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私の悩みは誰に話せばいいんだろうね

ある級友のお悩み相談を請け負った。友だちとうまくいっていない?らしい。詳しいことをなんにも言ってくれないからわからなかった。わたしはただ、ぽつぽつと零れるその人の言葉に、ふうんとかなるほどねえとか当たり障りない相槌を打っていただけ。

私は昔から、たくさん相談を持ちかけてもらえた。私の何がいいんだろうか、見た感じ何も考えてなさそうなところがいいのかもしれない。

悩みの大きさは人それぞれだが、なかなか重たい話をされることもあった。家族に関する悩みは特に重い。次いで人間関係。
そういう込み入った話をしてもらったとき、相手がそんな話を打ち明けるに値する、信頼のおける人物として私を選んでくれたことを、密かに喜んだ。

そして短絡的な私の脳は考える。こんな話をしてくれたんだ、私とこの人は腹心の友になれるかもしれないと。
もっと仲良くなりたいと。
私なら、どんな話も聴いてあげられるよ。口は硬い方だし、何か具体的な解決策を生み出せなかったとしても、なんとかして力になるから。
だから、私だけに話して。私をあなたの一番の相談相手にして。

しかし、願いはいつも届かない。
その人にはほとんど必ず、私より長い時間を共に過ごしてきたような、もっと大事な友だちがいる。「こんなこと、あなたにしか相談できないよ」と言われたはずなのに、別の友達のことを「〇〇は私のお母さんみたいな存在で〜、ほんとなんでも言えちゃうんだよねえ」と言っている。
そっか。私は、あなたの悩みが一瞬深くなった時期に、たまたまいたから相談された人に過ぎないんだな、と後になって理解する。

たくさん相談を受ける、と先述したけれども、オチがこのパターンの事例はいくつもある。おそらくあの級友も例に漏れないだろう。あんなに思い詰めたような表情をしていたが、明日にはきっとけろっとして仲良しグループで談笑しているんだろう。
なんでもかんでも必要以上に親身になって聴こうとするのがよくないのかもしれない。相手と同じように、もっと軽いノリで聴いていれば、それでいいのかもしれない。勝手に期待を寄せて、勝手に裏切られたような気になるのは御免被りたいじゃないか。

「私でよかったらいつでも相談してね」とメッセージを送ろうかと考えて、やめた。
相手は私に今以上の干渉を求めていないだろう。また話を聴いてほしいと言われたら、聴けばいい。

何が言いたいんだかわかんなくなってきちゃったな

なんだかんだ言いながら、やっぱり相談してもらえるというのは嬉しいし、光栄なことだ。
辛い思いをしたときに、この人に相談したいと思ってもらえるような人間でありたいと思わずにはいられない。



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