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娘が生まれた雨の日のこと。。。奇跡

この間娘の誕生日でした。

13歳おめでとう。

時間は早く娘の成長に、私が全然ついていけてないなと思う。

特別な日。

毎年ウクレレを弾きながらハッピーバースデイを歌うママ。今年は歌い終わったあと、娘と目が合いちゃんと聴いていてくれた。何か感じた気がして嬉しかった。

娘が生まれたのは本当に奇跡な事。私が生きているのも娘のおかげ。

2007年12月から2008年5月まで一人で妊娠を乗り越えた。もともと彼の出張を機に別れる気でいた。複雑すぎて何も言えない。

そのあと、クリスマスに妊娠が発覚した。出張中の中、しょうがなく籍を入れる。籍を入れるのも結婚したいわけじゃなかった、退職しなきゃいけないし、自分の健康保険がなくなるからとりあえず籍をいれた。これは正解だった。

妊娠中7カ月目にして、あげたくない結婚式をして無理をしてしまい、(準備は一人で全部やった旦那は出張中で不在。)そこから先生に絶対安静と言われる。少し歩いても、お腹の張りとの闘い。痛くて痛くて怖くて。お腹が落ちてしまうのではないかと、本当に怖かった。そして、逆子になったり、戻ったりと、まともに歩けなく。安静が解けたのが35週。そのくらいから数カ月違いのママ友と会ったり、歩いたり沢山した。なかなか生まれる様子もなく。臨月になり、40週を越えて、先生と話をして、41週を越えると羊水が濁ってきてしまうので計画分娩になる。

入院日が決まり、入院当日、子宮口を開けるための海藻(ラミナリア挿入)ここから激痛が始まる。拡げるラミナリアが痛すぎて泣く。とにかく痛い。痛いしかない。挿入後にパパが来て、号泣した。痛すぎて無理~と。まあ相手は困るだけ(笑)

ラミナリア入れたくらいから陣痛?みたいもの始まる。夜、あまりにも痛いから分娩前室に行くも子宮口全然開かず、とにかく痛い痛い叫びまくって、先生呼びまくってた。陣痛なのか、便秘もあったから、便意なのかも感覚わからなくなる。

出産当日は奇跡的に雨で、パパが仕事休みになり立ち合い出来ることに。

だけど全然子宮口開かず。寝不足だし、ずっと痛くて泣いてるし、そんな中でラミナリア抜かれる。和通麻酔と誘発促進剤、ラミナリアでの痛みが酷すぎて、痛みが和らぐ和痛麻酔してもらうことに。少し痛み和らぐが、そこから、誘発促進剤を入れたので陣痛が始まる。だが、子宮口は全然開かず。まだ4センチ。陣痛が起きて分娩室に移動。人工破水をプチっとされ、そのあとにおしるし。ずっとNSTを測っていて、もう何時間たっているの?っていうくらいの長時間。そんな中で緊急事態。

NST赤ちゃんの心音と私の血圧低下。。。私はただただ陣痛に耐えている。血の気が引いてきた。先生、看護師さんバタバタしだし家族外にだされる、パパ呼ばれる。パパ冷や汗かいてる。なんでお前が焦ってるんだよ!て思いながらも、先生に赤ちゃんの心音もお母さんの血圧も危ない状態なので、

緊急帝王切開になりますがよろしいですか?って

いいから早く~て感じで

緊急帝王切開に。手術ってなったら本当に早くてお腹切って数分で赤ちゃん産まれました。お腹切られて、赤ちゃんを取り出すときはなんとも不思議な感覚で、お腹が引っ張られ、「おぉっ」と声が出ました。赤ちゃんが全然下りてこれなかったのは、臍のをが巻き付いていました。これだけは生まれなきゃ分からないもんね。赤ちゃん泣いて、すぐ胸に抱っこさせてくれて、「やっと会えたね~」といい私は深い眠りに。。。

出産てこれで終わりかと思えば。まだ続く。

起きた後、まだ麻酔が効いていてぼーっとしていて、麻酔が切れてから、

再び陣痛が起きました「後陣痛」というもの

またしばらく陣痛に「ふーふー」と深呼吸しながらの帝王切開の傷の痛みが始まりました。起き上がるのも一苦労で。授乳の時だけ赤ちゃん連れてきてもらうっていう感じでした。出産ってほんと大変。。。

14年たった今でもよく覚えています。

この間娘に大事な話をしました。

娘が奇跡っていう事を。ママは救われたんだと伝えたら。

ちゃんと最後まで話を聞いてくれました。

自分が大事にされてるって伝わってくれたらいいな。

読んでいただきありがとうございました。

出産ってみなさんエピソード違くて本当に感動します。

私はもう出産は諦めたけど。娘との時間を沢山過ごせたら

それだけで充分です。




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