大人になってからの友達づくり
大人になってから、友達ってどういう人のこと?と思うようになった。
そんな自分にとって、NHK『あさイチ』の特集がとても興味深かった。
いわゆるママ友と、困った関係になったことがある。
仕事が休みで家にいると、インターホンが鳴り、いきなり「ちょっと聞いてくれるー?」と来るママ友がいた。
「今から出かけるの」と言えば理解してくれたが、だんだんと付き合うのは無理だと思うようになった。
彼女にとって私は、たぶん友達ではなく「愚痴を聞く人」「都合のいい人」なんじゃないかと感じた。
ある日、用事で一緒に出かけた帰り、喫茶店に入った。
「もう出ようか」というタイミングを無くしたまま、彼女は3時間ほど話し続けた。
義父母のこと、実家のこと、学校のこと、感情的な話を聞かされ、帰宅するとグッタリした。
3日ほど体調が悪く、もうこれは自分にとってよくないと感じた。
LINEも最低限の返事にし、親身に話を聞くのはやめた。
そのうち関係は希薄になっていき、いきなりピンポーンはなくなった。
でも、彼女にはひとつだけ感謝していることがある。
感情的で話の長い彼女とのやりとりを見ていた夫が、「有料で話を聞く人になれば?」と私に言った。
そんなことがきっかけとなり、カウンセリングを学ぶことに興味を持った。
あのころの私は今以上に聴き方も下手で、だから堂々巡りの話が終わらなかったのかもしれないなと、今になって思う。
友達になりたければ、その定義のハードルを下げればいい。
その逆もまた、自分で決めればいいことだと思う。
「利」って偽物の友情じゃないの?と思われそうだが…、と藤野先生がおっしゃっていた。
でもそれがアリストテレスの言う友情論の魅力でもあるのだと。
一方でアリストテレスは「相手によかれと願うこと」だと言った。
ほんとそれだ!と思った。
どちらかがテイカーになるのは、かつての私が疲れ果てた友達関係になってしまう。
やはり友達なら、自然と相手によかれと願うのではないだろうか。
②の《質》については、親友でなくてもあいさつができる人など〈ゆるやかなつながり〉も、友達と同じように幸福感をもたらしてくれるのだそうだ。
私は②の質を大事にしたいと思っているけれど、結果的に①の新しい関係ができることもある。
友達はライフステージによって変化していくもの。
一人目のお産のとき、頼んでいないのに(笑)ずっと付き添ってくれた同級生の友達がいた。
彼女がいれば、もう他に友達はいなくていいと思っていた。
日々の暮らしに追われるうちなかなか会う時間がなく、お互い他に友達もいる。
そんな彼女だが、会わなくても繋がっているという思いがずっとある。
年に一度くらい長電話をする関係、これからは会う機会をつくっていきたい。
リポーターの森花子アナのまとめ。
いま皆さんが、ただのママ友、職場の同僚だと思っていても、その人がこの先、皆さんの人生を支えてくれるかもしれない。
気づいていないかもしれないけれど、大切なものは目の前にあるのかもしれないと結んでいた。
そういう森花子アナは生放送中、鈴木奈穂子アナに「友達ですよねっ」とアツアツの視線を送っていた。
森花さん、いいヤツっぽくて面白いとこ好きです。
さて、私の友達について。
PTAの役員をして知り合った人は、お互いの子どものことはよく知らないけれど友達だ。
エッセイ教室で知り合った人、カウンセラーの勉強を一緒にしている人。
なぜか、「友達がいないの」と言ってる人ばかりが友達だ。
じゃあなに、私のこと友達と思ってないんか?と突っ込みたいけど、こっちもそう思っているから・・・。
ひとりが好きというのも、友達に共通している。
みんな自分の場所で頑張っていて、なかなか会えないけれど会えるのをどこか楽しみにしている。
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