この山のむこうに
苦しくなった時、
「いつまでも今のままいるはずない」
「これを乗り越えた向こうに、いい景色があるにちがいない」
「これは自分を成長させる試練だ」
心で自分にそんなことを言う。
でもさすがにヘタレ気味で、あの手この手で気持ちを奮い立たせてはみるけれど、心が折れたような気がした。
(おーい、レントゲン)
自分にとって大切なのは何?
もう手足のように使われるのは嫌だ。
そもそも以前は、こき使われてると思ったことなどなかったのに。
深夜帰宅の夫に「もう無理かも」とこぼすと、珍しく「もうやめればいいよ」と。
ミタライに言えば全部お膳立てしてくれて、嫌なことも排除してくれる、お姫様先生そんな風に思ってないか?
いや、それさえ想像できないから、次々に要求するのだろう。
ここ数ヶ月はもう頭がおかしくなりそうだった。
気晴らしをしてみても、仕事に戻ればまた同じだ。
そして今日、準備してきた国際セミナーが開かれた。
招聘した外国人研究者が、あちこちで談笑している。
教授が、ここまで来ましたねと声をかけてくれる。
zoomの参加者から質問が飛び、コーヒーブレイクもあちこちで話が盛り上がっている。
よかった。これでいいんだ。
陰でどれだけの苦労があったかなんて、もうわからなくていい。
今日の成功がご褒美なんだ。
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