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思い描けていないものは手に入らないので。-what is your happiness?

高校のときはなかなか個性的な先生がたくさんいて、3年のときに生物を教えてくれた先生もそのひとりであった。あるとき、長期休みでその先生がネパールに旅行へ行ってきたということで、授業で旅の話を聞かせてくれた。

話の細部は覚えていないのだが、確かヒマラヤ山脈に登ったのであったか。とにかく都市部だけではなく、山の方や村などのローカルな場所で、現地の人たちとともに過ごすような旅だったと記憶している。現地の人とともに写る写真をスライドに投影しながら、静かに淡々と旅の話をしてくれた。

その中でいまだに脳内に記憶されていることはふたつある。

ひとつは、チキンカレーの話。

「チキンカレーとなんとかカレー、どっちがいい?って(現地の人に)聞かれて、じゃあチキンカレーって言ったら、そうかわかったと言って、その場でにわとりを絞めて、チキンカレーをつくり始めたんだよね」。

目の前で動き回っていたにわとりが、自分のひとことによって自分の目の前で命を失い、チキンカレーとなって出てくる。それを食べて人間がエネルギーを得る。

日本でも、自分が鶏肉を口にするにあたっては同じ行程をたどっているはずなのに、日本の都市や街で暮らしていると見えにくくなっている。命を食べるということについての示唆。

そしてもうひとつ、より深く心に残っていることがある。

それは、先生が現地のネパール人に「あなたにとっての幸せは何か?」と訪ねられた、という話だ。先生は確か、即答できなかった、と言っていた。

そして即答できなかった先生に対し、ネパールの人は言った。

「自分にとっての幸せが何か、わかっていないの? それを普段からちゃんと考えておかないと、その幸せを手に入れる前に、人生なんてあっという間に終わってしまうよ。僕はいつも、自分にとっての幸せが何かを考えている」

そしてこのフレーズは、その後も私の中で何度も反芻され、当時詰め込んだ知識がすべて脳内から抜け落ちてしまった現在も生き残っている。

どういう状態になれば、自分にとっては幸せだと言えるのか。健康に生きたとしても数十年という、誰にとっても例外なく“有限”な時間のなかで、あなたはどんな状態に身を置いていきたいのか。

幸い私は、早い段階からその問いをもらえたおかげで、周りの人から反対されたりもったいないと言われたり、まあとにかくいろいろ言われてきたけれど、それでも「人は人」と舵を切りつづけてきた。

そのかいあって、だいぶ波乱万丈ではあるけれど、最近ようやく、自分なりの幸せの方向にはゆっくりではあるが着実に近づいてきているのだな、と思えるようになってきた。

どういう状態を、あなたは幸せと呼ぶのだろう。はっきりと言語化できなくてもいい、イメージでもいい。その答えは常に、自分の心のなかに思い描けているといい。


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