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「みんなのフォトギャラリー」で感じる贅沢

先週のある日、noteをひらいたら、うれしいクラッカーがあらわれた。

こうやって、自分では見過ごしてしまう小さな節目節目で、さりげなく背中を押してくれるnoteの、人間味あふれるしくみがとても好きだ。

冷たい画面を通してだけれど、たしかにその先には「ひと」がいるんだなあ、と思わせてくれる。そしてその「ひと」たちが、大多数や特定の著名人だけじゃなく「ひとりひとり」のことにも思いを馳せて、つくってくれたしくみだよなあ、と。

スキを押したときのコメントにバリエーションを用意してくれたりとかね。あったかい。

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ところでいまでは当たり前のようになってしまったけれど、「みんなのフォトギャラリー」は個人的に、とてもとても贅沢なしくみだと思っている。

たまにふと、みんなのフォトギャラリーでヘッダー画像を選ばせてもらいながら、改めてその贅沢さに思いを馳せて、ふおう!とため息をつく。

だって、自分の書いた文章に、自分ではない人の作品であるイラストや写真を、なんの気兼ねも相談もなくサラッと使わせてもらえる、ってものすごいことだと思うのだ。

事実とはちょっとちがうけれど、感覚としてはときどき「プロのイラストレーターさんが、自分の文章にぴったりの挿絵をつけてくれるような」感覚になる。よってその贅沢さにときどきため息が出るのです。はああ、と。

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とくにわたしの場合、写真を撮ることは好きでも、自分の描くイラストはもうどうにも残念レベルだと自覚しているので、昔から素敵なイラストに対するあこがれと尊敬がすごい。

自分で書いた文章に添えるビジュアルを考えるとき、なんかこう、現実的すぎる「写真」じゃなくて、見るひとによって印象に余白のある「イラスト」を添えたいなあ、と思うときは多々ある。あるのだが、自分では、自分の理想とするような絵が描けないので、モンモンとしてしまう。

それでも「みんなのフォトギャラリー」がなかったときは、しかたがないから下手を承知で自分でなにかしらを描いてみたり、写真に逃げてみたりしていたわけだけれど。

でも先日、「自分の絵をヘッダーにしていたnoteの過去記事」をtwitterでシェアして、思った。“うおお、このクオリティの手描き絵がサムネイルとして堂々と表示されちゃうの、なんかとてつもなく罪悪感を感じるぞ!”と。

もう最近は「みんなのフォトギャラリー」で質の高い素敵な素材ばかり使わせていただいていたものだから、目が自然と、そのクオリティのサムネイルに慣れてしまっていたのである。

そしてまた、改めて痛感した。もう当たり前のようにその恩恵を享受してしまっているけれど、「ああ、ほんとうに、『みんなのフォトギャラリー』って贅沢だよなあ……」と。

* * *

そんなわけで、「みんなのフォトギャラリー」、自分がアップしはじめたのは遅かったけれど、とてもお世話になっている。

提供側としても、自分のnoteのなかだけに埋もれてゆく数々の写真が、だれかの目にとまり、また表舞台に引っ張り出してもらえるのはとても嬉しいもの。単なる偶然でも、ふと目にとめて使ってくださったみなさん、ありがとうございます。嬉しいです。

ワンクリックで使わせてもらったり、使ってもらったり。

持ちつ持たれつな感じでまわっている、この気軽でゆるやかなつながりが、自分としてはとても心地よい。


(おわり)


P.S.ちなみにフォトギャラリー内、「#poconen」で検索もできます。宣伝〜。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。