宝石箱をひっくり返して頁を読み返してみる2018年vr



NOTEを始めて。共感できたり、いてもたってもいられず言葉にしたくなったり、そういう頁たちに、出会った。

作り手としては、これは盗作なのか、二次的な創作物に過ぎないのではないのか。とか。悩みながら。

でも、コメントなんかじゃ全然足りない。て思った。だって、画面の向こうに寄り添いたいのに。コメント一つで叶うなんて。そんな言葉で、何が伝えられるんだ。とか、勝手に熱くなったりして。

だから、私に伝えられることなんて、詩しか、なかったのだ。だって私は。詩人だから。私の世界から見えたあなたに、花束のような、エールを。そうしているうちに頁がまとまってきて、気づいたら詩集になっていた。

これは、返答詩集だ。大野弘紀が、名だたるNOTERたちの記事を、詩にカバーしたのだ。そう。これは、カバーアルバム。と。勝手に思っていたりして。

誰かにパクリだ、とか。盗作だ、とか。結局は自分で何も生み出せないんでしょ、とか、後ろ指をさされるのではないか、と怯えながら書いていったけれど。

驚くほどに、それらは伝わっていた。

「寄り添ってくれて、ありがとう。」
「私の、宝物です。」

そう。技術や記事の発想やコンセプトを真似したかったんじゃない。
その渦中にいたあなたの心のありとあらゆるものたちに、私は寄り添いたかったのだ。詩というフォーマットを使うことによって。
嗚呼、私が言葉を尽くして届けたいものは、ちゃんとその手に渡っていた。

そうして読み返してみたマガジンは、やっぱり宝物みたいで。
振り返ろうと思った。

もうなくなって、思い出せない記事もあるのですが、今ある記事に絞って、綴っていこうと思います。
一年分の記録なので、とても永い(と思います)です。

もしよかったら、どうぞ。


あの時感じた誰かの悲しみは、明日のあなたが知る今日かもしれない
あの日あなたが知った涙の理由を、誰かが今日、辿り着いたのかもしれない

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日々を生きて行く中で、大切にしたいものは、実は日常にあったりして。毎日を丁寧に生きたい。いつも思うのに、なぜか上手くいかない。それでも。諦めたくない。それでも。その先にある答えを、言葉にしてくれた。


そうやって、生きて行くなら、何が自分の中に残るのだろう。誰かを、何かを、日々を。大切に。そうしたときに、私は、一体、何から大切にされるというのだろう。そんな虚しさをすくいとってくれた。そうだ。残すべきは、愛し愛された、思い出だ。そしてその絶望は明るいと、佐々木氏は語る。明るい絶望。そうだ。絶望が暗いなんて。誰が決めたんだ。


そうして生きて行く日々は、結局のところ、無駄のようなことばかりかもしれなくて。でも、前ほどの絶望は感じない。だって。絶望は、眩しい。そして、大切なものは、いつだって、そうなんだから。大事なのは、それらをどうやって、守っていくか、なんだ。


考えてみれば、絶望と希望は、等しい重さがあったのかもしれない。
そして、思い出は、希望。誰もが語ってきたものが、星のような輝きになって、像を結んでいく。人生をかけて出逢い、人生をかけて、守っていく。


どうしてか、何か悲しみに、寄り添いたくなったみたいで。
私は別に結婚もしたことないし、恋愛だってしたことはないのだけれど、
でも、そういう別世界にあるほんの数ミリくらいの隔たりを挟んで見える
向こう側の世界の悲しみが見えた時に、どうしても、寄り添いたくなってしまった。コメントじゃ書ききれない。そうだ。詩にしよう。私は詩人じゃないか。詩は、祈りじゃないか。
 言葉一つで、悲しみと戦うあなたに共感と賛辞を。


少しずつ、書き手や作り手の思いに、私の感情が重なっていく。
状況や業種は違っていても。「職業:母」そんなあなたはちゃんと輝いている。みんなみんな。そうなんだ。それは。共感だった。


作品が読まれることの葛藤も、知った。
そうか。そういうことも、あるのか。伝わる喜び。伝わってしまう悲しみ。
私はきっと、応援したいのだろう。一人じゃないと。励ましたいのだろう。
あなたのその決断は、すべて正しいと。ただただ、肯定を、していきたいのだろう。


どのノートも大好きだけれど、時々、音楽で言うところの、フレーズにやられるということがある。これはもうそういう種類のもので。


「よく考えよう。俺たちは明日、仕事だ」「時計見てごらん、今夜9時だ」
「よし、よく考えよう。いまから家に帰って、お風呂入って寝るだろ?」
「起きて会社来たら」「朝9時には、会社で会ってるから。」
「寝て、起きて、会社来たら会ってるから」

「ほんまやー! 」(合唱) なんてことだ。
そこにある感情と喜びと寂しさをおもいやって。
嗚呼、これはもう、詩にするしかないと、思った。


生きづらいと思ってます。私も。だから、お便りを出すかのように。
寄り添ってみた。辛いよね。生きるって。苦しいし、大変なことも。多いよね。でも、私はもう、眩い絶望も。それが希望と等分であることも、どんなに頑張ってもそれが叶わない人がいることも。それを糧に紙とペンだけで歩もうと決めた人がいることも。知っているのだ。そしてファンタジーみたいに遠い場所で幸せになっていく人も。だからこそ。共感を。


そんな人が、変わり続けることを、希望と詠んだ。泣ける。
だから。泣きながら、詩にした。あなたの軌跡は、なんて、美しいだろう。


詩的な文章を書く。シンパシーを感じる。もしかしたらこの人と私は、どこかで同じ景色を見たのかもしれない。というような。確かめたくなる。
それは、路上で見かけた演奏者に、背中に背負った楽器を取り出して、鳴らしてみたくなる、そんな衝動に、似ている。
言葉は、私の中にあるのに、飛び出したら、世界と繋げてくれる。
嗚呼、それは、音楽ならぬ、文楽だ。

生きて行こう。死なないで。二つの祈りを、込めながら。


旅は好きだ。旅をするというより、その言葉とか、そこにこめられた雰囲気が好きだ。そんな大好きを真空パックしたかのような、そんな記事を書く人がいる。なんて素敵なのだろう。世界という世界を旅して、そこで見た景色を写真みたいに鮮やかな言葉で教えてくれる。そんな素敵な世界を知ってしまったら、描いてみたくなるじゃないか。画家は、美しい風景を見たら、描かずには、いられない。音楽家は、奏でずには、いられない。そして詩人は、紡がずには、いられない。

その時、時間は、とてもはやくて追いつけない
できることは、「お願い」「暮れないで」とお願いすることくらいしか、なくなってしまう。だからその切なさを含めて、私は生きることが、愛しくなってしまう。


期待することを諦めるというのは、何か寂しい感じがする。だから、やめたくない、と言われると。拳をつくってしまって。「頑張れ」と背中にエールを送りたくなる。「負けないで」と。そんな時、応援している私が、ここにいるよ、と伝えたくなって、しまうのだ。止められない。そうだ。止まらないだ。絶望は、希望になる。何度だって。生きていく限り。
そして、私は、あなたの幸福を、詩にしながら、願うのだ。


期待と失望。それでも。待たずにはいられない人生。
集合無意識ではないけれど。この世界は繋がっているのだろうかと。
思う事がある。
待っている。その努力が報われて欲しいと、勝手かもしれないけれど、願ってしまう。嗚呼。まるで。春風だ。


NOTEのきっかけは、この方の記事を読みたくて、だった。
追いかけるように、NOTEを始めた。(懐かしい)数ある記事の中で。お気に入りの物語。雪って、優しいんだ。私とあなた。心と世界の隔たりを。埋めてしまうくらいに。


そして幸せは旅の彼方の、日常の中にあると、帰結する。
旅という非日常が、日常の小さな奇跡を教えてくれる。
ここまでの記事を読んでいくと。もはやロードムービー的だ。
誰かの絶望が、誰かの言葉によって反転して
旅立った世界から、ふとした瞬間に、日常に戻ってくる。
何度も何度も。繰り返しながら。止まることなく。
そして、忘れては、思い出す。
失くした分だけ、拾うように。
なんて愛しのだろう。日常というものは。そして、笑い合える人がいるということが。美味しい食事が。そうだ。日常とは、すべてこのためにある。


失ったものは戻らない。そこには、圧倒的な喪失感とか、悲しみが、広がっていく。心の白夜。永久凍土。
悲しすぎて、何か言葉にしたくなった。失うことを前提とするなら。生きることは、すでに悲しみを含んでいる。それでも。歌声が残ることに。私は何か希望のようなものを、感じてしまう。言葉に、一筋の光を。託したくなって、しまう。


究極的には、悲しみに抗う術は。生きること。そして、書くこと。紡ぐこと。悲しみを終わらせて。希望を託していくこと。そこには大切にしたり、慈しんだり、そうしたものが、すべて投入されていく。書くとは、そういう、日々の過ごした時間の軌跡なのだ。失いたくないのなら、なおさら。書き続けるべきなんだ。それが、きっと。失くした後の何か日々を。支えてくれるはずだから。どれだけ。この姿勢に勇気をもらったことか。


書く姿勢に心を打たれて、そしてピタアリとかみ合うようなタイミングで、ロックのように書く姿をひとつ。文芸界のGRIM SPANKYみたいに勝手に思っている。ギターロックみたいに言葉がザクザクと草道を踏み分けて進んで行く感じが、たまらなく好きだ。


日々のNOTEを積み重ねてフライヤーみたいに紡いでいくのは。刺繍みたいだ。未来に待っててねと手を振るのは、まるでCOOCOかと思った。
思えばそんなふうに、未来を切望することなんて、なかった。
私が共感することはたいていが、王道のような苦しみだったり、生きにくさだったり。そういうものだった。だが、この清々しさはなんだろう。
イギリスのポストロックみたいな軽やかさだ。(ヴァンパイアウィークエンドとかね)
人それぞれの進み方がある。素敵。


キューバ。クラシック。そしてカラフル。スピーディに変わっていく。
その一瞬を、どうやったら捉えられるだろう。
イマジンではないけれど。それは、誰かと一緒に世界を少しでも多く見ることなのかもしれない。まるでいつかの写真そのもののような記事だ。


そして愛する人との生活を心から愛しているという愛の言葉から、この記事は始まる。
 なんて素敵。本に閉じられた世界そのままのようなライフスタイル。
そこに辿り着くまでに捧げた熱量とか、大切なものを真っすぐな眼差しでみてきたその時間的な経過を考えると。すべてが、かけがえのない時間軸の中に、存在している。オーロラとか流星群級に、かけがえのない。美しさ。


幸福とは自分で決めるのだ。境遇や独身や孤独や寂しさに、負けるな。カウンターのような言葉たち。泣くから悲しいのではない。悲しいと言うから、悲しいのだ。そういう精神性を。感じる。運命とは自分で決めるもの。
関わるありとあらゆる人たちと、その織りなす日常に、両手いっぱいの、花束のような、愛を。


選ぶ。生き方を。場所も。そういう気高さにおいて。高い山から空を見渡すような澄んだ瞳で。言葉は紡がれていく。恋に焦がれるような切実に求めた場所に、自分が自分を連れて行ってあげることとかも全部含めて。
人生は変えられる。それを証明してきた記事は、やっぱり勇気をもらえる。
その眩さを、私は、詩にしてみたい。


生きて行くことを自分で選ぶ選択と。成り行きに実を任せる不確実性を楽しむ精神性と。どちらもいいと思う。そしてどちらも、素敵だ。
待つことをそれぞれの楽しみ方ができるというのは、すごく素敵な生き方で。それは、大切なものを大切にしている生き方と繋がっているのかもしれない。


終わらせることの効能については書いたけれど。でも。そんな単純なものではなくて。それはある意味感情の喪に近いのかもしれない。
レクイエムは弔いに寄り添うために奏でられる。
私は音楽家ではないけれど。その別れ際に、何か言葉を添えたくは、なってしまう。
前を向く。傷だらけでも。生きていくために。
私はいつだって。寄り添える詩人で。ありたい。


もしも辞書にエモとは何か、という解説があるなら、この記事をそのまま張り付けて欲しい。そして餃子が食べたくなる。そしてなにか感情に浸りながら。
「あなたの辞書にエモという言葉が追加されました」という音声が脳内で流れた。
私は人を好きになったことはないけれど。それはこんなにもエモいものなのだろうか。


出会いと別れ。その錯綜。そしてエモ。そのアンサーが。ここに。
人を好きになるって、愛するって、素晴らしい。
そうか。だから人は旅に出るし、人に出会うのか。
あなたに会えてよかったを伝えるための、ロードマップなんだ。


時には寄り添い難い、圧倒的な苦しみというものが。存在する。
この記事を見た時。どうしようと思った。死にたいという感情。それはよくしっている。むしろ友人くらいだ。だが、病的な苦しさを私は知らない。何か立ち入ってはいけない神聖なものを感じたけれど。「その死にたい」という感情、それを見守る人たちの心の動きに想いを馳せたら、書こうと思った。詩を書こう。正解がない。誰にも分からない。良心と常識と本心の鬩ぎあい。その中で何を、人は選び、何を思うのか。そのヒストリーが、ここに。後悔をすべてなしにするなんて、きっと難しい。でも。後悔してでも、前を向くことが大切なんだって、ここまで辿ってきた言葉たちが、何度も教えてくれた。果たしてそんな苦境にあっても私は。生きることが素晴らしいなんて、言えるのだろうか。何を、祈ればいいのだろう。ただただ黙って、その言葉たちの主張に、耳を澄ます。何もしない。言わない。頷くように。その中で生まれ出た共感の一粒一粒を。言葉にして。そうして、何か安らかなものを希うかのように、私は、黙祷する。




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苦しみも喜びも等分。
色んな考え方があり。
これから多くの人が、苦しむかもしれないし。
何か救われるかもしれない。

時間を忘れるかのような勢いで、この記事を書いたけれど。
この記事たちが一体誰に触れて、何を残していくのか
何か映画の後を想像するような感じがして、不思議な気分。

何かを見つけたり思い出したり、捨てたものをまた探したり
これから出会う人へ。私にとって出会ったかけがえのない2018年の記録を。ここに。

すべてのNOTERたちに。愛を込めて。

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