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第4回スタァライト脚本樋口達人氏によるトークショーレポ(2023/02/03)@シネマシティ

 この記事は、2023年2月3日(金)18:55よりシネマシティ立川aスタジオにて、『劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト』の極爆上映ののちに21:00頃から40分ほど行われた脚本家樋口達人氏によるトークショー(第4回)についてのレポ・感想になります。丸括弧内は注釈や自分の感想です。話を聞きながら殴り書きしたメモを後で復元しているため、一部不正確なところがあると思います。予めご了承ください。より詳細な内容についてはTwitterやブログで上げられている他の舞台創造科の方々のレポも併せてご覧ください。

このトークショーは1/13〜2/3の毎週金曜日、全4回構成となっており、今回はその第4回(最終回)となります。
1/13(金):TV版1-4話「舞台少女、武器の名称はいかにして生まれたか」
1/20(金):TV版5-8話「3つの視線で変わるTV版シリーズ構成」
1/27(金):TV版9-12話「終わりの続き。劇場版への線路」
2/3(金):劇場版「『体感する映画』への脚本からのアプローチ」

まず初めに

最初に樋口さんのお言葉
「一度自分たちの手を離れた作品は、既に受け取った皆さんの持ち物。ポジティブな感想もネガティブな感想も全部正解。答えは皆さんの中にある。ここで話すのはおじさんたちがスタァライトを作る上で何を考えていたか、を知ってもらうだけであって、答え合わせではないことに気をつけて欲しい」

第4回テーマ:
「『体感する映画』への脚本からのアプローチ」

オープニングトーク

 シネマシティ編成部折原さんがご登壇。
折「皆様本日はお越しいただきありがとうございます。本日はスタァライト概論4限目、最終講義です!それではお呼びしましょう。樋口達人教授です!」
今回も気合の入ったキリンYシャツに身を包んだ樋口さんがポジション・ゼロへ。
樋「お寒い中お集まりいただきありがとうございます。スタァライト脚本の樋口達人です。あ、これを出しておいていいですか」
と、持っていたのはなんとT字型のピンク色の立体物。
樋「ヴァミリーちゃんです。ちなみにヴァーミリオン統制機構によって作られたという設定は……無いです(笑)。実は劇場版のスタッフがオリジナルで作ってくれたものでして、関係者の中でもごく一部の人しか持ってないんです。これ商品化したら?って聞いてみたらコストに見合わねえと言われてしまって(笑)。ブシロードさんにはがきでも送ってもらえれば実現する……かも?」
(そんな素敵なものを見せられたら、欲しくなっちゃうじゃない……!笑)

フォトセッション時に撮影した樋口さんとヴァミリーちゃん

ここでいつもの注意事項を述べられたあと、早速本題へ。

TV版を踏まえて

 どういうふうにして劇場版へと向かっていったかについては、まずTV版のラストから話をしないといけない。以前にも言ったように、TV版ではやり残しがないように、文字通りすべてを灰にするまで出し尽くすことを念頭に制作をしていた。もちろん、ラストに「持続可能な展開」を持ってくることもできた。例えば、最後に謎の9人組が現れて「ふふっ。あれが先輩たちのスタァライトなのね」とか、「俺たちの戦いはこれからだ!」とか、「ククク……。あれは我が四天王の中でも最弱……!」とか(笑)。でもそれはやらなかった。

 完全にゼロの状態、空っぽの状態から劇場版を作るにあたってまず方向性をどうするのかとなったときに最初に監督が出してきたのがD. H. ロレンスの『自己憐憫』という詩。この詩から、劇場版は「気高き野生の舞台少女」の話にしようと決まった。
("I never saw a wild thing sorry for itself. A small bird will drop frozen dead from a bough without ever having felt sorry for itself." D. H. Lawrence
今は無き「おトッピー(@d6K1hdPav2c9Dmg)」というTwitterアカウントにこの詩が書かれたトマトと華恋と倒れたキリンが描かれた監督の絵がアップされていた。ログ→https://photos.app.goo.gl/fjPUJB1Go3UYaNok7

劇場版制作のキーワード:「やるしかねえぇ!」

 ドーナツ屋さんのシーンを書くにあたっては、実際にファミレスに一日中こもって若者の会話を聞いてメモを取り、セリフに落とし込んだ。そのときもし何かあったらここにはいなかった(笑)。学園のセリフも同じで、「できるだけ生っぽいセリフ。舞台の裏の環境音」という監督のオーダーがあったからこそ。

 各方面からの色んなオーダーを詰めて一通りの脚本が出来上がってみると、尺が2時間30分になった。これはもう大変。皆さんもここからさらに30分観るのは大変でしょ?このときの脚本では、劇場版からスタァライトに触れた初見の方への導入のための説明があったり、キャラクターの立ち位置を提示するお話があったり、とにかくわかりやすいストーリーになっていた。
そんなときに監督があるキーワードを出してきた。
 「うおおぉやるしかねえぇ!」
 つまり、尺をどう短く収めるか、という問いの答えが「体感型の映画」ということ。整った脚本、丁寧なストーリーで「舞台少女」を本当に描けるのか。それを観た人の目を灼けるのか。未完成で不安定で不完全な舞台少女だからこその強烈な化学反応を描くのが大事なのではないか。そういったことを考えて「体感する映画」への道を進み始めた。ここで「映画そのものの舞台少女化」が起こったと言える。そこからこの映画制作の第2幕が始まった。

150分→120分の削ぎ落とし

 このころコロナが大流行していて、大変だったのは早い時間に店が閉まること。ご飯がなくてお菓子で飢えを凌いでいた。「牛丼がないならお菓子を食べればいいじゃいない」という逆マリーアントワネットの状態で、まさに”飢えて、渇いて”作業していた。うまいこと言えました(笑)。このときに削ぎ落としていった要素が、
・星見純那の生徒会長らしいエピソード
・B組のエピソード
・『遙かなるエルドラド』観劇後の冴草千弦とのやりとり
・そしてその帰宅途中に開幕する皆殺しのレヴュー
・以前話したようなSF的な要素
などで、バッサリいった。
 「劇場版にはストーリーがない」とよく言われるが、例えばパニック映画もストーリーがない。映画を構成する要素は色々あるが、その中でも「ドラマ」を極限まで高めたのがこの作品。

セリフへのこだわり

 この映画で脚本家ができることはなんといっても「セリフの質」。これは意識した。最後のセリフで華恋とひかりが「第四の壁」を破るシーンを印象付けるために、それまでの4つのレヴューではキャラクターたちが観客を意識せず、お互い相手のことしか見ていないように描写した。例えば魂のレヴューではファウストに関する説明をするセリフだったり、競演のレヴューではどういうスポーツ大会なのかを説明するセリフだったりがあったがそれらはすべて削ぎ落とした。相手に向けたセリフだけを残してそれはもうバッサリと。あとは監督の映像力学によって如何様にも魅せられるから、どんどんピーキーにしていった。

 最後のセリフで死んだ華恋を腕に抱くひかりはミケランジェロの『ピエタ』がモチーフ。このミケランジェロが残した言葉に「大理石の中に天使を見た。それを自由にしてやるのが彫刻家の仕事」といったものがある。監督の「やるしかねえぇ!」の言葉で、大理石から掘り出した天使の羽をぶっ壊した(笑)。脚本が、映画が舞台少女化したのは監督の力あってこそ。
 監督との共同作業の中で本当に仕事ができているのかと思ったこともあったが、「表出ろや」「私はいつだって可愛い!」「世界で一番空っぽかも」この3つのセリフを生み出せたときにやっと脚本として仕事をしたと思えた。

映画に込める思い

 一部ではカルト的映画と言われることもあるが、監督は「分かる人だけが分かる映画」として作っているわけじゃなく、むしろ「観に来た人全員の目を灼いて、ファンにして帰す」という意気込みで作っている。我々が渋谷のAiiA Theater Tokyoで観た舞台#1で目を灼かれたように。結局はそこにつながる。「やるしかねえぇ!」という監督の言葉に応えたレヴューであり、脚本であり、この映画だった。

質問タイム

ここで一旦質問タイム。口上の話は質問のあとに。

Q. 脚本を制作するプロセスはどのようになっているか。全体を作ってから細部を埋めるのか、細部を書いてから全体をまとめるのか。また、そのプロセスになった理由は?
A. アニメも実写も同じような感じだと思うが、まず最初に仕様書が渡される。そこからペラ1枚のプロットを書く。そこからプロットを膨らませて、いけそうだなというところまで分量が整ってから初めて脚本を書き始める。まずは全体を作ってから細部を作らないといけない。これは絶対。なぜなら初めから何も決まっていないところから詳細なところを書くと、後から必ず偉い人から「こうじゃない」と言われてしまうから。その対策。でも実際はその対策をしてても言われる。「2ヶ月前に良いって言いましたよね?」って反論するためにも一歩ずつコンセンサスを取りながら進めるのが大事。

Q. 劇場版は初見でも楽しめるエンタメとしての面と舞台やTV版を追っているファンが楽しめるファンサービスの面の塩梅がとてもいい。このバランスを取る上で気をつけたことはあるか?
A. 脚本家は最初からラフは書けないから、まずしっかりとしたベースラインを書いてそこから上げ下げをすることで調整をする。でも監督は頭の中に映像があるから、ディテールだけで繋げられる。例えば最後のシーン。「華恋が死んでひかりに塔から落とされてTになって列車に突き刺さって砂嵐の中を爆走して駆け上がって東京タワーに戻ってきて生き返る」なんていうのを脚本で書けると思いますか!?無理でしょ!?こんなの絶対通らないし、「あぁ、とうとう樋口イかれちまったか……」とか言われる(笑)。(観客爆笑)
監督が持っているイメージと脚本から見たストーリーとしての整合性をすり合わせながらの共同作業がないと形にはならないから、そこはやっぱりコミュニケーションが大事だった。

Q. 2021年10月号のアニメディアでのインタビューで、元々「最後のセリフ」は「再生産のレヴュー」という名前だったということを明かされていたが、これは世に出る予定はあったのか。また、冒頭のレヴューに名前はついているのか。
A. 「最後のセリフ」は納品直前で監督が変更した。あれはもはやレヴューではなく華恋とひかりのキラめきのぶつけ合いだから。冒頭のレヴューについては、脚本上は「別れのレヴュー」と書かれている。

Q. 星見純那の進路について。「草稲田大学文学部」への進学は「他人の言葉」を利用する最たる例という印象で、それを否定した純那だからこそニューヨークへの留学を決意したように受け取れる。彼女の進路と彼女にとっての「言葉」はどのように捉えればよいか?
A. 個人的な考えで言えば、純那はななとのレヴューで一旦「言葉」を捨てたのではないかと思っている。「言葉」とは対極にある、ある種無鉄砲な、衝動的・感情的な動機でニューヨーク行きを決意したのだと思う。おそらくそれは、お堅い感じ両親の元で育った純那が、舞台の道を反対する両親を振り切って聖翔へと進学した時の「衝動」が再び蘇ったものなのかも。狩りのレヴューを終えた純那が、「言葉」に頼っていてはななとの約束を果たせないと思って捨てたのかもしれない。でも純那は一周二周したらまた自分の言葉を見つけるんじゃないかとも思う。今の段階では「言葉」を捨てている。

Q. ロンドンに戻ったひかりは王立演劇学院に復学したのか?
A. したと思いますけどねえ。何かしらの方法で。まあMr. ホワイトも英国諜報機関のメンバーですし(笑)。色んな手を使ったと思いますよ。そもそもひかりの退学のときもキリンのはんこが捺されてましたし。あれ誰が捺したんだろうとか気になりますよね。イギリスにもキリンが居ますからなんとかなるでしょう。あと、ひかりの学歴はどうなってるんだよと思いますね。入学退学編入退学復学……。

Q. 華恋の「ノンノンだよ!」というセリフは『青空の向こう』という劇が元になっていることが明かされたが、あのセリフは『青空の向こう』の台本にあったのか、それともその場の華恋のアドリブか?
A. あのセリフは台本にあった。華恋は過去を燃やして今を生きているが、演じてきた舞台は彼女の血肉になっているということを映画で描きたかった。劇場版の最後に「本日、今この時」の華恋がオーディションに臨むときのセリフ「1番、愛城華恋。みんなを、スタァライトしちゃいます!」も、レヴュースタァライトを演じ切った華恋がそれを自身の血肉に変えていることを示したかったから。「99期生」を卒業した華恋は「99期生」と言わなくてもいいんだと。

Q. 真矢は王立演劇学院を受験したのか。また、王立演劇学院に合格したひかりや中学時代に脚本の賞を受賞したななのことは出会う前から知っていたのか。あと、月一回くらいでトークショーやってほしい。
A. ななのことは知ってたかも。個人的には、真矢は「究極の井の中の蛙」であってほしいと思っている。もちろん世界のことは知っているがそれを踏まえた上で、日本一が世界一という認識のもと、日本の最高峰を目指す。キャラ的に海外はクロディーヌというのも少しある。海外に行けないということはなさそうだが、ちゃんとご飯を作れるか不安。フランス語は秘密特訓で習得してたし英語は大丈夫だと思うけど、案外手がかかりそう。
 月一回!?無茶を言うな(笑)、という感じですが望まれたらやります。
(追記:真矢の「究極の井の中の蛙」の話はスタリラ#17 4.5話【世界】(ギャラリー→アルカナ・アルカディア幕間)で描かれています。このお話は今回のトークショーでも話題に上がった「舞台少女とは何か」や「天堂真矢から見た西條クロディーヌ」、そして『Star Parade』の歌詞などにも関連する、かなり濃い内容になっているのでまだ読んでいない人は是非!)

Q. 劇場版の流れやしっかり完結するラストを含めて、コンテンツ展開を目指すブシロードがよく許したなと正直思う。ブシロードはどれくらい劇場版に噛んでいるのか。
A. 版元なのでもちろんすべてに関わっている。でもラストに新しい9人組が出てきて「ふふっ。あれが先輩たちのスタァライトなのね」とかいう展開を皆さん観たいですか?という話です。この点に関しては本当に武次プロデューサーが身を挺してスタッフのことを守ってくださった。あの人がいなかったらこの作品は本当にできていない。TV版のOPでキラめきがついているのは制作スタッフからのせめてもの感謝の表れ。

Q. 幼稚園のシーンでひかりの弁当に白米が無いのはなぜか。血糖値スパイクを気にしている?
A. 5歳で血糖値スパイクを気にすることあります!?これは監督案件じゃないですかね。華恋はおかずだけ先に食べてるし、ひかりは白米だけ先に食べたのかも。もしくは別に持ってきてて画面には映ってないだけとか。監督か谷さんに聞いておきます。

Q. 今日、TV版とロロロは観たけど劇場版は初見の友人を連れてきています。初見の人に言っておきたい言葉はありますか?
A. "Don't think. Feel!"
この映画は体感していただくのが全てなので。トマトが嫌いになっても良いし、列車が怖くなっても良いし、キリンが嫌いになっても良い。あなたの感じたことが全てです。

Q. 色々カットしての120分になったということだが、完全版を作る予定はあるのか?クラウドファンディングなどはどうか?
A. せっかくならディレクターズカット版を出せればいいなと思うこともあるが、制作時に全部燃やし尽くしたというのと、これに何かを追加してもただの説明になってしまうので……。個人的にはクラファンをやったとしてもそれは次の作品に注ぎ込む方がいいかなと思う。古川監督にその潤沢なリソースを渡したときに、どんな面白いものが出てくるのかというのが知りたい。

Q. スタァライトがきっかけでクリエイティブの道に進んだ人たちへひとこと
A. 舞台で、待っています。一緒にモノづくりをしましょう!

ここで質問タイムは終了。最後に口上の話。

口上について

 おかげさまで「スタァライトと言えば口上」というイメージを持ってもらえてありがたい。この口上をどうして入れることになったかについてお話を。

 この作品には、昭和の歌謡ショーの前フリや演歌の前説、セーラームーンや宇宙刑事の決め台詞、時代劇の名乗りや任侠映画の仁義などと同じような、「何かが始まるぞ、というスイッチ」が欲しかった。というのも当時のミュージカルを題材とする作品はどこか視聴者に届いていない部分がある気がしていて。そもそもミュージカルという形式は「演者と客の共犯関係」があって初めて成立するものなんですよ。「ここがフランスかあ」というセリフがあればその空間はフランスになるのだ、という暗黙の了解を共有しているという意味での共犯関係。でも、アニメになるとそれが崩れてしまう。なぜなら視聴者は日常の中でアニメを観ているから。ふと周りを見渡せば冷蔵庫とか電子レンジとかがあってそこがフランスではないことに気付いてしまう。急にミュージカルは始まらないからこそ、「ここから始まりますよ」を示すスイッチが必要だった。そして同時に舞台少女自身のスイッチにもなるようなものにしたくて口上という形になった。口上は舞台少女の現在地の提示、つまりバミリの提示としての役割もある。

 口上はスタリラ等も含めて60個以上は作った。どうやって作るのか、というと、これはもうキャラを想像するしかない。そしてタイミングと間。あとは言いたいことを言わせること。だから純那は「99代生徒会長」と言うし、真矢は「首席」と言わないし、クロディーヌは「次席」と言わないし、華恋は最後に「99期生」と言わない。

 よく「樋口さん自身の口上はないんですか」と聞かれるが、いや、口上がある脚本家ってなんだよ(笑)と。一つ心がけていることがあるとすれば、3回繰り返すこと。「見ない、聞かない、調べない」とか「死ななきゃ、死にたくない、お前が死ねぇ!」とか。(このセリフはクロスアンジュ第3話参照のこと)

 今回のためにシネマシティ用の口上を作ってきたんですが諸般の事情でTwitterには載せられなかったのでここで口頭で紹介。
「人にはさだめの星[スタァライト]がある。TV、ロロロ、劇場版。……」
(ほとんどメモを取れなかった……。何人かの口上をベースに作られてました)

いつものフォトセッションを挟み、いよいよフィナーレ。

エンディングトーク

折「寂しい気持ちで一杯ですがそろそろ終了のお時間が近づいてきました。最後に一言教授の方から何かありますか」
樋「今回は告知あります。まず今月末に舞台#4 Climaxが池袋の東京建物Brilliaホールにて上演されますので是非よろしくお願いします。あと先日発表されたスタァライトのコンソールゲームで脚本を担当します。そちらもよかったらお手に取っていただければ」
折「あの……話せることはないとは思うんですけども、コンソールゲームについてニュアンスというかさわりというか、もし何かありましたらお願いします。個人的に気になっておりまして」
樋「あの人たちもあの人も出るよ!」
折「ありがとうございます!!」(一同拍手!)
樋「実はここ最近少し思うことがありまして。古川監督も小出副監督も武次Pも野島Pも山田Pも中村彼方さんも山田音響監督も……、スタァライトのスタッフみんなが次の駅へ向かっているのに僕だけがこの駅に残されているような気がして。でももうしばらくこの駅で駅員を続けることも悪くないなとも思うんです。嬉しいことに初めて駅に来る人もいれば里帰りしてくる人もまだまだたくさんいらっしゃるので」(実際にはもっと多くのお名前が挙がっていました)
折「司会なのに留年したくなってきました」
樋「それはダメ(笑)。とはいえその機会があればまだまだ話すことはいっぱいあるので、是非。本気でやれば夜通しでもいけるかも」
折「シネマシティでも深夜イベントはてっぺん(=24時)くらいまでやってますので樋口さんの時間が合えば是非お願いしたいです」
樋「昔こういうイベントで朝の五時に登壇したこともあるくらいなので時間はいつでも大丈夫です!また色々お話しできればと思います」
樋「それでは、また!皆さんどこかでお会いしましょう!」

ということで、全4回のトークショーが終幕した。

あとがき

 樋口教授、4週にも渡って本当に素晴らしいご講義をありがとうございました!幸運にもすべての回に出席することができ、大変嬉しく思っています。樋口さんをはじめとして監督や他のスタッフの方々が作品に懸けた思いの一端を知ることができ、スタァライトが大好きな気持ちをより一層高めることができました!

 シネマシティさん、このような素晴らしい企画をご用意くださり本当に感謝の念に堪えません!なかなかこういう機会がなければ樋口さんに直接質問に答えて頂けることがないためスタァライトファンとして大変ありがたかったです。

 そしてずっとスタァライトを支え続けてくださっている舞台創造科の皆さん、劇場版公開から1年半以上も経っていながらこのようなイベントがまだ開かれるのは皆さんのおかげです。スタァライトされてまだ一年も経っていない新参者の私がこのトークショーに参加できたのは、ひとえに皆さんがもつスタァライトへの熱量あってこそだと思っています。この場を借りてお礼申し上げます。

 だからこそ、今回トークショーに参加できなかった舞台創造科の皆さん、そしてまだ見ぬ未来の舞台創造科の皆さんに当日の空気感を伝えることが、奇跡的に参加できた者としての役割だと勝手に思っています。もしそれが少しでも達成できていればこんなに嬉しいことはないです。

 長くなりましたが改めて、樋口さん、シネマシティさん、本当にありがとうございました!また次の舞台でお会いできることを楽しみにしております!

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