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ナルシストにはなりたくねえ

このNOTEは普段活動しているはてブのプロトタイプとして作ったのですが、全然更新してないので思い立ったネタで記事を書いてみたいと思います。の第二弾です。

☝普段活動しているはてブ。呪術廻戦の記事もあるし、20日には俺の記事が投稿されるよ。是非チェックしてくれよな。


 はい、本題。

 ナルシストというと、いっつも鏡の前に立って自分の顔を見てうっとり…というカラバッジョのナルキッソスみたいなイメージがありますが、そんな典型的なナルシストはみたことないです。

 あ。嘘。

 学生時代いたわ、あんまり絡みなかった人だけど。今でいう、休み時間にはうっせえわ聞きながら居眠りこいてそうな成績の低い陰キャが隙あらば鏡見て髪の毛いじってた。
 まあ、彼も高2くらいにはそんなことしなくなってたし。


 話を戻して。

 俺のいうナルシストって言うのは、いわゆる花輪クンタイプではない。むしろ隴西の李徴みたいなタイプ。尊大な羞恥心と臆病な自尊心がATフィールドと化してしまい、ひたすらボッチするしかない、そんなタイプ。

 そんなクラスの端にいるようなやつがどうしてナルシストなのか。

 なぜなら彼らもまた自分にしか関心がないから。

 なのですでに心理学において、ナルシストの一類系として分類されているかもしれない。


 さて。
 俺が巷に蔓延る李徴に気づくきっかけとなった人間をXとする。ただしXとは特定の1人ではない。

 そいつと出会った最初の印象は、「話しやすいやつだな」というものだった。
 だって積極的に自己開示はするし、こっちの言葉にもリアクションいいしで最初の俺は好意的だった。

 それが疑問に変わったのはしばらく経ってから。なんというか、会話を続けるうちに話が通じてるという感覚がしなくなった。

 それに時折不愉快さを感じるようになった。

 あれぇ~変だな~妙だな~。なんか怖いなぁ~。

 そうして一つの事実に気づきました。

 会話した内容をよく考えてみたら、Xは自分の話しかしてないやんけ!

 そうなのです。Xはあらゆる話題を自分に引き込み、自分語りをブッコんでくるのです。
 例えば俺が「昨日食いに行ったカレー屋さん美味しかったわ~」と話そうものなら、すぐさまXに主導権を横取りされ、Xのカレーエピソードをひたすら聞かされる羽目に。

 俺か。俺が隙を見せたから悪いのか。

 単に俺に興味が無いのかと思った時期もありましたが、誰に対してもそうみたいです。
 つまり自分の話が出来れば誰でもいい。Xにとって他人とは目と鼻のついた壁でしかないのです。

 このように自分の話ばかりをする人ってあなたの身の回りにも結構いるかと思います。

 Xのような人間は自分にしか興味が無い。つまりナルシストなのです。

 というか、NOTE読むやつって自意識高いから案外お前がそうかもな。

 ではそんなXの特徴を3つまとめてみましょう♪


①自分のことをコミュ障とか人見知りとかいう

 冒頭で紹介した花輪クン的なナルシストを「積極的ナルシスト」というなら、Xのような李徴タイプは「消極的ナルシスト」といえそうです。

 彼らは決して自分を自慢したりしません。その心には巨大な自己愛が鎮座しておりますが、臆病な自尊心と尊大な羞恥心によって押さえつけられております。
 なので代わりに自分の欠点をさらけ出し、弱みを見せ、「きみもそうだよね」とカヲル君みたいな顔してこちらに寄ってきます。この罠にはまってしまったが最後、あなたは自分語りのサンドバックにされてしまうでしょう。

 こうした消極的ナルシストの存在に気づき、警鐘を鳴らしてくれていた人物が半世紀ほど前にすでにおりました。

 それが三島由紀夫です。その傑作エッセイ集『不道徳教育講座』の「弱い者をいじめるべし」に出てくる弱い者こそ、俺がここで提唱した「消極的ナルシスト」を巧みに描いております。


 というか、学生時代に読んだこの本を記事の執筆中に思い出したので、俺のいう消極的ナルシストは、ジョージハリスンが裁判で認めた「潜在意識のうちにおける盗用」なのかもしれません。

 三島のいう「弱い者」とは「弱さを最大の財産とし」、「すぐ同情を惹きたがり」、「自分をダメな人間と思っているくせに妙な女々しいプライドをも」つ人間です。代表人物、太宰治。

 三島の文章からは男に限定してるみたいなニュアンスを感じるけど、女にもいるよ。女の方が多いよ(個人の感想)。
 男女問わず、病んだ病んだアピールしてばっかりで全然鬱にもならねえし死にもしねえ会社も辞めねえやつ、あなたのまわりにもいるでしょう。


ネクスト!!

②そのくせ他人の病みには冷淡

 怖いですねえ。ほんとに怖いですねえ。①と連鎖しているから①’くらいが正確かもしれないけど、彼らの他人への痛みへの無関心さはほんとに怖いので、②とさせていただきます。

 昨日あれだけ自分の心の痛みについて悲劇のオペラを熱演したっていうのに、友人の誰かのメンタルが壊れてしまった件については何の興味もないんですもの。

 そいつが休職しても自分の仕事がちゃんと回るかどうかの心配しかしてないんですもの。

 怖いよー。

 さもありなん。なんせ彼らは自分にしか興味が無いんですもの。


③家族の話をよくする

 最後となりました。
 彼らも賢いですからねえ、自分語りが嫌われるということも、自分が自分の話しかしないとことも実はしっかり把握しているんです。

 そこで身代わり的に語られるのが家族の話。話といっても家族のすごいエピソードとかのろけ話で、恥になるようなことは一切話さない。

 パッと見陰毛に見えてたとしても、それは彼らの腋毛です。安全の担保された恥なんです。
 陰毛と腋毛で例える意味あった??

 あ、それと。身代わりだからか、彼らは自分の家族のことが大好きです。

 わー楽しそう♡幸せそうでよかったね♡

 あーあー、いいよ写メなんか見せてくんな、コメントに困る。


 ………………。

 ……でもほんとは、俺こそが消極的ナルシストなのかもしれない。
 聴くことの力なんて持ち合わせちゃいねえし。
 それに臆病な自尊心と尊大な羞恥心が作り上げる妄想の世界は。
 

 結構居心地が良い。


 じゃあの。

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