コンテンポラリー作品

 ローザンヌ国際バレエコンクールをご存知だろうか。15歳から18歳までの若手のバレエダンサーへのキャリア形成を目的とした大会で、入賞者にはバレエ団入団への切符ではなく、主に奨学金(スカラシップ)が授与される。つまり各名門バレエスクールが次世代のホープを発掘しにやってくる時代の象徴とも言うべきコンクールなのである。

私はバレエを辞めた今も尚、公式YouTubeの動画やNHKの特集でローザンヌを毎年追っている。何故なら普段はあまり地元じゃ観ることのできないコンテンポラリー作品を観れるからだ。ローザンヌの特徴の一つに、決勝ではクラシック作品とコンテンポラリー作品の2作品を踊らなければならないという点がある。そして近年特に、このコンテンポラリーの比重が高まっているように感じる。

比重が高まっている、という表現は誤りなのかもしれない。正確にいうと、若手とは思えないくらいプロ顔負けの「パフォーマー」が現れてきているのだ。解説員はコンテンポラリーに対してこう話していた。

クラシック作品は世界観やキャラクターに合った表現が求められるが、コンテンポラリーは「自分自身」をどう表現するかが問われる。

 自分自身の表現。それを時代が求めているということだ。私はこれはジャグリングの時代のチャンスなのではないかと思った。あまりに論が飛躍しすぎているかもしれない。より詳しく云うと「モノを使った表現に着目される時代がやってくる、既にやってきている」ということだ。

とあるパネルディスカッションで、キャラクターの感情を表すのはジャグリングは苦手だが、「すごい」ものを見せるということに関してはジャグリングは得意だと仰っている方が居た。私もこれには同感だ。でも、私は更に重ねて言いたい。人間は自分の身体を道具としてダンスという表現をしてきたが、それが空間におけるモノに対しても表現する対象として『拡張』される時代が来る、と。それはもう到来しているのかもしれない。そのときに時代を台頭するのは、きっと古典バレエを履修してきたバレエダンサーではなく、道具を操るという技術に長けたジャグラーなのではないだろうか。

欧州でいう現代サーカスは既にバレエ団がコンテンポラリー作品をするように作品を発表している。でも日本には、舞踊でもジャグリングでもどこの世界に行っても「コンテンポラリー」や「コリオグラフィー」そのものに対しての理解が薄いように感じる。何を見たらいいのか分からない、何をどう感じ取ればいいのか分からない。これは幼少期から芸術に触れたり、何をどう感じてどう表現してもいいという場が少ない日本の教育現場の問題にも関係する。私自身はどの角度からどのように行動できるのかは分からないが、コンテンポラリーを見てあれが面白かった、ここが良かったと言い合える仲間が増えるよう少しでも自分の芸術活動は続けていきたいと思う。

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