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基地の裏庭 Ⅲ

Ⅲ‐① ~場所とディテール ♯3~

Twitterにてお話に関する質問や感想などを募集しています。

このnoteの記事の中で、頂いた質問にお答えしていったりしたいなと思っていますので、リプやDMでぜひたくさん送って頂けたら嬉しいです。よろしくお願い致します。


”強烈な印象に残っているのはここなの野球の回。ちょっと遠出の野球場。”

(Twitterに頂いたコメントより)

「あっ、傘!」と、さなが言って、グラウンドを隔てた反対側のスタンドを指さした。一塁側のスタンドに、ぽつぽつと傘が開いていた。水色やピンクや緑色の、半透明のビニール傘や、色々な模様のナイロンの傘が、本塁近くのバックネット裏のあたりから開き始め、一塁側の内野席、外野席の方にまで広がっていった。
 それはまるで花が咲く様子を早送りで見ているようだった。
「ねえ、おかしいよ。傘の応援は七回だって聞いたよ。まだ、五回だよ」
 ここなが不思議そうに言った。
 傘の花の理由は、すぐに分かった。
 雨が降っていた。
 一塁側にだけ、雨が降っていた。
 ちょうど、ピッチャーマウンドの辺りで、球場を二つに分けるように、一塁側にだけ、雨が降っていた。

(「八月」/Ⅴ より)

夏休みに入り、そよ、つぐ、ももえは頻繁にさくらベースに足を運ぶようになり、ベースの子どもたちと急速に仲良くなっていきます。第二章「八月」のⅤとⅥでは、さくらベースでの夕食会、子どもたちの野球観戦、そしてお泊り会の様子を通して、子どもたちの心がお互いに近づいていくのを描いています。

コメントを頂いた野球観戦のエピソードは、自分でも力を入れて描いた場面の一つです。日曜日の午前、K駅から各駅停車の電車に乗って子どもたちは野球場に向かいます。試合はデーゲームで、子どもたちは原宿の街で遊んでから球場に到着し、そこで初めて野球を観て、球場の半分にだけ降り注ぐ雨を体験します。原宿から歩いて行けるということで、この球場が神宮球場であることはすぐに分かりますね。文中では、竹下通りから神宮球場へ徒歩で向かうイメージで道のりを描写しました。

この野球場での雨のエピソードは、僕が中学生の頃に実際にした体験を基にしています。友達が新聞屋さんからチケットをもらい、ヤクルトスワローズと中日ドラゴンズの試合を観戦しに神宮球場に行きました。僕らは三塁側の中日の応援席に座り、実際にはホームランを打ったのはヤクルトの秦真司選手でした。5回の表あたりにグラウンドを隔てた向こうの一塁側で傘が開き始め、雨のカーテンがオーロラのようにこちらに迫って来て、やがて僕らが座っていた三塁側の応援席も霧雨のような雨に包まれてしまいました。試合は降雨コールドになりましたが、この出来事は忘れられない記憶として鮮明に自分の中にあり、物語を創作すると決心した当初から描きたいと思っていたエピソードでした。


 波子さんとみくが盛り付けをして、カレーは出来上がった。野菜の繊維でとろりとしたカレーと、ほんのり赤い色の雑穀米が一緒に皿に盛られ、グリルで焼いたナス、ズッキーニ、カボチャ、トウモロコシが添えられていた。

(「八月」/Ⅵ より)

お泊り会でももえ、みく、ここなが波子さんと一緒に作った夏野菜のカレーは、栗原はるみさんのレシピにアレンジを加えたものです。K市にある我が家でも夏になると実際によく食卓に登場するメニューです。


 かのが取り出したのは、四角い透明なケースに入った一枚のディスクだった。表は水色で、白い文字で何かが書いてあり、裏面は鏡のようにキラキラと光っている。
 かのは、それを、テレビ台の下にあるプレイヤーに入れた。
「これを一緒に観たくて」
 かのは、リモコンをテレビの方に向けて、ボタンを押した。
 テレビのスピーカーから、湧き立つ歓声と、ヘリコプターの羽根が回るような効果音が聴こえ、画面には青いスポットライトにぼんやりと照らされた舞台が映った。薄暗い舞台にたくさんの人影が現れ、効果音が途切れると、音楽が始まった。
 それは、大勢の観客が取り囲んだ、円形の舞台の上で、唄いながら踊る、少女たちの映像だった。
 今までにも、そよはテレビの歌番組で踊る女性のグループを観たことは何度もあったし、かのが、遊技場でみんなとダンスを踊る時に、流行りの音楽をかけるのを、たびたび目にしたこともあった。だが、いま画面に映っているのは、そよが知っている女性グループとは何かが違う、と思った。
 理由はすぐに分かった。彼女たちは、学校の制服を着ていた。

(「八月」/Ⅵ より)

夏休みの終わりにかのがそよに見せた『十二人の少女たち』の映像は、ストーリーの「転」の役割でもあり、何よりもこの作品がファンアートであるという意味で、とても重要なファクターでした。

読んでくださった皆さんはすぐに分かったと思いますが、この場面にはもちろん、僕が物語を描くきっかけとなったグループがカメオ的な形で登場します。グループが物語の中の登場人物に影響を及ぼし、登場人物が何らかの体験をするきっかけとなる、ということを描くことによって、「皆さんは誰かの人生を良い方向に変えるような素敵なことをしているんです」と、実際の彼女たちに伝えたかったのです。

正直に言って、この第六話を公開した時は本当に怖かったです。パラレルワールドと現実の世界が交錯するような描写だし、こういう形で、読んでいる人にそれと分かるように彼女たちを登場させてどんな反応があるのか、びくびくしながら公開した事をよく覚えています。皆さんが彼女たちに深い愛情を持っていることをよく知っていたから、なおさら…。でも、公開した後に皆さんから温かい言葉を頂いて本当に嬉しかったし、この場面を描いたことによって僕自身ももっと心を込めて残りのストーリーを紡がなければ、と改めて決心することができました。全体のちょうど半分まで進んだところで、止まっていたそよとかのの時間が再び動き出す。そんな一場面は、色々な意味で、この物語にとってとても大きなものになりました。


Ⅲ‐② ~場所とディテール ♯4~

夏休みが終わると、物語の中心は子どもたちのダンスの練習、そして地域のバザーで踊る本番へと移って行きます。さくらベースの中でも遊技場の風景が描かれることが多くなり、同時に、そよが学校に戻ったことで、学校の描写も多くなります。実はこの『遊技場』という表記は、本来『遊戯場』の方がより相応しいのですが、ベースの子どもたちが紙に書く時に戯という漢字が難しいのでこの表記になった…と、後付けで決めました(笑)。印刷した書籍バージョンでも修正はしていません。

ダンスの練習風景に関しては、以前別の記事でも書いた通り、そのさんから頂いたアドバイスが本当に大きな力となりました。ここで改めて有難うございますと言わせて下さい。そのさんは立ち位置図や詳細な”シチュエーション”を紙に書いてアドバイスとして僕にくださり、僕はそれを基に、彼女たちならばどんな風にしてダンスを完成に近づけて行くだろう?と想像しながら、練習の場面を描いていきました。僕自身ダンスの専門的な知識が全くない状態で書くのは難しかったのですが、逆に、同じく専門的な知識を持たない子どもたちにかのがダンスを教えるならば(そして予め2か月という時間を想定していたならば)、どのようにするだろう?と、かなり深く考えましたし、試行錯誤を繰り返しながら描いていく過程は彼女たちの練習とも重なる部分があるかも知れないと思いながら、少しずつ筆を進めて行きました。

頂いたアドバイスの詳細やダンスの練習風景については、細かく書き始めるとそれだけで一つの記事ができてしまうくらいの文字数になってしまう恐れがあるので、また機会があれば別に書きたいな、と思います。


 父親は、頭を掻きながら、言った。
「僕が尊敬している人の言葉に、『人生の横道には、キラキラと輝く宝物がたくさん落ちている』というのがある。僕も、その通りだと思う。横道に落ちているキラキラとしたものは、地位とかお金ではない、それよりももっと大切なものだと思う。…そもそも、何が本道で、何が横道なのか、僕には、いまだによく分からないんだが」

(「十月」/Ⅶ より)

そよと父親との会話の場面で出てくるこの言葉は、橋本武さんの言葉ですね。『銀の匙』の授業で有名な、灘中学校の教師だった方です。橋本さんの「すぐ役に立つものはすぐに役に立たなくなる」という言葉が、僕は大好きです。


 そよのおでこの傷は、小学二年生の頃に、できたものだった。
 その頃、二人は、公園で遊ぶのでは物足りなくなって、歩いて少しのところにある雑木林や、小さな川の土手などに、よく遊びに出かけていた。
「ねえ、そよ。『冒険』に行こう!」という、かのの言葉が、合図だった。
 小さなポシェットにプラスチックの水筒と、お菓子やハンカチ、おもちゃの方位磁石などを入れて、二人は出かけた。
 その日は、仲秋の少し肌寒い日で、二人は、かのの家から歩いて十五分ほどの場所にある、小さな森へと向かっていた。
 森は、台地を切り通した隧道の上に広がっていて、農作業の車両のために舗装された細い道から、低い草木が生える急な斜面を登ると、背の高い樹々に囲まれ、どんぐりがたくさん落ちている、平坦な場所にたどり着くことができた。

(「十月」/Ⅷ より)

夜の遊技場でそよとかのが二人きりになる場面も、自分にとっては印象深い場面の一つです。過去の回想の中に出てくる二人が歩いて向かった森、そよが転んで怪我をしてしまった場所は、国道16号線の柏隧道の上に覆いかぶさるように広がる高台がモデルとなっています。

ここは15世紀に戸張一族の城が築かれていた跡地であると考えられていて、同時に弥生時代の竪穴式住居の復元遺構もある、歴史が好きな人を惹きつける要素のある場所なのですが、この一帯を敷地とする文京区所有の施設が閉鎖されて以来、立ち入りができなくなってしまいました。僕が中学生くらいの頃はまだ、そよとかのみたいに斜面を登って台地に登ることができ、そこでカラーボールの野球をしたりしていました。


 バザーは十一月の初めに、はちまんさまと呼ばれる神社に隣接する『近隣住民センター』という施設の敷地で開かれる。もう三十年以上も続いていて、十月の神社の秋祭りとともにこの辺りの人たちが楽しみにしている、秋の行事だった。

(「十月」/Ⅸ(前編) より)

夏休みの場面でもちらりと出てきた『はちまんさま』は、柏市増尾にある廣幡八幡宮がモデルとなっています。元々の創建は建久年間以前とかなり古い立派な神社です。ちなみに、この八幡宮の近くにはニッカウヰスキーの工場や増尾城址公園という広い公園などがあり、第一章でまりんが自分のことを語る中で登場した、絵を描きに校外学習に行く公園はこの辺りをイメージして描いています。

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また、バザーの主会場となる『近隣住民センター』は、新田原近隣センターという建物がモデルです。体育館で卓球をしたり図書館で本を借りたり、真夏に友達の家から自宅に歩いて帰る途中にあまりにも喉が渇いて水を飲みに立ち寄ったり、子供の頃からの思い出がたくさんある場所です。実際の八幡宮と近隣センターは離れた場所にあるのですが、お話の中では隣接していることになっています。


バザーの様子も、自分が小学生くらいの頃に体験した催しの風景を思い出しながら描きました。規模は小さくても、出店やフリーマーケットにたくさんの人が来て賑わっている(そして何故かバザーは秋のイメージが強い)あの風景。「懐かしい気持ちになった」というコメントを頂いたことが、とても嬉しかったです。


Ⅲ‐③ ~場所とディテール ♯5~

 五時間目の教科は、国語だった。
 男性の国語の教師が教科書を開き、朗読をしていた。
 大昔の中国で、勉学の才能を持ちながら、詩人になる事を望んで出奔をする若者のことを描いた物語だったが、古めかしい文体は少し難しく感じられ、しかも、教師が落ち着いた低い声で規則正しく淡々と言葉を読み上げるので、そよは、まどろみそうになるのを堪えて、時々教科書から目を上げ、左を見て、窓の外を眺めたりしていた。

(「二月」/Ⅹ より)

第四章「二月」の冒頭はバザーからおよそ1ヶ月後の12月初旬、中学校での授業の風景から始まります。この時、国語の授業で男性の教師が朗読しているのは、中島敦の『山月記』ですね。高校の教科書に載ることが主だと思うんですが、僕は中学3年生の時に授業で読んだ覚えが薄っすらとあるんですよね。記憶違いかな…。

第十話を公開した当時、バザーでのダンスの本番を描いていないこと、子どもたちが自分で振り返るのではなく第三者に語らせたことについて、少し驚いたというコメントを頂きました。本番についてはシンプルに僕には描写する力が足りなかったし、お話全体のバランスを考えた時にも敢えて描かない方が良いと思っていました。きっと、物語がバザーの場面で終わるのだったら、無理をしてでも描いていたかも知れません。そして、お話をファンアートとして考えた時に、彼女たちのダンスを受け取った側の人間の視点は絶対に入れたかった。かのが、見た人が元気になるようなダンスを踊りたい、と願ったことに対する答えを、しかも自分自身が思ってもいない場所まで届いていたという事実(これも実際の彼女たちに伝えたいと強く思っていたこと)も併せて描きたくて、『洋館』の老婦人に登場してもらいました。

 洋館は、四方を石壁(背が高く、それは塀というよりも壁という表現が相応しかった)に囲まれていて、二人が歩いている歩道からは、庭に生い茂る樹々の枝葉と、青い西洋瓦の三角屋根しか見えない。こげ茶とかわらけ色のレンガの石壁はまるで何百年も前からそこにあるような雰囲気だったし、上の部分には所々にねじ曲がった有刺鉄線が張られていて、そのどこか人を拒むような外観が、子どもたちにそんな噂話を作らせたのかも知れなかった。
 さきあは、つぐに手を引かれて歩きながら、斜め上を見上げるように振り返り、挑むような目つきで洋館を見ていた。

『洋館』は僕が通っていた中学校の近くに実際にあった建物をイメージして描きました。中学校には「あの家に変な人が住んでいるらしい」という都市伝説のようなものが以前からあって、実際に庭を覗いた子どもが住人に追いかけられたりしたこともありました。昭和が終わったばかりの頃の話です。そして、自分が小学生や中学生だった頃、子どもたちに「ここは異世界への入り口なんじゃないか?」と思わせるような場所が、日常の中に幾つかあったんですよね。見慣れているけれど正体が分からない。だから想像力が働くんです。それこそ、かののように「冒険に行こうぜ」と友達を誘い、自転車でその”場所”を見に行く、ということをよくやっていたんですけど、今はもう、K市にもそういう場所はほとんど無くなってしまいました。或いは、僕が見つけられなくなっただけなのか…。

 ウッドデッキの中央には、古めかしい姿の猫脚のテーブルがあり、白い陶器のティーポットが置いてあった。婦人は、さきあとつぐを、堅牢な木造りの、クッションが乗せられた椅子に座るように促し、カミツレのお茶を淹れ、チョコレートやクッキーが乗った菓子鉢を勧めてくれた。
 さきあは、勧められるままに、菓子鉢から、ボンボンチョコレートやイチゴのジャムを乗せたクッキー、綿のように軽いメレンゲ菓子などを手に取り、口に運んだ。
 婦人は家の中から小さな腰掛けを持って来て座り、その様子を、少し面食らったように、目を丸くして、にこにこと笑いながら見ていた。つぐは、まだ戸惑いが消えないまま、青い蘭の花が描かれたティーカップに口を付け、カミツレのお茶を飲んだ。

(「二月」/Ⅹ より)

物語の中の『洋館』には悪い人や変な人はおらず、寂しさを抱えながらも独りの時間を楽しみながら生きている年老いた婦人が住んでいます。菓子鉢に入っているのはウェストのヴィクトリア、ドンクのメレンゲクッキー、モロゾフのチョコレートあたりですかね。そこまで高級なお菓子とかではないんですよね、きっと。でもティーカップはマイセンの良さそうなやつですね。婦人の普段の生活や人となりを想像しながら描く、こういう場面は書いていてとても楽しかったです。


「わたしが生まれたところでは、たくさん雪が降るのよ。山ではないから、湿った重い雪が、どさどさ落ちてくるという感じで、たくさん降るの。十二月の終わりの頃には、雪で公園のシーソーが埋まってしまうし、わたしが小さかった頃には、すべり台の上の方まで積もっちゃったこともあるくらい。小学校までの通学路は、端に寄せられた雪をみんなが踏み固めるから、堤防みたいに少し高くなって、みんな、そこから落ちないように歩いて、学校まで行くの」
 ねおは布団を肩までかけて、天井を見上げながら楽しそうに話を続けた。

12月の終わり、さくらベースで餅つきがおこなわれていた日(この餅つきも実際に僕が幼い頃、祖母の家で毎年のようにおこなわれていました)、ねおは風邪をひいてしまい、母屋の2階で寝込んでいました。林檎を持って来てくれたそよにねおが話すふるさとの風景は、僕が新潟県三条市に住んでいた頃の思い出をほぼそのまま書き起こしています。文中に描いたことの他にも、書こうと思えばいくらでも書けるくらい、色々な事を今でもヴィヴィッドに覚えています。この、少年期の一時期を地方で過ごしたという経験も、物語に間違いなく影響を与えています。


 ゆめとそよは、まず、スーパーマーケットに買いものに出かけた。
「オレンジの皮をチョコレートで包んだのと、マシュマロのチョコ掛け」
 バスの座席に座ると、ゆめは自分が書いたメモ紙を読み上げた。
「それを作りたいの?」そよは、微笑みながらゆめの横顔を見た。
「うん。チョコレートは、あまり甘くないやつがいいの」

(「二月」/Ⅺ より)

かのにプレゼントするためにゆめがそよの力を借りながら手作りするチョコレート。この第十一話を公開したのは2021年2月12日でしたが、その一週間前に「ぽんスターらんど」のYouTubeチャンネルにこんな動画がアップロードされました。

順番としては動画の公開の方が先でしたが、既に下書きの中でゆめとそよがチョコレートを作る場面を描いた後だったので、この偶然も自分には嬉しかった出来事の一つでした。かのの好みの味は甘すぎないことと、フルーツを材料に使うこと。そこから、ゆめが自分でも作れそうなレシピを選ぶとしたら…と考えて、いよかんピールチョコレートとマシュマロチョコレートの2種類を作ることにしました。マシュマロにかけるチョコレートにコーヒーの味を付けているのが、こだわりのポイントです。


 そよは、かのに歩み寄った。
「かの」と、そよは言った。
 かのは踊るのを止め、振り向いた。
 その顔は、ばれちゃったか、と、苦笑いしているようだった。
「本当なの?」
 そよは、かのの大きな目を見据えながら言った。
 かのはうなずいた。
「いつ出発するの?」
「三月二十九日」
「どこに行くの?」
 かのは街の名を口にした。北米大陸の端にある、大きな都市だった。
 そよは息をのんだ。
「遠いよね…?」
 馬鹿げたことを訊いている、と自分でも思いながら、そよは、たどたどしく言った。
「遠いね。飛行機で十時間くらいかかるんだって」

遊技場でかのがそよに明かした留学先の街は、カナダのバンクーバーをイメージしています。都市と自然が共存していて、アウトドアスポーツの人気も高く、かのの父親が勤めるような企業もたくさんあります(実際に日本でも人気のあるアークテリクスなどはバンクーバー発祥の企業ですね)。そして留学という面でも人気が高いこの街で、かのに思い切り楽しい青春を送ってほしかったのです。もちろん、バンクーバーには数多くの素晴らしいダンススタジオもあります。


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『放課後、桜の基地で』は、今回のnoteの記事に書いた部分以外にも本文中には描かれないディテールを設定して物語を書き進めて行きました。言葉のセンスやひらめきに乏しい自分が少しでも架空の世界を魅力的に描くには…と考えた時に、僕にはこれしかできなかったからです。読んでいる人を驚かせるようなストーリーやうっとりさせるような描写は自分には書けないと分かっていたので、一つ一つの場面、場所をしっかりと近くに感じてもらえるように、手を抜かずに我慢強く描いていくことを意識していました。例えば、物語の時代設定は曖昧にしてありますが、全体を通して2019年のカレンダーや千葉県の実況天気を参考にしながら書いていたり…というような。

主人公をはじめとする登場人物たちの”名前”に思い入れが強い分、彼女たちを生きた存在として感じてもらうためにも、まず彼女たちの住む世界をしっかりと思い描いて、その世界への道案内を丁寧に書き起こすような感覚で、文章を綴っていきました。そこは自分なりに妥協せず、最後まで描くことができたかな…と思っています。ディテール編はこれで終わりとなります。ここまで読んでくださった皆さま、ありがとうございました。(次回から、登場人物編を書きます。まだ続きます笑)




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