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アルトマーレはラティアスとヴェネツィアへのロマンスを刺激し続ける【映画 水の都の護神感想】


8月18日

ラティアスの映画が今日で終わりと気づいたので、駆けこむように最寄りの映画館で観てきた。今日の最終上映だった。

もう何十回も繰り返し観たお気に入りの映画だから、殊更に強い新しい発見や感動はないと思っていたけれど、全くそんなことはなくて、始終泣きどころではないはずのシーンでも目が潤みそうだったし、絶妙なタイミングで入るアコーディオンの音楽に胸がざわざわしたし、アルトマーレの街は子供の時に観たのと同じように(それにも増して)魅力的だった。

オープニングの水上レースで、ラティオスとラティアスがサトシの船を引っ張ってあげるシーンがある。2匹は人目を避けているので、体を透明にして隠れているのだけど、一瞬だけ、色がついてぱっと2匹の姿が見える場面がある。

それはちょうど2匹が水路に日光がさしている部分を通ったシーンで、そこを過ぎてまた日陰に入ると体はすっと透明に戻る。これは、光の屈折度を利用して姿を消すラティオスとラティアスの設定が反映されていているのだと気づいた。「ゆめうつし」や「人間への変身」などはもちろん、細部までもラティ2匹の表現にこだわりがあって感心してしまった。もっと好きになりそうだし、実際なってしまった。

こだわりといえば、さりげないカットに登場する「モブ」なポケモンたちの描写もたまらなくよかった。お嬢さまに連れられて水道のお水で水浴びをするシャワーズ。街角のベンチに座って編み物をするお婆ちゃんとロコン。アルトマーレの街ならではのポケモンと人間の生活がきちんと解釈されていて、なんてことのないシーンにも、ひとつひとつ丁寧に愛らしく描かれている。

野生と思われるポケモンたちも生き生きしている。2匹のポッポが水の噴き出るオブジェで羽を休めていたり、水路から飛び出す木の竿に、悠々とヤンヤンマが足を留めていたり。  
とにかく舞台とポケモンがごく自然に没入していて、おしゃれな世界観が当たり前のように目の前で過ぎ去っていく。

敵キャラの女怪盗のチャーミングさも、改めて再確認できたように思う。

紫髪のリオンは知的で分析の得意なクール系なのに対して、黄色髪のザンナーは宝石やお洋服にしか関心がないギャルだ。ふたりは結局最後まで改心しないのだけど、その倫理観の欠如さえも耽美な世界観に合っている気がしてしまう。実は幼馴染み同士だという設定もなんだかずるい。

ターゲットのラティアス(少女の姿)への第一声が「その服はどこのブランド?」だったり、縛られているラティアスを助けに来たサトシには「この子のファッションチェックをしてあげてるの」と、凄み方も女悪役らしくて良い。ヴェネツィアがファッションの街であることとも掛けられているように思う。

女怪盗の手持ちはエーフィとアリアドスだけど、アリアドスには気になるところがあった。

逃げるサトシを追う際には「あんたもよ!」と言われてからようやく走り出したり、路地の角を曲がるエーフィの後を躊躇いながらあたわたとついて行ったり、ザンナーとエーフィがピカチュウの10万ボルトでやられた時も何もせず見ているだけだったり、意外にもポンコツなのだ。これは今まで気づいていなかった部分で、ついにやにやしてしまった。

ラティアスは昔観たときの5000倍増しに可憐で可愛くて胸がキュッとなった。

サトシの肩をトンと優しく押してブランコに座らせてから、後ろに回ってブランコを立漕ぎしたり、無口な主張の仕方がいじらしくて守りたくなる。 

個人的には、サトシを秘密の庭まで案内する時に、曲がり角でぱたぱたと足踏みをしてみせる仕草がいちばん大好きだ。

同じ顔だけどカノンとは絶妙に描き分けられていて、ラティアスはどこか目が遠く澄んでいて、表情が常に微笑の感じ。

無口で好意を表す感じがどこか『エヴァンゲリオン』のヒロインの綾波レイを思わせる気がして、少し調べてみたらどうやら声優さんが同じらしい。

そういえば物語のはじまりは「境界を越える」ことだと聞いたことがある。国境を超えると雪国だったり、トンネルを抜けると神の国だったり、物語でゲートを潜ることはすなわち別の世界へ行くことと同義だという。

ラティアスの映画においてのそれは「藤の花の咲くアーチ」なのが素敵だ。藤の花の咲くアーチを超えると、ラティオスとラティアスのいる秘密の庭だ。

最後にキスをしたのは、「カノンのふりをしたラティアスのふりをしたカノン」だと思ってやまなかったけど、今回改めて映画を観たらやはりラティアスなのではないかと考え直した。

でも、本当はどちらも間違いで、
あの女の子は「アルトマーレの街そのもの」だったのではないかとふと思う。

ラティアスでもありカノンでもある少女は、アルトマーレに住む「ポケモン」と「人間」をオーバーラップさせた存在だ。どちらにもなり得る二重性は、人間とポケモンの共生するアルトマーレの街全体を代表し、ゆるやかに包括する。

だから、あのキスを、アルトマーレがアルトマーレを救ったサトシに示した柔らかな感謝だと解釈してみるのはどうだろうか。

ラティアスか、カノンか。
長い論争に新しい解釈を投じて、どちらか分からないことそれ自体に、意味を持たせたいと思う。

ああ、でも。
それはたとえ真理に近くても、なんだかすごく寂しいことのように思う。どちらか分からないことと、「こうあってほしい」は別に存在したっていいはずだ。

やっぱり私はラティアスがいい。

いつかヴェネツィアに行くことがあれば、その時はきっとこの映画の夢を見る。

最後のキスのシーンは、憶えていたよりもずっと長かった。

2022 8月18日


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