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それぞれの幸せのカタチ。愛のカタチ。

何だか上手く眠ることができず
久々に映画【彼らが本気で編むときは、】を観た。

軽く映画のあらすじを説明すると
トランスジェンダーの元男性とその恋人
そして親から見放されたその恋人の姪の3人による
「家族の絆」の物語である。

映画のなかでの彼らは
周囲からの多くの偏見の目を感じつつも
本当に極普通の幸せな「家族生活」を送っている。
確かに色々な面を考えて見ていくのなら
所謂「普通の家庭」ではないのかもしれない。
だが、実際その3人の生活には何の変哲もなくて
寧ろ彼らは我が家よりもずっと幸せな生活を
送っているんじゃないかと思ったほどだ。

そして改めて今現在同性の恋人がいる目線で観ると
世間一般で言う「幸せのカタチ」であったり
「愛のカタチ」なんてものは
きっと何処にも正解はないのだと、ふと思う。

籍を入れることや子どもをつくること
それらが出来なくとも、わたしはカノジョと
これから先も一緒に居られるのなら幸せを感じるし
もし身体的な繋がりが殆ど無かったとしても
精神的な繋がりを強く感じることが出来るのなら
また、強く結ばれた絆を感じることが出来るのなら
それでわたしは強い愛情を感じ満足するだろう。

実際身体的な繋がりについては
好きだからこそ関係を持ちたいわたしと
それよりも別の事を重視しているカノジョとで
幾度もカノジョと揉めていた話題なのだが
改めて映画を観ていくなかで
愛情を伝える行為は決してそれだけではなく
例えそういった行為が無かったとしても
お互いに満足するカタチで精神的に結ばれることは
困難なことではないのだと、ふと気付かされた。

人それぞれ、幸せや愛のカタチは異なる。
だからこそお互いにお互いの満足いくカタチを
どんどん求めていくからこそ、ぶつかり溝が生まれ
それが別れに繋がることもある。

だがそこでしっかりと話し合い、お互いに向き合い
2人だけのカタチを見つけることができたのなら
きっと大丈夫なんだろう、なんて思ったりする。

何となくだが、わたしたち2人は
幾度もの喧嘩や話し合いなどを乗り越えて
2人だけの幸せのカタチ、愛のカタチを
見つけられたのかなあ、と思った夜長である。






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