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私が「日本の子ども達を底上げしたい」わけ

こんにちは〜。

私は今新卒を蹴って世界放浪している身なのですが、旅の疲れもだいぶ溜まってきてて、もうすぐ始まるカンボジアのボランティアに向けてホーチミンでゆらりくらり滞在してます。(ホイアン行くの諦めた🥹)

そこで自分自身と向き合う場面が多くあって、自分が旅に出た目的の一つである自分の野望についてお話ししたいと思います。

私は

「日本の子どもを底上げしたい」という野望

があります。
その野望の理由を大きく3つ話せたらと思います。

ではではスタート!

理由① 日本の未来への危機感

私はコロナ禍で自分なりに学べる環境は何かな〜と思った時にオリラジあっちゃんの「YouTube大学」を観ていました。
その中で少子化への危機感を強く感じ、またその数少なくなっている子ども達でさえ不登校やいじめ、精神疾患など、精神的な不安を抱えているのがどうも勿体無いなって。
本来子どもたちは限りない可能性を秘めていて、病んでその可能性が狭まっていいとは思いません。(もちろん病んだ経験が何かの役に立つことも私の経験上知っているけれどマイナスに働くことの方が多いかなって)

日本の大人は正直腐っている人たちが多い
日本人は精神的に全く健康じゃない

でも固定概念ができつつある大人の人たちを救いきれないし、子どもなら救えるんじゃないかと思ったためです。

理由② 自分の経験を活かすため


ここは少し重くなります 
ご了承ください!でも最大の理由です!

私は小さい頃から色々繊細に感じ取るせいもあり本当にしんどくて
小6のとき、女子の荒波に揉まれ不登校になって、誰も味方についてくれず。小6の私たちに担任は虐めた側と私を「握手して仲直り」と握手をさせた。そんなんで解決する訳もなく。親は必死に改善策を見つけようとしながらも外に出向く(カウンセラー等に解決策を聞きに行く)ばかりで、肝心な私の気持ちは全く聞いてくれなかった。実質的には味方になってくれず、自分の娘が不登校であることを受け入れられず私を理不尽に罵る、蹴る、殴る(言葉で傷つけられるのが一番しんどかったな)
親が呼んできた心理カウンセラーは私の「話したくない」の気持ちをガン無視で家中を逃げ回る私にズカズカ追いかけ続け。(今考えたら信じられない)
不登校が終わっても爪痕は残り続け、中学では友達をうまく作れなかった時期もあった
高校では癒えてない傷がぶり返し、何度も自分を傷つけてきたし、曖昧に解決した風に思えた家族内の問題が露呈し、家庭崩壊
過呼吸になって、恐怖で全く動けなくなるほど私を傷つけた
学校では理不尽なイジメも受けたし、大学になっても恋愛を主に対人関係において、過去の経験から自分を大切にできないことが大きな弊害となってきた
しんどくてしんどくて何度も何度も死にたいと思った
小6だった私はなんとかして死ねないかなと、赤信号を渡ってみたり(それまでクソ真面目で点滅ですら渡らない子どもだったのに)、数日食事を取らないでみたり、寒い場所に寒い格好で居続けたり。
本当に今考えたら馬鹿げてるけど、とにかく死にたくて仕方なかった
未だに希死念慮は消えないけれど、どう頑張っても死ねなくて。
その度に「私が唯一生きる理由は後世の子どもたちにこういう思いをさせないためだ、絶対救ってやる」。クサイけれどそう思いました。

マイナスな経験をしてきた私だからこそ出来ることは沢山あると思う
不登校の子や精神的に傷つきやすい人、自分を大切にできない人がどんな思いを抱いているのか、どうして欲しいのか、小さい頃の傷を癒さないとどうなるか、などなど
当時、親が、担任が、カウンセラーが…あんな対応をしていなかったら、と思ったことも多くありました。
逆に良くも悪くも昔と比べて不登校が浸透している今、色んな制度も増え、今はこんなサポートがあるのか、と嬉しく思ったり。それをどう活かしていけたらとか考えてみたり。

自分と同じような思いをする子どもがこれ以上増えることが耐えきれないです。そのためにマイナスな経験をしてきた自分ができることをしたいと思っています。


マイナスな経験を踏まえて
不登校の親御さんに向けて書いた記事があります。
よかったら読んでください :)))


理由③ やっぱり子どもが大好きだから😊

私はやっぱり子どもが大好き!!
この旅の間に今の所一箇所だけホームステイ先に子どもが居たんです。
子どもと触れ合ったのは3月の終わりに児童養護施設のアルバイトを退職して以来で、久々だったのですが、本当に可愛くて元気がもらえて🥰🫶

やっぱ子どもって宝だな〜!
そしてちょっと触れ合っただけでこんなにパワーを貰えるなんて私本当に子ども大好きなんだな、と実感して。
やっぱ子どもを救いたい、そう思いました。

「日本の子ども」な理由

これは単純にやっぱり自分は故郷が大好きなんだなと実感するからですかね。

これは正直固まり切ってないからもしかしたら今世界を珍道していく中で、子どもを救いたい国が出てくるかもしれない!
だけど多分私は結局、日本の子どもに辿り着くと思います。
何故かと言うと海外に行く度に「あー日本ってやっぱすげえなぁー!」って日本が大好きになるから!

こんなに凄くて素敵な国なのに、肝心の日本人は精神的に腐っていて本当に勿体無い!!!

まずは未来ある子ども達から、日本を変えていけたらと強く強く思います。

私が野望のためにやってきたこと

①学習支援、居場所支援のボランティア

最初は何をやればいいかわからなくて、近所にある青少年自立支援センターというところで居場所・学習支援のボランティアをやりました
学のない私に小中学生に勉強を教えられるのか、子どもたちと関わるのが久々すぎてどのように関わればいいのか右往左往の日々でした。
だけれども相手がこどもであれ結局人であることに変わりなくて、人対人のコミュニケーションを取っていけばいいという単純なことに気づき、教える立場のはずの私が、同じ目線で子どもと向き合うことで、逆に子どもたちから沢山のことを学ぶことができました。
そこで現代の日本の子どもの生き方、考え方、学校の様子など少なくとも大枠はつかめました。

②児童養護施設でのアルバイト

自分が大学卒業時に児童指導員の資格を取れることや、もっと「恵まれない子ども達」と呼ばれてしまう領域に踏み込んでみたくて児童養護施設でアルバイトを始めました。
で、その「恵まれない子ども達」の現状を目にしたとき、私が感じたことは「この子達は恵まれている子ども達だ」ということでした。
たくさんの大人達に色んなことを教えて貰いながら、支えられながら、美味しいご飯を食べて、色んな経験をしている。
想像を超えた豊かな暮らしでした。
そしてその中で人に慣れた、優しい子ども達が沢山暮らしていました。
でも、その中でも「親がいないこと」の影響はその豊かささえも奪い去るものだなと感じました。
例えば子ども達の中にどうせあなた達は「仕事」として私たちを養っている、職員さんは親の代わりでしかなくて「私だけのもの」ではない、そんな意識を感じました。
それに夜はどんなに小さな子どもでも個室で1人で寝ていたのですが、大人達に構って欲しいと叫ぶような言動が垣間見えて、心痛く、所詮ここは施設でしかないのかな、とか、このような幼少期が将来の愛着にどのような影響を与えてしまうのか、すごく怖くなったし考えさせられました。

本当に色んなことを考えさせられる場面が多かったこの児童養護施設での経験。本当に自分にとって有意義な時間でした。
また、3歳から中3まで(私の担当したユニットは)様々な年齢の子どもが居たので、色んな年代の子どもと関わる方法を学べたし、子どもとの関わり方もボランティアより深く深く学べました。

③自分が色んな経験をする

これは今回放浪旅に出た大きな理由の一つです。
児童養護施設のアルバイトをしていた時に職員さんから頂いた言葉で「私たちは何か特定の先生な訳じゃないから、自分が経験したことをなんでも子どもに教えてあげられる。自分の経験が多ければ多いほど、子どもに与えられるものが多くなる」といったものがありました。
それは凄く納得できるし、私も前々から考えていたことで。
私にとって憧れな人や一緒に居て楽しい人はどんな人だろうって自己分析した際に「豊富な知識や経験があり、それを与えてくれる人」が一つにありました。
そんなふうに人様に良い影響を与えられる人、豊富な知識や経験を共有できる人に私もなりたい。
そう思ったので、自分が今できることは経験を沢山することだと思いました。

④自分が精神的に強くなる 


これもまた今回放浪旅に出た大きな理由の一つですね。
児童養護施設のアルバイト等でも感じましたが、問題を抱えた子ども達の相手は精神的に正直だいぶ疲れます。一つ一つの自分の言動に気を遣わなきゃいけないし、逆に子ども達の一つ一つの言動に気を留めなければならない。愛情が足りない子ども達をいかに大きな愛情で包み込むか。
なかなかこれも一筋縄ではいかないものでした。
将来関わる子ども達のために強くなりたい、彼らを大きく受け止められる人になりたい、そう思いました。

こんなところかな🙂
こんだけの思いを詰め込んだのでいつかこの野望を現実にしたい、そう思っています。

こんな私の野望でした!☺︎
その中で「新卒蹴って世界放浪」という手段を選んだ理由もどこかで必ず書きます🤭🧸

読んでくださったのならありがとうございます!

😉💐

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