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40年前の懺悔

 これまで報じられなかったジャニーズ性加害問題が会見以降一斉に雪崩れを打ったように毎日報じられるものだから、改めて人権とは何かというあまりにも難解なテーマについて考えざるを得なくなってしまった。一般視聴者にとっても決して楽な総括ではない。

 つくづく日本は、恥ずかしいことにどんなに理不尽なことでも外圧がないと覆すことはできない国である。それと同様、今に始まった事ではないメディアや企業の得意な手のひら返しについての論考は、他の論者に任せるが、振り返ってみると自分はどうなのだろうか?はたして自分は安全圏から石を投げられる立場なのかと自分の胸に手を当ててみると、残念ながら筆者にはその資格はなかった。

 告白しよう。
 ジャニーズ性加害問題を日本国民のほとんどが昔から知っていたことは疑いもないが、御多分に洩れず筆者もその一人だ。なんのことはない。筆者も知っていながらむしろそのことを揶揄の対象にすらしていて、彼らの人権を平気で蔑ろにしていたのだ。”枕営業”とまで思っていたのかもしれない。

「ジャニーズ事務所ってIQ60以上はとらねえっていうじゃん」
「バカに決まってんじゃん じゃなきゃ17にもなった男があんな妙チキリンなカッコしてケツふってられっかよ」

『河よりも長くゆるやかに』(吉田秋生)

今からすれば偏見どころか差別に他ならないとしか言いようのない表現だ。

 この台詞が出てくる2つの画像の元ネタは、有名な『海街dairy』や『バナナフィッシュ』を始めとする多くの作品が映像化されている大漫画家吉田秋生の初期の代表作『河よりも長くゆるやかに』の一場面である。簡単に紹介すると、米軍基地の街を舞台に閉塞感を抱えながらも青春を謳歌する男子高校生たちの物語なのだが、筆者はこの作品をいまでもこよなく愛し、読み返してもいるが、ジャニーズ性加害問題が白日化されるまではこの場面を怒りもせずに笑いながら平気で読み飛ばしていたのである。もし被害者が男性でなければ、事実確認が出来なかった”噂”であったとしても怒りもしただろうし、人権が蔑ろにされていたことも口にしていたのかもしれない。これも明確な差別である。たとえ40年以上前の話で漫画であったとしてもだ。

 念のため言っておくと吉田の作品や人格、しいては思想信条を糾弾しようというつもりはない。ましてや吉田に幻滅したとか、もう読まないなどというつもりもない。当時自分がそこに何を感じていたのか、または感じなかったのかを掘り下げなければと思っているが、辛い作業だ。

 本当のことを言うと40年前はジャニーズのようなメジャーなものにほんの少しではあるが、敵意はあった。だから、彼らの人権のことなどどうでもよく、むしろよく言ってくれたと小さいながら喝采すら送り、ザマアミロとまで思っていたのだ。無論メジャーなものがなければマイナーなものは存在できないという現実もわかっているので、筆者もメジャーなものへの敵意など今はもうない。

 吉田自身の考えはたぶんフラットなのだろうし、ジャニーズのタレントに特に思うこともなかっただろう。が、まだブレイクする前だったこともありメジャー嫌いの一部の熱狂的な読者へのサービスでもあったのかもしれない。とは言うものの、その当時の吉田自身も表現に人権意識を顧みる余裕もなかっただろう。作品自体良識や教条主義など求められていなかったと思うが、既に大漫画家になった吉田はおそらくアップデートもしただろうし、人権意識も持ち合わせているだろうからあのような表現はおそらくもうあり得ない。

 あのとき彼らの人権を蔑ろにしていたことすら考えもしなかったのは大いに反省している。
 けれど洗練されている今の作品よりも荒削りだったかつての作品の方につい肩入れしてしまうのも本当なのである。引き裂かれているなどと嘯いても言い訳にしか過ぎないのだが。

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