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日記

久しぶりに、すごく久しぶりに、ふつうの日記を書きたくなりました。

だいすきな人(習い事が同じだった女性)と、もう同じ空間で一緒にお稽古できなくなることがわかり、すごく、すごく、いろんな感情が沢山あふれて、そんなことが久しぶりだったからかもしれない。かなしいだけでも、さみしいだけでもなく、一緒に過した時間が、彼女の笑顔や存在が、おなじ空間にいないときも、自分に力をくれていたこと、そのことへの感謝のきもちが押し寄せてきて、むかし、誰かが「さみしいって、そう思おうと思って思える感情じゃないから、そう思えるひとがいたのは幸せなことなんだ」って言ってたことなど思い出して、きっとまた会えるのだから泣くことじゃないと思ったけれど、朝いつもより遅く目覚めたら涙が流れていた。

時を同じくして、画廊時代のお客様(いまはおともだち)からメールが入っていて、もしかしたら、私があの箱を去るとき、何人かの人はきっと、いまわたしが感じているように、感じてくれていたのかもしれないと気づいた。
お客さまだったおともだちは、わたしのアクセサリーをとても好きでいてくれていて、いつも、作品が届くとため息の出るような素敵な感想を送ってくれて、わたしはそのことにとてもとても感謝していたけれど、自分が好かれているということに対しては、深いところで、ほんとうにはわかっていなかった。
でも、今日でわかった。

わたしはいまの自分がいままで生きてきた中でいちばん自然な自分だよ。
ふつうの言葉を取り戻しているよ。文学やる人は、幸せじゃいけないと、思ってた。これは私の武器だから、鋭くないといけないと、思ってた。
いまは、ただ、毎日ハッピーに過ごしているよ。みんな、出会ってくれてありがとうね。


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