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【妊娠比較その2】【1人目】切迫早産で入院から娘ちゃんの退院まで

入院までの内容はこちら↓


概要

入院のお陰で正産期までお腹の中ですくすく育ったが、逆子のため帝王切開で出産。大きくなるまで娘ちゃんだけ入院した期間があったが、今ではとっても元気。

1ヶ月の入院生活

絶対安静

ベッドで安静にして、内服薬でお腹の張りを緩和させる観察入院が始まった。

個室生活

最初の2週間は、ベッドの空きが無かったため個室を使わせてもらった。トイレ以外はベッドで過ごし、シャワーは2日に1回。初めてドライシャンプーを使ってみたが、薬の副作用もあって頭が痒かった。薬の副作用で暑かったり、すこしだるさを感じたり、また、夜は2時間おきにドアを開けて異常がないか確認しに来てくれるのでぐっすりとは寝られなかった。

急に暇になったので名前を考えたり、DVDをレンタルしてもらって見たり、本を読んだりして過ごした。ひとりで寂しくないか、時々助産師さんが様子を見に来てくれた。また、個室がとても広くテレビドラマみたいに先生がぞろぞろと20人くらい連れ立って朝の挨拶に来ることもあった。

想定外の体重減少

大学病院なのでご飯に期待はしていなかったが、意外と焼きそばやカレーなどのメニューも有り不味くは無かった。しかし、自分が栄養を蓄えにくい体質なのか、体重が増えるどころか減り始めてしまったので、通常の食事に加えて補食を追加してもらうことに。
ベッド生活で体重が減るとは思っていなかった。空調が効いた部屋で動かないので、水分を摂る量も減っていたかもしれない。

相部屋生活

2週間後、4人部屋のベッドに空きが出たのでそちらへ移動。まだ産前なので、妊婦以外の婦人科手術をした患者さんもいる部屋だった。
ひとりはひとりで寂しいものの、窓際のベッドは夜でもブラインド越しの光が明るく、さらに寝られなくなった。
後に自分が手術してからわかるのだが、麻酔をした人はふくらはぎに機械をつけて血液が流れるようにするため、シューシューと空気で圧をかける音が一晩中することもあった。

一方でお腹のほうは、薬のお陰で張る間隔が長くなり、薬を増やすこともなく安定していた。増やす場合は24時間点滴だったので、相当ストレスになったと思う。赤ちゃんも小さいながら順調に大きくなった。

精神的ショック

衝撃だったのが、他の患者さんのお見舞いに来た人が香りの強いホットスナックをコンビニで購入し、ベッド脇まで持ち込んだこと。香りですぐ商品名がわかってしまった。

地元が遠く、夫しか見舞いに来る人もいない、毎日は会えずにストレスが溜まっていた中でとても生活感のある香りがしたので、珍しくベッドで泣いてしまった。隣のベッドの人も、お見舞いに来ている旦那さんに非常識だからナースセンターに訴えようと話しているのも聞こえてきた。

次にこのようなことがあったら、迷わず看護師さんに相談しよう。

予定帝王切開手術

手術ほぼ確定

入院中に助産師さんが逆子に効くという足つぼを押してくれた事もあったが、効果はなく帝王切開になることが決まった。38週0日の正産期ぴったりに手術日が決まり、説明を受けて書類にサイン。

1週間前くらいから術後の体力づくりのために、院内を散歩してもいいと許可が出て、初めてコンビニへ飲み物を買いに行くことができた。

手術前のプチトラブル

半身麻酔のために前日の夕食から断食が始まり、朝に浣腸。食事のメニューがカレーじゃなくて本当に良かったw人生初の浣腸は、少し我慢してからトイレに行ってと言われたが、我慢は無理だったw
張りどめの薬は断食とともに終了し、万が一夜の間に陣痛が来たりしたら緊急手術になることを夫に伝えたが、長期安静のお陰か朝まで強く張ることは無かった。

確か、10時頃に手術開始の予定だったが、直前の手術が伸びに伸びて待ち時間が長くなり、最後の食事から24時間くらい経つ頃にはだんだん力が入らないように。。。
もうすぐ手術室へ移動という時に冷や汗出まくりの、お腹が空きすぎて気持ち悪い状態に。慌てて糖質?を点滴。もともと食事の間隔が開くと低血糖ぽくなることがあったので、事前に伝えておけば良かった(汗

いよいよ出産

点滴のお陰で手術室まで歩いて移動し、背中を丸めて麻酔のための麻酔。硬膜外麻酔はかなりグイグイと背骨を押されている感覚があったが、最初の麻酔で痛みは無かった。

後は先生の腕を信じて寝転ぶだけ。なるべく小さい切り口で済むように、お腹を押されるのがわかったが、強めに押されていたのか胃が圧迫されて気持ち悪くなった。

少しびっくりしたのは、赤ちゃんの全身が出る前(カバーで見えないのでどれくらい体が出ていたかは不明)に「んあっ」と産声が聞こえたこと。
その後は全く声がしなかったので、ちゃんと息をしているか不安になったが寝ているだけだったのか、顔の横に連れてきてくれた時にはすやすやと小さな息遣いがわかった。
抱っこはできなかったがほっぺを撫でることができた。

すぐに後陣痛

感動の対面もつかの間、娘ちゃんは検査へ移り、自分は傷口の縫合へ。だんだんお腹が痛くなってきたので、横で付き添ってくれていた助産師さんへ伝えると、後陣痛だねぇとのこと。
帝王切開でも経膣分娩と同じようにすぐ後陣痛が来るとは。

あっという間だったが意外と数時間経っており、手術室を出て親族の顔を見てしばらく、術後の説明を受ける頃には外が真っ暗に。ベッドごと説明部屋へ移動してもらったが、意識は半分夢の中。無理せずに夫だけに聞いてもらえば良かった。

娘ちゃんは元気

傷口を縫合してもらっている間に、待っていた親族と娘ちゃんが対面し、夫が初抱っこ。NICUのぽかぽか保育器で一晩過ごした後は、健康状態がよいのでGCUへ移っていた。

産後休む暇はない

案の定寝られないが早速、運動

術後説明はうとうとしたものの、麻酔が切れるまで一晩は寝返りが打てず、シューシュー音も気になって全然寝られなった。2時間おきくらいで体温や産後悪露の出具合をチェックして、助産師さんがパッドを取り替える作業がありぐっすり寝ることは不可能。
翌日、麻酔が切れて寝返りができるようになっても、アドレナリンが出ているのかほとんど寝た気がしない。

しかし、術後の体力回復のため、麻酔が切れたらすぐにトイレ等動くように促された。まだ痛みが出たら自分で投入する点滴の麻酔をつけているので、普通サイズのトイレが狭い!

会いに行ったら自分がまだ元気じゃなかった

早く会いたくて、産後初めてのご飯(10倍がゆでつゆだく)を食べてからGCUへ。点滴をころころ引き連れて、意気揚々と行ったものの。。。
初めてのオムツ替えと、ミルク5mL(すっくな!)を飲ませるところで、ちょっと調子が良くないぞ???

突如、リバース。。。本当に申し訳ない。
手術時間が遅れたことを考慮せず、予定通り翌日の昼食から食事を開始したため、胃が対応できなかったらしい。すぐに車椅子で自分の病室へ帰ることに。少しでも体調に不安があったら、無理してはいけない。歩くようには言われるけども。

次の日には麻酔の点滴を取り、痛みがある場合はロキソニンを服用することになった。しかし、処方された全量を飲むことはなく、先生に痛みに強いんだねぇと言われたが、だた鈍感なだけかもしれないw
数日ぶりに点滴なし生活に戻り、普通に洗顔やトイレができることが嬉しかった。

娘ちゃんのお世話開始

搾乳をして届ける

術後の体力のため2晩は夜中の授乳を看護師さんへお願いし、自分はベッドで寝ることに。まだ娘ちゃんの体が小さく吸う力がないのと、母乳が出るように促すため、手動の搾乳器で絞ったものをパッキングしてGCUへ届け、ミルクの時間に温めてもらう方式。
最初は助産師さんが母乳が出るようにマッサージをしてくれて、これが激痛。また、搾乳のお陰かすぐに胸の張りが強く炎症し始め、今度は保冷剤を脇に挟んで寝ないと痛くて寝られないようになった。

昼間は3時間おきにGCUへ行き、オムツ替えをして胃の残りを確認し、哺乳瓶で温めた母乳をあげた。始めはまだ娘ちゃんの体力がないのか、哺乳瓶の半分くらいで寝始めてしまうことが多く、大きくなるため瓶をはじいたりしてなんとか起こして飲み切ってもらっていた。

黄疸治療

小さめ赤ちゃんに多いのが黄疸で、一定時間紫外線を当てる治療を行った。オムツだけになって、目を保護するためのカバーをつけ、紫の光に包まれいている様子はちょっと宇宙感があった。

沐浴と授乳も開始

産後3日目頃からお昼のミルク前に沐浴を教えてもらい、小さくて軽い娘ちゃんでも片手で支えるのにドキドキしながら洗った。

また、途中からは母乳が安定して出るようになったので授乳を開始。最初は胸の張りが強く、すぐに母乳パッドがタプタプになるくらいだったので、娘ちゃんが飲むスピードより速く、母乳が出てしまい逆に飲みにくそうなこともあった。
次第に、看護師さんもびっくりするくらいたくさん飲んでくれるようになった。

それまでの入院中はひとりで寂しかったが、決まったスケジュールができて自分も元気に見えるようになっていた。

別々に退院

自分は1週間で退院

傷口の状態がよく、予定通り自分だけ先に退院することに。元気に見えていたが、やはりホルモンバランスは崩れてマタニティブルーになっていたようで、車に乗ってからすぐ涙が出てきた。

が、そのまま役所へ行き出生届けに氏名を書くと、いよいよ子育てが始まるなという実感があった。

通い母

看護師さんに、あまり無理しないでいいのよーと言われながらも、毎日病院へ通った。もともと妊婦健診を受けていた病院からは遠くなったが、なんとかバスで通える範囲だったのもある。

昼食の前後で2回、オムツ替えと授乳、抱っこをして眺める日々。
在宅中は搾乳した母乳を冷凍し、病院へ持ち込んでミルクの時間にあげてもらった。

今思うと、大学病院までのバスが出ている駅前まで少し距離があり、ちょっと疲れが溜まったり、傷口が膿みかけたりしたので、たまには自宅で休憩する日を作ってもよかったかもしれない。

娘ちゃんも退院

体重が2000kgを超えたため、自分の退院から2週間ほど遅れて娘ちゃんも退院。新生児から使用可能のチャイルドシートでもぶかぶかで、すごく儚い存在に見えた。

あとがき

産まれた直後はいつ退院になるか全く予測できなかったが、頑張ってミルクと母乳を飲んでくれたお陰で割りと早めに退院できるようになったと思う。

1歳過ぎまでは定期の健康診断だけでなく、大学病院の小児科で成長具合を確認する必要があったが、4歳になった今ではだいぶ平均に近い体型になり元気に公園を走り回っている。

そういえば、手術中のBGMは特に希望なしと伝えたところ、いきものがかりのアップテンポな曲。先生も同年代だったw

1人目と2人目の比較は【妊娠比較その3】で↓

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