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ポエトリースラムジャパン2015 日本代表・岡野康弘 インタビュー


『イカ百選』『ウシ五十選』…タイトルを聞くだけでもクスッとしてしまう、そして時折ハッとする。そんな独特な短詩型作品の朗読で、見事にポエトリースラムジャパンの初代チャンピオンに輝いた岡野康弘さん。

Mrs.fictions(ミセス・フィクションズ)という劇団の役者であり、脚本家でもあります。初めてポエトリーリーディングをするようになったのも、劇団の公演がきっかけだったとか。

深夜にこっそり、Twitterにイカを放流していた

詩の朗読だと思って始めてないんですよね…。2011年の8月に『サヨナラ サイキック オーケストラ』っていう公演がありまして。終演後にアフタートークっていうのがあって、毎回ゲストを呼ぶんですけど、1日だけゲストが決まらない日があって。で、「岡野、なんかやったら」って言われて。そん時に、書き溜めていた文章があったんですね…4行くらいしかない文章。それを自分で詩とは思っていなかったんですけど、まあ小説にしては短いし。日記にしては事実とは違うしみたいな。

もともとはmixiに「日記代わりに」載せていたのだとか

 mixiで人に見せるのに具体的な悩み事書いたりするのが面白くなくて、というか、恥ずかしかったのかなあ。で、言葉をどんどん少なくしていったんです。そうすると使える言葉、表現がどんどん狭くなっていって、結果的にそれが詩っぽくなったっていうか。詩というより「自分で書いた短いセンテンスの文章」だとその時は思ってたし、今も思ってるんですけど。

ところが、それを観に来ていた知り合いが「岡野さんは詩のボクシングに出たほうがいい」とツイートしたことが、新たなきっかけに。

 自分が書いてるやつは何なのか…。気に入ってはいるし、面白いなとは思っているけど。読んでる人にもたぶん「これなんだろう」(笑)と思われて、すごく反応しづらいヤツだったと思うんですけどね。誰もコメントもないし(笑)。だけどその知り合いのひと言で、あー、そうか。これは詩である可能性もあるんだな、と思ったんですね。そっか詩のボクシングっていうのあったなあと。

その後、ショートセンテンスを発表する場はmixiからTwitterに移行。イカにまつわる短文シリーズの『イカ百選』も、そのころ生まれた。

 Twitterはやっぱり長文より短文こそ書きやすいツールなので。ぱっと思いついた「イカ」っていう言葉が出てくる文章を100個書こうって、ただ自分の中で縛りを設けて遊んでただけなんですね。深夜2時にこっそり、イカを10個Twitterに放流するみたいな(笑)。これがなんであるかは問題じゃなくて。

 まあ、面白いものを作るのが好きなんです。お芝居も戯曲もしかりなんですけども。自分が面白いと思えてる状態をキープしていないと嫌じゃないですか。自分が何も生み出せてない状態があまり楽しくないし、落ち込むじゃないですか。過去に書いたものは過去に過去のものだし、今自分が同じもの書けるか保証がないし。ほめられても「これちょっと前に書いたやつ」とかなっちゃうんですよね。まさに今、書いてる瞬間しかあんまし面白くない。

だからTwitterや『イカ百選』は向いてたんだろうなと思います。1行ですぐ成果が出るので…。いま読んでも他人事みたい。よう書くなあ、って。100個書いてるから2、3個忘れてますね(笑)。

 そして2013年、詩のボクシング神奈川大会に出場することになる。

 そもそも詩のボクシングは制限時間3分。でも僕の作品は短くて、ひとつ読んでも10秒か20秒なので、たくさん持っていったんです。で、自分の出番が遅かったので、最初からずーっと見ながら「どれいこうかなー。こりゃ『イカ百選』じゃないかな」と思って。

で、一回戦勝って。これで勝つってことは『ウシ五十選』やれば2回選も勝つなと思って、やったら勝って(笑)。3つ目勝ったら決勝行けたんですね、確か。3つ目はさすがにイカとウシだけで行くのは失礼なんじゃないかと思って(笑)。3つ目は普通の詩を読んで、負けて。

 決勝進出はできなかったが、詩のボクシング出場は岡野さんにとって非常に新鮮な経験となった。 

 「詩ってこういうものだろうな」と思っていた以上のものをやる人たちがいて、それがすごく面白いなあというか。僕らが国語の授業で習うような詩、ではないやつ(笑)。他のジャンルの言葉借りるなら、これはロックだなとか、パンクだな、とか。ロックでもパンクでもない、これはなんだ、というやつもある。単純に笑えるものもあるし、ただの日記を読む人もいるし。もちろん全部面白かったわけじゃなくて、いわゆる国語の授業で習うような詩の延長線上のものは、そんなに好みではなかった。出場者が20人くらいいて、人前でやる見世物として成立してる人、成立してなくても面白い人…というのはやっぱりひと握りで。でもそのひと握りがとにかく面白かった。


作品を通して客席とコミュニケーションするという意識

 詩のボクシングとポエトリースラムジャパンとの違いは、何か感じているのだろうか。

 PSJの方がノリが良かった(笑)。第一回目のPSJは結構ヒップホップ界隈の人が出ていらっしゃったので、レスポンスがすごく早いというか、客席から声を出してくれるんですね。ライブハウスというのもあって反応が良かったので、『イカ百選』でお客さんと遊べた感じがすごくあって。

まあ、やりながら気付いていったんですけどね。「あ、これでコミュニケーションとれるんだな」「キャッチボールできるんだな」って。一個一個のセンテンスの間も自由に作れるし。ほかの長い詩とは違って、そういう強みのあるものなんだなあって、その場で気付きながら作っていった感じですね。なんせ『イカ百選』、人前でやったの人生でそれが2回目なのでw

 その「人生2回目」の朗読ステージで見事に優勝して、大きな歓声を浴びた。

ねえ、すごいですよね。でも、決勝で大袈裟太郎と0.1ポイント差なので。勝負が決まる場だから「勝った」ということになったけれども、ねえ(笑)。点数があるからしょうがなく勝ち負けが決まっただけで…ていう感じはすごいありますね。

そういえば、優勝したあとの閉会式で「嬉しいけど恐縮しまくっている」表情が印象的でした。

そうですね。やばいことしちゃったぞという感じがすごいありました、本当に(笑)。この時点でも自分が詩をやってる、これが詩ですっていう宣言もしてなかったし、完全に門外漢だと思っていたので。大会が終わった後に、Twitterとかで結構「あれは詩なのか」っていう議論が巻き上がってくれて、よかったと思うんですけれども。

あれでみんな「最高の詩だったぜ」って盛り上がったら「ちょっと違うんじゃないの」と、俺はたぶん言いたくなる。詩なのかどうかということで揉めてくれたのは、すごく光栄だなというか…うん。なんでも受けて入れていいわけでもないじゃないですか。でも、あれはポエトリースラムジャパンだから出せた作品だし。何が詩かって、明確に言える人、未だにいないと思うんですよね、たぶん。何でしょうね…自分の中でもよくわかんないんですけど。

 自分の作品は詩なのか否か。岡野さんはその躊躇を素直に打ち明ける。

 もちろん、あれを詩だと言ってくれる人が多くいたっていうのは、やっぱり嬉しかったですね。おそらく自分の中に、詩であってほしいなっていう気持ちはあったんでしょうね。だけど、ジャンルでいうと詩だけではないぞ、というのは思ってます。別に『イカ百選』をお笑いだと捉えてもらってもいいし、日記だと思ってもらってもいいし、みたいな。

 ポエトリースラムは、「詩だと思ってもらってもいいよ」っていうのが、ギリ重なるラインの人たちが集まる、そういう場だった気がするんです。広義での詩、誰か一人でも詩と思えればっていう。

それで本当に時の運というか、その時の客席の雰囲気とその1日の流れの中で自分が優勝させてもらったっていう感じが強かったので。もうもう、みなさんに盛り上げていただいてここまで来ましたっていう感じの勝ち方をしたので、もう恐縮…すみません、ありがとうございますっていう(笑)

 役者として舞台に立ちつづけている岡野さんにとって、朗読のステージというのはどう感じられたのだろう。

 刺激的でしたよね。舞台をずっとやっていて、人前に立つことは慣れていたし、何か見せるとか、作品を通してお客さんとコミュニケーションとるという意識はずっとあったので、慣れていたんですけど。

人前に立つ時に役がない状態というのは実はほとんどなくて、ものすごく緊張するんですよ。小劇場っていう世界で十何年、お客さん100人いたら自分のこと知らない人がゼロということはないところでずっとやってるんで。もう初めから客席に味方がいるようなものですよね、ある程度。楽しみにしてきてくれる人がいるという。

でも詩のボクシングもポエトリースラムも、僕が出た瞬間にまず、こいつ誰だってなるんです。こいつ何やるの?っていう、こっちも向こうも一旦身構えるところから始まって。

 で、『イカ百選』ってタイトル言って、一個ずつイカのセンテンス言っていくと、最初「なんだこれは」っていうところから始まって、4つ目くらいからザワザワってなって、5個6個目くらいでちょっとクスクスって笑っていただいたりして。そのタイミングできゅんとするやつ潜り込ませたりすると「おお」っていう反応が返ってくるっていうのが、単純に気持ちよかったですね。

知らない人の前でやる意味がある作品だったので。順番に順番に、全員倒していくみたいな感じ。それは詩のボクシングの時も思ったんですけど、ポエトリースラムジャパンの時はもっと思ったというか。

日本もフランスも、お客さんの反応は同じだった

 日本代表として、日本人としてはじめてポエトリースラムW杯にも出場。そこで変わった部分はあっただろうか?

 それがなかったんですよね(笑)。僕、海外は姉の結婚式で一回ハワイに行ったことあるだけで。世界24カ国から集まる詩の大会に日本代表として行ってきますって、そりゃあ今まで体験したことないことが起こるだろうと思ったんですけど。自分の中で、そんなに大きな変化はない印象で。

というのは『イカ百選』にしても『ウシ五十選』にしても、基本的に日本のお客さんと同じ反応をフランスのお客さんがしてくださって。詩のボクシングの時につかんだ印象、「このやり方でコミュニケーションとれるんだな」と思ったのが、海外でも同じだったっていう。

 順序を追って、3つ目くらいでザワザワして、4〜5個目くらいでクスクスして、みたいなのを丁寧にやっていけば、むしろ初対面のお客さんの方がやりやすい。「もっとこうすればよかったかな」というのはなくて(笑)。「ああ、なるほどやっぱいけるんだ」っていう感じがありました。自分が書いた『イカ百選』や『ウシ五十選』っていうコンテンツの強さをちょっとだけ確認できたというか、うん。

 同じやり方でコミュニケーションがとれる。言語とか国が違うんだけどコミュニケーションができるっていうのを証明できたっていうのはすごいことですよね。もしかしたらそれはポエトリースラムの理想に近いかもしれないし。

 さらに言えば、W杯のお客さんの文化的な素地、というものも感じた。

 ポエトリースラム世界大会を見に来るお客さんというのは、そういうのを受け入れる体勢が結構できているっていうか。フランスの、文化を楽しむ人たちが集まる場所なんで。「これなんだ?」「わかんない」「つまんない」っていう人たちじゃないんですよね、おそらく。

「面白い」っていうところに踏み込める人たちだったっていうのも大きいと思うんです。場所によっては本当に「なにこれ(笑)」ってなる作品ではあると思う。今のところ「なにこれ」で終わった場所がなかっただけなので。悪い意味での「なにこれ」で終わる場所も、もちろん、あると思っています。

 最後にひとつ、初代チャンピオンに聞いてみたいこと。全く見たことがない人にポエトリースラムをお薦めするとしたら、どんな風に紹介しますか?

 難しいなあ…。ポエトリースラムジャパンや詩のボクシングに出ている人たちを、「野良詩人」って呼んでるんですけど(笑)。プロの詩人って日本に本当に数えるほどしかいなくて、それ以外の人は「野良詩人」だと思ってるんです。要は詩を商売にできてない、商売にする必要もないのかもしれないですけど、そういう日本の文化の中で、でも確実に詩を書いてる人たちがいて、そういう人たちが一箇所に集まる…。

 僕、「R-1ぐらんぷり」とかも出たことあるんですけど、実は。「M-1」や「R-1」の予選を見に行くと同じ印象があるんです。まあ、面白くないものは多いんですよ、本当に。それはそうなんです、野良お笑い芸人が集まってるから。その中にプロが出てくるだけで、やっぱプロは違うなって思える。それは別に詩のボクシングがつまらないとか、ポエトリースラムジャパンがつまらないとかじゃなく、つまらない人も一定数いるのは当然なんですよ、それは。全部面白いと思えるやつなんていないんですね。ただ「M-1」でも「R-1」でもそうなんですけど、観に行くならその現象も含めて観に行くと、絶対面白いんですね。

 僕の場合、自分が気に入った作品、気に入った演者は、20人いたら4、5人なんですね。それは僕の基準だから、いいとか悪いとかじゃなくて、自分が「いいな」と思える作品を読む人はそれくらい。ただ「いいな」と思わない人も楽しめるんです。そういう人もいるんだ、という目で見るとね。なぜならみんな本気で来てるから。詩ってやっぱ凝縮してるんですよね、その人の言いたいこととかやりたいことってのが。特に3分っていう短い時間のなかで、その人の根っこの部分とか一番言いたい部分とかがギュって出てくるので、全部受け止めるとめちゃくちゃ疲れるんですね。

 「本気で来てる」人が放つエネルギー、その濃さ。 

 年に1回しかない大会で、人前に出ることなんて一生に一度しかないかもしれないという人たちがものすごいたくさん出てくる。それを客席でずっと受け止め続けるのはものすごく大変で。ただ、そういう基本的に誰でも出られる大会でしか見られないものはあって。そういう気構えで行くと、楽しめるんじゃないかな。

 詩なんてものはおそらく、基準がないじゃないですか。「面白い詩がいっぱい聞けるぞ」って、そういう絶対的な基準があると思って見に行っちゃうと、おそらくがっかりすると思う。それは、何が悪いとかじゃなくて。面白い歌舞伎が見られると期待していた人が、初めて見に行って面白くないことも絶対あるし、それはその人に合わなかっただけで。例えば20人のステージ見てひとつも面白くなかったら「その20人は自分に合わなかった」「もっと合う可能性あるかもしれないけど」…それくらいの大きい気持ちで行くと良い気がしますね。

 本当に洗練されたものが見たければ、それこそ名の売れた詩人の方とか、何千何万部と本が売られている詩人さんもいるから、そっちに行けば良いだけで。それは商品としてまとまっているし、色もはっきり出てるし。良いとか悪いとかじゃなくて、本当に野良詩人たちが集まってくる、そのこと自体が面白い。

 だから本当に、通して見て欲しいなって思いますね。ひとりひとりの詩人やラッパーの作品を一個一個だけでとらえるんじゃなくて、現象として見に行くと、ああ、こんな人たちがいるんだっていう。「自分の思ってることをこんな言い方で言うんだ」っていうのを楽しめる場所なのかなって思いました。

そして、パリの世界大会では特にそう感じたのだとか。

 「こんなやり方していいの?」っていうのと、「こんなやり方した人が勝っていく」っていう驚きのふたつが、世界大会にはあって。各国の1位が来るからそれだけ濃いんだけど、その濃さをひとりひとりに望むのはちょっと危ないっていうか。「詩ってこういうもんだ」って見ないほうがいいっていうか。特にポエトリースラムジャパンは、詩とは言ってないんですよね。自作とは言ってるけど、歌の歌詞でもいいし、落語でもいいってことなんですよね。3分で、マイク一本でできるならば。なんでもいいって言い方をしてるので、それだけ受け皿は大きいもんなんだなあって、見に行くと面白いんじゃないかなと思います。

 だからこそ、ポエトリースラムを「1日通して観てほしい」と言う岡野さん。

 ワンブロックだけ見ても楽しめないんですよね。こういう流れでこの人が選ばれたっていうのが必ずあるので。絶対評価じゃなくて、相対評価の繰り返しで勝ち上がっていく。その時の流れと、順番と、空気感があるのがいいんだっていうのをいかに楽しむかだと思います。絶対評価が楽しみたいなら、来ないほうがいい(笑)


【プロフィール】岡野康弘(おかの やすひろ)
役者と戯曲書き。1981年生まれ。神奈川県出身。Mrs.fictions所属。同劇団のすべての公演に参加。他にもジエン社、ろりえ、Innocent Sphere等、ジャンルにこだわらず客演をしている。

(ポエトリースラムジャパン 公式サイトより転載)


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