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詩は世界をつなぐ ~フランス・ポエトリーリーディング見聞録~ 第7回


目がさめると土曜日、午前10時。外はカラッと晴れています。昨夜、各国のスラマーたちと遅くまで飲んでいたせいか、体がすこし重い。でもそんなこと言っていられません。なにしろ今日は、パリのポエトリースラム世界大会、最終日!

まずは昨夜飲んでいたのと同じカフェのある広場、Place Fréhelへ向かいます。寝坊しているのはみんな同じらしく、まだ誰も来ていない。そりゃまあポエトリーW杯決勝戦は夜ですからね。しかし今日はそれ以外にも詩祭「Grand Slam」関連のイベントが目白押しです。

たとえば午前中はイギリスの詩人によるワークショップ。午後からはライブや詩集の即売会。“BOOK SWAP”というのは本の交換会でしょう。“Slam de Cris”つまり「叫ぶスラム」というのもありました。見たところ大声大会と区別つかなかったですが…。そんな中、見つけたのが“Free dance & Spoken word”というプログラム。つまりダンスと朗読のコラボイベントです。どうやら自由参加らしいのでエントリーしてみることにしました。


Place Fréhelの特設ステージにあがると、その周りにダンサーがスタンバイしています。女性ばかり10人ほど。年齢はバラバラで、いちばん年配のご婦人は私の母親と同じくらいでしょうか。ところがいざ朗読しはじめてびっくり。このマダムの体のキレることキレること。コンテンポラリーダンスというのでしょうか、次にどういう動きが来るかわからない。こちらの日本語も通じていないでしょうから、踊ってる方も先が読めていないはず。お互いに心地よい緊張が続きます。これもひとつのジャムセッション!

夕方になると、スラム各国代表たちが広場に集まってきました。すでに試合のないスラマーたちは、すっかり打ち解けて和やかに飲んでいます。丸テーブルに所狭しと置かれたビールのコップ。なんだか大学のサークル飲み会みたい。

6月のパリは夏時間のため夜になるのが遅いのですが、さすがにすっかり暗くなった22時半。いよいよ決勝戦です。ファイナリストは6名。世界トップ6は当然みんな貫禄がちがう! たとえばケベック代表のD−Truckはもともとラッパー。この大会ではポエトリーリーディングに徹しているようで、韻を踏んだりはしないのですが、滑舌の良さやテンポの良さはさすがです。ほとんどの詩人がマイクスタンドを使っている中、マイクを手にステージを動き回るのもラッパーの矜持でしょう。

ファイナリストの紅一点、イングランド代表Sara Hirschも印象的でした。「友だちの誕生パーティに行ったらいかにもチャラそうなエリート男が声かけてきて私はため息をついた…」という場面から始まる“What a way to make a living”という作品。おそらく万国共通で女子の共感を得られるんじゃないでしょうか。

ブラジルのEmerson Alcadeはとにかく熱い! 大きなアクションを交えながらポエルトガル語でまくしたてます。時に客席に飛び降りることも。マイクを離れてもほとんど声量が変わらないのは驚きです。“the kid,the whore,the drag”(子供、売春婦、麻薬)という副題を持つ作品は、おそらくブラジルの貧困層の問題をテーマにしたものでしょう。3分間言葉を連射しつづけ、やがてクライマックス。指でピストルの形を作りこめかみにあてるゼスチャーをします。そして“Bang!” 彼がステージに倒れこむと同時に歓声、歓声、歓声。(あとで聞いたのですが彼は地元で子供たちに朗読を教えているんだとか)

カナダ代表のIkennaはアフリカ系。“Art Applied ALPHABETICALLY”という作品はタイトル通り、AからZまでを頭文字にもつ言葉を順にならべて詩にしてあるという言葉遊びになっています。A→Z、Z→Aを二往復するという懲りようで、しかもそれを立板に水のごとく暗唱する。もちろんちゃんと意味が通っていて、思わずほーっと唸ってしまいます。音も意味も楽しめる、まさにポエトリーリーディングならではの作品。彼のルーツを描いたのであろう”Nigeria”(ナイジェリア)という詩もありました。

勝負は、なんと6人が0.7ポイント差の中にひしめき合うという大接戦に。わずかに抜け出したブラジル代表とカナダ代表が同点1位。これはすごい! 同点決勝としてもう1回ずつパフォーマンスすることになりました。客席も最高潮です。驚いたことに、ふたりともこれだけ何度もリーディングしているのに少しも声が枯れていないし、息も上がってない(司会のPilote氏だけはすっかりガラガラ声でしたが)。

結局、優勝トロフィーを手にしたのはカナダのIkenna選手。最後にふたたび各国の代表たちがステージに呼ばれます。沸き起こる拍手。その光景を客席から眺めながら、不思議な感慨にひたっていました。

そもそもポエトリースラムという文化の始まりは、80年代アメリカだそうです。それが次第に各国に広まり、今や世界20カ国以上の代表がパリでW杯をするまでに至ってるとは。私自身は日本でポエトリーリーディングを15年近くやっているのに、数週間前まではこの大会のことを全く知らなかったのです。それがパリで出会ったいろんな人たちの縁のおかげで、各国のスラマーたちに会うことができた。こんなに濃い体験をすることができた。そう思った時、ひとつの考えが浮かびました。すでに閉会式が終わり、観客たちが出口に向かっているなか、ふたたび主催のPilote氏を探してつかまえます。

「素晴らしかった! こんなポエトリースラムを初めてみました。ここに日本代表を参戦させるにはどうしたらいい!?」

Pilote氏は相変わらず表情の読めない顔でひとこと、

「お前が日本大会を開催して、日本代表を決めるしかないだろう?」

深夜。熱戦を終えた各国詩人たちはふたたびPlace Fréhelに集まりました。通りに面した店はほとんど明かりを消していますが、ここだけはまだまだにぎやか。誰かがギターを弾きだし、そのメロディにあわせてケベックのD-Truckがフリースタイル(即興)を披露します。続いてノルウェー代表、スコットランド代表。ブラジル代表、デンマーク代表…。ロシアのパンク女子も、スウェーデンのスキンヘッド女子も、みんな流れるようにリーディングをリレーしていく。手を叩く。ただの朗読じゃない、たしかに音楽になっています。それぞれの言語が、それぞれの声が、すっかり暗くなった空に昇っていく。やがて順番がまわってきて、私も言葉を発します。

声を残せ
ここに言葉を残せ
君の言葉を残せ
言葉は天に届き
いつか雨になって降り注ぐだろう

即興なんて慣れてないし、かなりぎこちなかったけど、そんなこと気にならない。声が体を通って外気に触れ、みんなの歓声と混じり、それがまた自分の耳に届く。そんなことが単純に嬉しくて仕方がない。

よし、やろう。ポエトリースラム日本大会を開催しよう。この喜びを自分だけで味わっていちゃもったいない。そして来年、もう一度ここに来るぞ。ビールと熱気に酔いながら、それだけはしっかりと心に誓ったのでした。


そしてそれから9ヶ月後、本当にポエトリースラム日本選手権大会を開催することになるわけですが、それはまた別の話。


ポエトリースラム放浪記、まだまだ続きます!

(村田活彦/駿河台出版社 web surugadai selection より転載)



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