目綿灯

ポエトリースラムジャパンは、試行錯誤して答え合わせする場所でもある。<PSJ2018ファイナリスト・目綿灯>


2018年6月に開催されたポエトリースラムジャパン(以下、PSJ)東京大会Aを優勝し、全国大会へ出場された目綿灯(めめんともり)さん。

ラッパー・空廻として精力的に活動される一方、今大会では「目綿灯」名義での参戦となり、別の側面を見せてくれました。お仕事では接骨院を開業され、2018年は充実した年となったようです。

「Everything gonna be all right.」とボブ・マーリーの言葉を自分なりに解釈し読み上げた彼の思いや、PSJへかけた気持ちを熱く語っていただきました!

PSJに懸ける思い、変わった思い

―PSJには過去2回参戦し、以前はラッパー名義の「空廻」としてエントリーされていました。別名の「目綿灯」として今大会に臨んだ思いを聞かせてください。

目綿灯:いっぱいあるんだけど、一番の理由はPSJが好きだから。でも本当は出るかどうか迷っていて、(PSJに)ラッパーの人口が増えることが嫌だった。僕にとってPSJは挑戦の場所だったので変にラッパーが増えて、薄まってしまうことが嫌だった。後から村田活彦さん(PSJの代表)からラッパーとポエトリーリーディングの立ち位置について聞いて、考えが改まったんだけど。いいんだ、いいことなんだ、と思って。
でも、その時は嫌で、ラッパーが多くいて。それでも僕にとってやっぱり刺激になるし、詩やポエトリーリーディングについて勉強させてもらえる。それなら、僕もラッパーじゃなくてそういうスタンスで出たらいいんじゃないかと思って。そうしたら他のラッパーも気づいてくれるだろうし、発見してくれるだろうと。
PSJという詩とかポエトリーリーディングの純度が高い大会に対して、僕も勉強させてもらいたいという立場だったからこそ、ラッパーという名義じゃなくて詩人としての名義で出たかった。ラッパーで薄めたくなかったというのが大きな理由。
もう一個、以前は詩人とかポエトリーに対して敵対心があって、いやラッパーもやべえだろ、っていうのがずっとあった。
ラッパーというものの評価が低いなと思ってて、良いリリックを書くと「詩的だね、詩人だね」って言われたりするし、ポエトリーリーディングやってます、っていうラッパーが韻を踏むことやフローをやめて、いやそれって逃げてないか、って思う。ラッパーというスタンスでも良いこと言えるだろう。なので当時はラッパーでも詩人と同じくらい良いこと言ってんだ、という自負や見栄があった。
でも今は成長して、ラッパーは素晴らしいっていうスタンスはぶれてないけど、一度ポエトリーリーディングをしっかり吸収するためには僕もそのフォーマットになってきたし、やりたくなった。心の成長とともにそういう余裕ができてきて、そこでまた発見できればいいじゃないかと思った。だから(空廻名義で出ていた)当時はただただ尖ってて、ラッパーやばいから、と思ってた。でもそれだけじゃなくて、今はポエトリーリーディングもやばいと気づけたからこそ、そのフィールドでやってみたいと思えるようになった。以前は道場破りの感覚だったけど、いまは同じものに入っていく感覚がある。

―全国大会に出て思ったことや、新しく見えてきたことってありますか?

目綿灯:まず次回も目綿灯として出たい。
ラップでも何でもそうなんだけど、僕の好きなスタンスが必ずしも評価されるわけではない。採点について色々考えさせられて、ここで出てくるのは、僕はPSJで勝つための詩を書こうとするのか、それとも新しい発想で勝負を仕掛けたいのか、それで結構変わってくる。PSJで初めてポエトリーリーディングに触れたラッパーが「空廻君、いつものライブやったら勝てたんじゃないの?」と言ってくれた。それは勝てるかもしれないけど、そのスタンスやるかっていったら僕はやらない。僕は既存の自分どうこうじゃなくてポエトリーリーディングを勉強したいし、試行錯誤して答え合わせする場所でもある。出場した1回目はラップで勝ちたかった。2回目は変化したけど枠を抜け出せなかった。3回目は目綿灯として出たら東京大会Aで優勝という結果は残せたけど頂には届かなかった。じゃあ今度はって思うと、あんまり勝とうと思ってない自分がいる。いや、もちろん勝ちますよ(笑)。次回こそパリに行く気満々だけど、心境の変化としては、勝つための詩を書く必要がまったくないし、それはしないな。
あれだけ勝ちたいと思ってたのに、ここにきて優勝じゃなくて、泥酔侍さん(ポエトリースラマー。大阪大会の優勝者)みたいに0.0点を出したとしても、反対で9.9点、10.0点がある世界が僕は好きだし、そういう答え合わせをした上でたまたま優勝することがあったらそれは嬉しいなと思えます。

―共感されるとか、3分の制約の中でパンチラインをたくさん打つ、ってある程度は必要ですよね。そんな中でも、いまは肩の力が抜けてきている、ということですか?

目綿灯:勝つためってのはその場で勝つために書かない、ってことであって、僕の目標は周りに僕のスタンスを納得させるため。ただ読んで「よくわからなかったね」じゃなくてガッツリ掴みたい。僕がお客さんとして採点した時に、僕自身が10.0点を出す詩を書く。だから、他の人にはこっちがいい表現だけど、僕にとっては6.5点だったら、それは書き換えない。そういう意味では勝つための詩は書かない。でもグッときてくれるようなギミックは持ち込むだろうし、絶対やりたい。村田さんやヒツジさん(インタビュアー)に10.0点を出させたいって思うし、でも100人にそれをやるのは無理。僕が好きな人、僕をリスペクトしてくれる人、また僕が僕自身に「こいつが勝ちだ」って思わせて勝ちたい。

無音の質感を掴む

―聞かせたい相手が意識的に見えていますよね。人によっては自分の詩に向き合うだけで終わってしまう人がいるかもしれない中で、その先が見えている感じがします。ラップのリリックと、リーディングの詩は書き方に違いがありますか?

目綿灯:僕の詩は明確に伝えたいことがあって、その伝えたいことがAからBへ収束していく感じ。まず材料をバーっと書きだして、これを輪郭としてジグソーパズルみたいに書いていく。それが僕の詩のスタンス。そこに音があるかないかだけの違いですね。格好いいこと言うと、無音の音っていう質感を掴んでそこに当てはめるって作業になりますよね。

―ラップの場合はトラックがあるけど、ポエトリーは無音があると。

目綿灯:トラックがあると「たーっん」という音に「そうだ」って声の調子を合わせるみたいな一定性があって。無音は一定も何もない。でも、こっちはこっちで確実に質感の落とし穴がある。「いまここで読んじゃったら気持ち悪い」みたいな。あともう少し無音を置いてから読もう、だからここは置かないみたいな。そこを探す作業。
ラップはトラックに対しての修正作業がある。どの音で乗って、どうブレスしようか、とか。とんとんたん、とか跳ねるリズムにア行やラ行は合わないから接続詞を変えなきゃいけないみたいな。
だけど無音にはそれがない。言葉と言葉の関連する子音をまとめる気持ちよさはある。でも音がこうだからア行やラ行いらないな、とかはない。そういうのは自由だし、自分の好きなブレスでのアプローチもできるから、もっと柔らかいものだな、無音の方が。

―自分の呼吸がリズムを作っているんですね。別のトラックに合わせるんじゃなくて。

目綿灯:プラス相手の呼吸ですね。それはオーディエンスだけじゃなくて、その時の無音も含まれている。書いている時とは違う無音。たとえばリハーサルでスタジオ入って、こういう人がいるなとかイメージするけど、その時の無音と書いているときの無音って違う。さらに実際のステージはまた違う無音だから、それに合わせてどうやるんだ、っていう。実際にお客さんみて、この無音のアプローチでどうだ、って(笑)

―無音に当てはめる、というお話はすごく納得させられます。みんな無意識にやっていることを言語化していただいた気がします。

目綿灯:テキスト素晴らしいのにとか、前回すげー良かったのに今回いまいち、ってあるなって。逆に前読んだ時こんな良かったっけって感動もある。それを魂が乗ってるとか言うのは嘘くさいし、じゃあ全部気合い入ってればいいのかってことじゃなくて、実はその最適解があったっていう。どんなことにもエビデンスが大事。

-そういうことを読んだのが『口』という詩だったと思います。

目綿灯:この詩はラップでの経験が大きいと思います。自分はセンスも才能もないと思ってるけど、良いなと思うのは分析力・研究熱心・真面目であること。ライブなら全部観たいし、上手い人も勉強になるけど、上手くない人のライブも勉強になる。ラップスキル低いのにカッコイイ人が存在するわけです。なんでだろうと思うと実は一挙手一投足の言葉の出し方が違う。
カラオケの同じ音源で歌唱力がある人よりも別の人が良かったりする。だから同じテキストでも棒立ちで読むよりも、少し斜に構えた方がいいとか、ライブでも激しく動かないで、上半身を少しよじっただけの方が良かったりする。そうすると、よじった上半身も口になる。
でも突き詰めてやったのに響かないときがある。それはやっぱり会場の無音や雰囲気を掴めずに自分が無視したからだ、と。会場の声や音を無視して自分がカッコイイことやってもフィットしない。最適解は僕じゃないっていうこともある。
ボブ・マーリーがなんでシンプルな言葉と歌声なのにあんなに響くんだっていったら、きっとあの人はちゃんと空間を自分の口にしたんだと思う。じゃあ俺は今回、どんな口でやるんだろう。さあどうなる俺の口っていう(笑)

オルターエゴとの対話

―「Everything gonna be all right.」という言葉もこの詩を通して聴くとまったく違う風景が見えてくる気がします。目綿灯さんの詩は生活に根ざしていて、あんまり虚勢はったことを書かない印象があって、生活の小さなことへの共感力がポエトリーリーディングにおいても強さなのではと感じます。
昔はアンダーグラウンドな側面のリリックを書いたりしましたか?

リリックを書き始めた当時からストリート生まれみたいなことは書いたことがなかった。中3の時にヒップホップに出会ったけど、煙草とか不良のアイコンを使って不良を表現するって違うって思ってる。
ラッパーになりたいからラップ書くんじゃなくて、ラップやるからラッパーなわけであって。ライブで何言ってるか分かんないのにやばい、みたいのが僕は釈然としない。明確に自分が理解できて納得できる話題や言葉に向き合いたいし、借り物の言葉は使いたくない。たまたま自分に響いた言葉が難しいっていうことはあるし、だから医学用語や哲学を持ち出すことはある。自分の納得するものを使うっていうスタンスは変わらないけど、どんどん解釈の広がりは大きくなっていくよね。

―目綿灯はa.k.a.(also known asの略。ヒップホップにおける異名)の自分をオルターエゴのようにして、きちんと等身大で対話しているように思います。自分に投げかけたものがオルターエゴから、きちんと返答されるものを詩やリリックにしているということですね?

目綿灯:向こう側の自分がどんな奴か分からないけど、僕のオルターエゴは性格悪い(笑)上司だね。厳しくて頑固で、「どう?」って投げては「ダメか。消すよ」みたいな。
でも、こいつがいいっていうなら、誰になんて言われてもいいって思ってる。だから一番仲いい奴。

―最後に、今後ポエトリーリーディングをする目綿灯としてどのような活動をされようとお考えですか?

目綿灯:それは内緒で(笑)


【プロフィール】

目綿 灯<めめんともり>(a.k.a.空廻)

埼玉県のラッパー。自主レーベル「spoken blanco production」から数々の作品をリリース。TM/MCのtanpiとのユニット「マスカットボーイズ」として『metabolical music』を全国流通。StreetでDanceをメインに活動する集団「QWAIS」に所属し時々踊り、即興でもBandやSingerとのLive/Sessionを幾多もこなす。「目綿 灯」として詩やNo beatでの表現活動も。2018年Poetry Slam Japan東京A大会で優勝し全国大会出場。2018年1月に2ndアルバム『地獄で笑え』リリース。新ユニット「untei」としても活動開始。普段は自身が経営する接骨院の院長。

                        (取材・原稿/遠藤ヒツジ)

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