「人を踊らせる」編集者の心構えについて

 先の記事をfacebookに掲載したところ、

「小保方さん、以前の研究発表にしても今回の出版にしても、周りから躍らされてる感じがしてなりません。」

 というコメントをいただいた。
 私は、かつて、専門出版に近い出版社の雑誌・書籍編集者として、誰でも知っている事件の当事者が語る、スクープ記事・書籍を何回か作ってきた。だから、私自身も、人を「踊らせてきた」わけだ。専門性の高い分野にいるというスキャンダリズムからやや引いた立ち位置を逆に利用し、社会に波紋を起こした事件にかかわる「告白本」「スクープ」のたぐいをいくつか成功させることで、社会に問題提起ができたというささやかな自負がある。その仕事をしながら、何を考えてきたかについて話をしたい。ただ、こういうことは、教えられてできるスキルというわけではないので、その時その時に自分が考えて行動したことでしかない。ゆえに、このお話は一般性はないとお考えください。

 まず、依頼することから始めるのだが、私の立ち位置は今も当時もマイナーであり、大新聞・一流週刊誌・メジャー出版社とは遠い。物量質にまさる彼らとハンデのついた競争をしなければならない。とにかく「あなたの主張を読者に届けることでこういうことを実現したい」という直球を投げ続ける。これでけっこう人の心を揺さぶることができた。


 許しが出たら、その「約束」を果たすことに全力を挙げる。記事や本づくりでそうすることもももちろんだが、ごく普通の記事や書籍でも、その人の人生が変わるようなことが起こる。だから、相手のリスクを極小化するための根回しは丁寧に行った。たとえば事件を扱う場合、被害者がいる事件ではその許可、被害者側の場合は親族間の摩擦も起きうる。そこにどんどん入っていって説明し、許しを乞うのだ。

 記事や書籍が出たら、不測の事態に備える。昼に「出版差止の法的措置もするぞ」と抗議が来て、夜には600キロ離れたその相手のところに行って激論したこともあった。丁寧に説明し、許しを乞うが絶対に退かない。夜11時前にへとへとになって相手の事務所を出て、会社に電話したら社長が待っていた。「大丈夫だと思います」と報告したが「本当か?」と不安そうだ。ところが、電話しながら何の気なしに後ろを見ると、向こうから相手がこちらに向かって駆けてくるのが見えるではないか。うわやばい、「またかける」と電話を切って身構えたら、相手は息をはずませながら「一緒に帰ろう」と言うのである。
 相手は最後まで「許す」とは言わなかったが、結局刊行前の根回しをしていたことが伝わっており、それが効いた形となった。

 幸い、私の経験ではまずいことになったことはなかった。当事者たちとも長いつきあいが続いている。特に、私の記事まで一切外部のインタビューに応じなかった犯罪被害者が、本人の意思で最初の記者会見をやった際の司会を担った時は嬉しかった。この人は現在、事件の風化を防ぎたいと毎年イベントを開くまでになったが、それに当たって必要な人間関係の整理についての相談も受けた。


 編集者や記者の喜びのひとつは、自分が関わった記事で、著者・筆者・当事者がいい方向に変化し成長することを見ることだ。だからこれらの経験は私にとっては幸せであり、当事者にとっては不幸中の幸いとなるといいのだが、丁寧にリスクを小さくしてはいるものの、もちろんそれは結果論に過ぎない。刃の上を渡っていることは事実。「踊らせている」ことは常に自覚すべきなのだ。


 会社を辞めたら、以上のような経緯を全く知らない人から、今度は事件当事者のゴーストライターとなって本を書く話が転がり込んで来るのだが、それはまた別の話。

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