悔しいかな、見れば見るほど、あれもいい、これもいい、と食指が動いてしまう自分もいる。


画面の向こうから、「他ではなくそれ」が厳選された理由が語りかけられる。

「ようやく購入できました!高かったー」
「見てください、この無駄のないデザイン、細部までこだわった高級感」
「正直、以前のモデルでも大丈夫ではあるんですが」
「所有欲が満たされるんですよね~」
「ミニマリスト的マストバイです」

ふと立ち止まる。
お前ら、全然「ミニマル」ちゃうやんけ、と。


あるブログでは、「ミニマリストの私はあらゆるものを無印良品で買っています(意訳)」と主張していた。
何もかも無印で揃える人がいたっていいし、私も無印のデザインは好きでよく利用するが、それはミニマリストではなく「無印大好きスト」だろう。
(購入先の選択肢を絞ることで迷いをなくす、というメリットはあるかもしれない。)

別の動画では、「ミニマリストOLが先月買ったアイテム〇〇選」などとやっている。
それはそれは買いまくっている。ミニマルでもなんでもない。
あまつさえ「色違いで買っちゃいました」ときた。
「本当に小さな違いなんですけど、新作は絶対買うって決めてる」そうだ。
ここまでくると、もはや「マキシマリスト」である。
私には、「カラバリ豊富なジェルネイル」とやらをあれこれ揃えるより、いっそその爪をすべて剥いでしまった方がよっぽど身軽になれそうに思えてならない。

(ちなみに仏僧の頭が丸刈りなのは、髪型に対する執着(煩悩)を捨てるためであると言われている。ハゲはミニマリズム。

一応付け加えておくと、いいものをゲットしたときにMNGしたくなる気持ちも、迷ったら全部買っちゃう気持ちもすごくよく分かる。(それに、爪の綺麗な女性は素敵だ。)
そして画面の向こうの彼らは、少なくとも表面上は、とても幸せそうに振る舞っている。良いことだ。

しかし、彼らの言う「ミニマル」とはなんだろう。(単なるSEOかもしれない。)


そもそも「ミニマリズム」とは、本質的には金持ちのマウントなのではないか。

モノを手放すことには覚悟がいる。
場合によっては、かなりの精神的ストレスをともなう。
それを中和するいくつかの方法のうち、手っ取り早いのは「必要になればまた買えばいい」と考えることだ。
この思考ができる時点で、その人は経済的にゆとりがあるといえる。
汚部屋と貧困には、一定の相関があると主張する人もいる。

その関門をやすやすとくぐり抜けられるキラキラ系ミニマリストのお部屋紹介では、広いスペースが残された余白の多い部屋が、憧れの対象としてしばしばフィーチャーされる。
一見、「必要最低限のモノしかないからお部屋が広々」であるようでいて、実のところはさほどモノが少ないわけではなく、「必要以上に広い物件に住めるワタシ」自慢だったりする。

「Less is more.(少ない方が豊かである)」とはミース・ファン・デル・ローエの言葉とされている。
彼が世界的な建築家だというのが、また皮肉なことだ。

ちなみに彼は「God is in the details.(神は細部に宿る)」という言葉でも知られる。
ミニマリストは、所有するモノをミニマルに厳選していく過程で、こだわりの「details(微差)」を見抜く審美眼を身に着けることと引き換えに、際限なく供給される新たな「details」の刺激に無関心でいられない。

モノの量に対してあまりに広い部屋に、洗練された家具や高機能な家電がぽんと配置される。
得てしてそれらは高級品である。

YouTuberが得意げな顔で言う。
「これ、マジで"神"です」


結局のところ「ミニマル」とは、「足るを知る」という仏教的思想に辿り着く。
やはりハゲ…、ハゲはすべてを解決する…

完璧でなくても「これで十分、これでいい」そう思えること。
大きな入れ物を持っていることでもなければ、その入れ物が満たされていることでもない。
満足とは、誰かや何かに至らしめてもらうような受動的なものではなく、もっとありのままに対する主体的で能動的な態度だ。

望んだ結果かどうかはともかく、質素でミニマルな暮らしを実践できている人たちは存在する。
しかし彼らの精神性は、ブログや動画の閲覧数に一喜一憂したり、SNSでいいねを求めたりしないだろう。
真のミニマリストは、そもそも観測できないものなのかもしれない。

星の王子さま - サン=テグジュペリ

私自身はというと、残念ながらミニマリズムなど実践できる気がしないし、するつもりもない。
持ち物は多いし、同じものを買うし、なかなか捨てられないたちだ。

そもそも物欲がマキシマムなのだ。
煩悩に抗う精神力がない。
ただ悲しいかな金もないので、頑張って働こうと考える。
そうしてあれこれ買えたらきっと自慢したいし、いいねと言ってもらいたい。
あれ?これ自称ミニマリストがやってることと同じかな?

仏教では、財物への執着から離れるために、「喜捨」といって寄付行為が奨励される。
足るを知るための道のりは、長く険しい。


件の(元)上司がミニマリズムを実践し始めたある暑い夏、2泊3日の出張に同伴してもらう機会があった。
出張といっても堅苦しい案件ではなく、カジュアルな私服で現地入りすることが許されていた。

彼が使う資料も入った重たいキャリーケースを引く私を横目に、Tシャツ短パン、小さめのリュック一つで現れた彼は、「俺みたいに最小限の荷物にすれば身軽なのに」と言った。

その日、彼は同じTシャツをもう1枚だけ着替えに持ってきていた。
服はおおかた捨ててしまって、そもそも夏服はそれだけしか持たないことにしているらしい。

訪問先から駅までの道中、ムシムシした炎天下を歩き汗だくになった彼は、やおら「あのさ、近くにアローズない?」と言い、湿気で乱れたパーマを気にしつつ、慌てて替えのTシャツを買い求めていた。

ベンチでは、地元のオヤジが上半身裸でくつろいでいた。
オヤジの頭で反射する光が、日差しの強さを物語っていた。

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