杉田水脈議員の「生産性」という言葉は「労働力」という意味である。

杉田議員の「生産性」という言葉は、LGBTへの侮蔑なのか?
これは一議員の「失言」にすぎないのだろうか?
私は、いずれもそうではないと考えている。
法学部に入りたての頃、私は「水子供養の研究」をしていた。もともと中学生の頃から石仏研究家であった私は、大学に入って鎌倉の長谷寺で見た、30センチほどの石の粉を最中みたいな型で固めた小さな地蔵が林立する水子寺に違和感を覚え、調査を開始したのである。
口べらしで堕胎した子の魂を慰める水子供養は江戸時代から広く行われていたが、そこで立てられた地蔵は言ってみれば集落の共同のものであった。それを現在のような「一人ひとつの地蔵」としたのは品川の右翼の大立者だ。1970年のことである。その背景には優生保護法反対運動があった。すなわち高度経済成長の爛熟期、70年安保と女性の決定権を掲げたウーマン・リブ運動が盛り上がったこの頃、その風潮は労働力の減殺につながる、と、堕胎に罪悪感を持たせることを目的に始まったのが、小さな地蔵を祀るマスプロ水子供養だったのである。加えてビジネスとしても大成功した。
少子化が進むいま、半世紀前と全く同じ労働力不足への右派イデオロギーの焦りがあるのだと私は考えている。性別への自己決定が「産まない」傾向をさらに進めることへの嫌悪が本質である。LGBTそのものを杉田議員個人が嫌悪しているのかどうか。「生産性」という言葉はそれとは別で、まさに言葉通りの意味なのだろう。
批判するならここを撃つべきである。

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