ボリス・グロイス「モスクワのロマンチック・コンセプチュアリズム」(1978)

 「ロマンチック・コンセプチュアリズム」という語のつながりは、おそらく馬鹿げたものに聞こえると思う。それでも結局、いまモスクワで起こっている、十分流行し独創的であると思われることを指すためのより良い方法を、私は知らないでいる。「コンセプチュアリズム(露:コンツェプトゥアリズム=kontseptualízm)」という言葉は、場所と時、そして参加者の数の点で限られたあるアートの流派の名称として、かなり狭義に理解することもできるし、より広義に捉えることもできる。広義において「コンセプチュアリズム」は、アートの対象物を、観賞され熟考されること、そして美学的に評価をつけられることを避けられない物質的オブジェクトとしてしまうことから逃れ、諸条件——観客がアート作品を感受する仕方、アーティストがアート作品を産出するプロセス、環境中の諸要素と作品とがむすぶ相互関係、アート作品の一時的ステータス等々を教唆するような諸条件——の提示と形成へと移行するあらゆる試みを指すだろう。「モダニズム」や「アヴァンギャルド」芸術の勃興は、モノやテクストの間にあるいくらかのモノ、テクストとしてのアート作品を媒介なく直接理解する可能性を破壊してしまった。19世紀の終わりにはアーティストも、観客も、あの“天才”なるもの——それはアーティストに創造を促し、他のモノにそっくりのモノを造りだす(以前にはそれが芸術家の課題とされていた)可能性を与えてくれる——に対する不信を感じとることになった。“相似性”の原理そのものが、疑念に晒されるようになったのだ。物体が相似することは、アーティストと観客の宿命が相似しているという表明であり、アーティストと観客がおなじ人類共同体の一員として共有する前-反省的な判断原理として機能する、ということが明らかであった。ところが一つだけ解かってしまったことがある——この[アーティストと観客の]共通性は崩れ去ってしまったのだ。そしてアーティストは分析屋になってしまった。彼らの分析が目指すのは、「提示するもの」としてのアート作品と、「提示されたもの」としてのオブジェクトとの間に相似を見出すことではない。そうではなくて、世にオブジェクトとして存在するアート作品と、それと同等の権利でもって世に存在するその他の[アート作品でない]オブジェクトとの間に、差異を見出すことを目指すのである。相似性は「条件的なもの」であると認識された。そして相似性が条件的なものとなるその道のりは、その度ごとに実験として——なお“芸術”の領域内に留りながら、いかに相似性から遠く離れることができるかを示す実験として——理解されてきた。あらゆる成功した実験が、芸術の境界を動かしてきたのであり、そしてどうやら芸術と非-芸術との境界線を画定してきたのである。以前は“熱狂的に受け容れられること”が進むべき正しい道のりの確たる指標であったところが、 “一般大衆の憤り”が同程度確固とした指標となった。

 危機が明らかになったのは、この“一般大衆の憤り”が姿を消してしまい、条件的なものの行き詰まりが露わになった時であった。相似の条件性が、相異の条件性になり替わった。つまり、造形芸術の作品(ちなみにあらゆる芸術が“造形”芸術であるわけだが)と造形されたオブジェクトとの相似の条件性は、アーティストと観客の「生まれながらの(天与の)」同一性の上に成り立っていたわけであるが、これがアーティストと非-アーティストとの間の差異の条件性になり替わってしまった。すなわち、アーティストによる記名があることを認めることが条件となるということだ。一度アーティストによる記名があると認められれば、あとはもうすべて大丈夫ということになる、というのが肝心なところだ。アーティストであるならば、すべての(つまり文字通りすべての)オブジェクトを、アート作品に仕立てあげることができるのである。

 すべて素晴らしいことだ、と思われることだろう。あらゆるアーティストがしたいことをし、それによって自分の個性を表現する——素晴らしい。だが、この帰結に2つの意見が反駁する。1つには、以前にはイメージの真理が相似性にあったのであれば、その真理はいったいどこに行ってしまったのか?ということだ。その真理が、条件性を伴ってアーティストの存在なるものへと移行したのであれば、いったいどんな存在が真実なる存在なのだろうか、という疑問が浮かんでくる。そしてこの疑問は、アーティストの個性なるものに疑いを差し挟むことになる。ここで2つ目の意見である。個性なるものが支配者とならねばならぬと思われがちであって、実際に個性は同時に検討されている作品の中では支配しているのだけれども、とって替わってゆく様々な潮流のなかでは、露わになるのはある論理性(ロジック)なのである。

 この対立を解決するために、アート作品が果たす機能と、他の種のオブジェクトが果たす機能との相違点についての問いに向き合うことになったのは、当然である。もしアートに何かしらの真理があるのであれば、その真理は、まさにこの場に出現するべきだという意見は、理解できる。だがこのこと[アートの真理がこの場に出現すること]は、ヘーゲルならばこう言っただろうが、[大文字の]「芸術」がここにおいてその概念に至るのだということ、つまり「コンセプチュアル(概念的)」になるのだということでもある。「絶対精神」、すなわち概念(あるいは「コンセプト」)の領域に至りつくときに、芸術は、それ自身のやり方で即自的な(直接的な、媒介なしの)ものを露わにしながら、消滅していくというヘーゲル自身の考えは、真実である。ところがアートが即自的なものとなることをやめ、温存されたのであるならば、アートが「コンセプト」となったことはただただ自然な成り行きである。そう、新たにこうした問いが生まれてくるわけである。それでは、即自的なものは、いったいどこに行ってしまったのか? まさか永遠にお別れというわけではあるまい? 「永遠にお別れ」ということでは、まさかないと私は思うが、この問題について本論中で議論することは不可能だと思われる。

 しかしながら、上述のことから明らかなのは、コンセプチュアルアートは、生まれながらに、完全にわかりやすい(明らかな)ものでなければならないということだ。つまり、コンセプチュアルアートは、芸術として存続していくための新しい条件を内包していなければならないのだ。コンセプチュアルアートは、いかなる即自性をも指示すべきでない。観客の認識のうえでは、その種のアートプロジェクトはあまりに明瞭なものであるはずで、あたかも科学実験が反復されるのと同じように、観客にもそのプロジェクトを反復することができたほどである。このための知識や器具が常に備わっているわけではないが、しかし原理的にはいつでも可能なことなのだ。コンセプチュアルアートの作品は、公然たる前提条件と、そうしたアートが産み出すものや受け止められ方の原則を内包し、観客に提示しなければならない。

 つまり、アート作品が批評の可能性を吸収し同化させるぶんだけ、アート作品に対してそのような可能性が与えられるのだということになる。理解を助けてくれるような批評の働きかけ抜きでは、現代アートの作品が「理解できない」ということは、かなり前からはっきりしていた。これはつまり、批評が、当初のメタ言語になるという役割を失って、他でもない芸術言語の機能のうち一部分を担うことになったということである。コンセプチュアルアートは、いまやこうした機能を元に戻すものである。

 ところが、[ある]明らかさと[別の]明らかさとは、相異なるものなのである。コンセプチュアルアートが成立したイギリスとアメリカにおいて、明らかさとは、科学の実験のごとき公然さのことであって、境界線と、我々の認識能力がもつ特性を一目瞭然にするものだ。一方ロシアにおいては、ファヴォールスキーを参照することなくきちんとした抽象絵画を描くことは不可能なのである。集合的な魂の統一性という考え方がまだ我が国では生き残っているために、ロシアにおいて神秘体験は、科学実験とも劣らぬほど理解可能なものであり、明らかなものとされる。むしろ、科学実験にまして明白なものでさえある。神秘体験によって最後を飾らなければ、創造のアクティヴィティは不完全なものに思われるのだ。これは存在についても当てはまることで、ある程度の概念(理解)が存在する限りは、この神秘体験というものを通過せねばならないのである。アート作品特有のある種の「リリシズム(抒情性)」も、「人間性」も、神秘的宗教性と関係しているが、こうした「リリシズム」や「人間性」は、実際上ずっとこうしたことから完全に免れて福々としているような人たちでさえ、追求するものである。
 
 この「リリカル(抒情的)」な側面と「ロマン主義」的側面とが統合されたモスクワ全市におよぶ感情生活は、公式文化のそっけなさと対立するものであるが、“ロマンチックでリリカルなコンセプチュアリズム”という現象を可能にしており、モスクワの感情生活において十分な(あるいはほぼ十分な)新奇さをほしいままにしている。リリカル(抒情的)なものではあるけれども、わたしはこの現象にコンセプチュアリズムという名を与えることにためらいを感じない。物ごとの本質に適っているし、コンセプチュアリストと呼ばれるのは、例えばフランスのアーティスト、イヴ・クラインなどであるが、彼がフランス人的なやり方で、純粋な夢幻世界と地上の掟に支配される世界とを対置したことを記念しているのだから。

 このことに加えて、より説得力のある根拠もある。1970年代の西側アーティストは、「コンセプチュアリズム」と「解析的アプローチ(analitycal approach)」を、1960年代の叛乱的な諸潮流に対置させていた。そのころ、アートは最後の前哨基地であると考えられていた。ある社会を構成する人々の共通性(sótsium)のなかで匿名的な存在になってしまうことに抵抗する闘争において、「個々の人」によって保守される前哨基地である。アーティストは「選ばれし」存在であるとか唯一無二であるとかいう幻想、またアーティストには創造的自由の掟に従って生を建て直す能力があるのだという幻想は破れさったが、そのことがアーティストの創造行為について、他の職業と同じく、一定の方法論・目的・境界線をもった特殊な職業なのだという点を拠りどころにして理解するよう、1970年代のコンセプチュアリストたちを促すことになった。芸術は操作的(オペレーショナル)な定義をされはじめた。アーティストが何をどのように造っているのか、そしてアーティストの仕事の結果がどのように世界内の他のオブジェクトと協働するのかを目の当たりにすることができ、いったい芸術とは何であるかということが、はっきりとわかるようになるのである。

 ところが、アートに対する、そのようなポジティヴでわかりやすいアプローチは、アカデミズムの新しい形を暗示することになる。なぜならそうしたアプローチは、その内部でアーティストが仕事をするような職業あるいは(いま風に言えば)「メディア」の混じり気ない境界線と同一視されるような、ある歴史-外の規範を、アーティストの創作のために打ち立てることになるからである。また、アートにおけるロマン主義的形而上学派やその他諸々の潮流には、それぞれの実践的な経験があるし、それら流派に関して、その感じ方、解釈などについての実践的経験も存在するのである。すなわち「ロマン主義的」アート理解はすでに既成事実となっているのであって、それを幻想であると貶めることは、何よりもその事実に目をつぶることになろう。この種のアートが、その媒介なしで人を魅了する力を失うとしてもなお、この種のアートが意義を失う、つまり認識と行為にかかわる諸領域と協働性を失ってしまう、ということには決してならない。ただ、以前のようにトータリティと即自的(媒介なしでの)感じ方を当然のように期待することはできなくなるものの、この協働性は外に示され、作品そのものについて自ら啓示を語るようなアート作品を提示する試みにおいて必然的に現れてしまう意味の二重性から自由になることになる。

 芸術に対するポジティヴな視点のごときものは、現存する歴史的伝統によってのみ規定されるような活動の自律的領域に対するそれと同様、ロシアの意識にとっては縁のないものであった。芸術とは、目的を喪失してしまった方法論の総合にすぎないという見方に屈すことなどとてもできまい。モスクワにおける「ロマン主義的コンセプチュアリズム」——これはつまり、「ロシア魂」の統一性が温存されていることの証しであるだけではなく、アートが自分自身の領域を抜け出ることを可能にする条件を示すポジティヴな試みでもある。つまり、アートを「精神史」における出来事として認めること、そしてアートがその固有の歴史を終わりなきものにすることへと、意識的に立ち戻り、それを保存する試みなのである。

 私がここで検討するのは、おそらくかなり恣意的ではあるが、ロマン主義的コンセプチュアリストに数えられるであろう何人かのアーティストと詩人の作品である。

1. レフ・ルビンシュテイン
(略)
2. イヴァン・チュイコフ
(略)
3. フランツィスコ・インファンテ
(略)

4. 「集団行為」(N.アレクセーエフ、A.モナストゥイルスキー)
 パフォーマンスアートをモスクワで行っているのは、グループ「集団行為」である。おそらく、他にもいるだろうが、このグループは他の人・グループよりも社会性が薄く、なおかつ芸術そのものの前に屹立する諸問題に向き合っている。グループの作品は、もうかなり多くを数える。このグループを構成するアーティストらは、真面目な課題を己に課し、根源的要素に基づく出来事から観客が受ける影響を分析しようと試みる。空間、時間、音響、参加人数などである。これらの作品の特異な点は、作品が、観客の感情的な前-気分、単純な「リリシズム(抒情)」からは無縁であるという点だ。彼らのあらゆるパフォーマンスは、ある程度短命なものである。彼らは、それを順守してパフォーマンスを観賞したり判断したりしなければならないとするような、ルールをつくることをしない。そして観客が気ままに鑑賞するに任せるのである。観客の彼らとの出会いは、しばしば故意に偶然のものとなる。例えば、アーティストたちが音の鳴っているベルを雪の下に置いたり、森の中に模様の描かれたテントを置き去りにする、などなど。そうした種の偶然の出会いが惹き起こす効果は、予期し得ない前兆と驚くような発見の世界へと送り込んでくれる。全人類は、つい最近になって、その世界のなかで生きはじめたばかりである。ひとが行くところどんな場所にも、何かしらの存在の、説明のつかない跡が残されていたり、合理的理解によってなされる説明の境界線を越え出るような、アクティヴで[何らかの]意図が秘められた力を指し示す何ものかがあったりする時代もあった。こうした魔術的力の存在をしめす徴しは、アートのファクトとして捉えることができる。なぜなら、そうした徴しは説明することができず、ただ解釈が許されるだけだからである。グループ「集団行為」のアーティストらは、同時代の観客たちを、解釈が必要となるであろう、そのようなあたかも偶然を装った出会い(あるいは発見)へと促すのだ。

* * *
 以上の現代モスクワのアーティスト何組かの分析をみて、当然疑問が湧いてくるだろう。「現代ロシアアートの特性とはなにか? それを独自のものとしているような特徴があるとすれば、それはいったい何か? 現代ロシアアートと西側のアートは明らかに似通ったものではあるけれども、対立するものであると言えるだろうか?」

 確かに対立するものであると、わたしは思う。おそらくこの対立は、現代モスクワのアーティストがその作品のなかでまだ完全に姿を現わしているわけではないけれど、これらの作品やアーティスト、そして一般大衆の概念(理解)のなかには存在していることに疑いはない。従って、残念ながら半分無自覚のうちに、作品においても差異の烙印が捺されることになり、正しく鑑賞するためには解釈が不可欠になるのである。

 西側のアートは、とまれかくあれ、[この]世界について語る。信仰について語ることもあるだろうが、[その場合にも]信仰が世界の中でどう具現化するかということについて語っている。アートが、アート自身について語ることもあるだろうが、その場合には世界の中でアートがどう実現されるかということについて語ることになるのだ。イコンから現代にいたるロシアアートが語ろうとしているのは、別の世界のことである。「文化(kul'tura)」という単語が「礼拝・信仰・崇敬(kul't)」という言葉から由来するという事実が、ロシアではいま大変嬉々として思い出されているところだ。この地において、文化は、芸術の総体である。文化は、原初の啓示の守護者でもあり、新しい啓示の仲介人でもある。芸術言語は、単なる言語・日常の言語とは異なるが、それはまず芸術言語がより美しいからとか優雅だからということではないし、芸術言語が「アーティストの内面世界」について語るから…云々ということでもない。芸術言語が異なっているのは、ひとり芸術言語のみが語り得るような、別の世界について語っているからである。ちょうど日常言語がこの世界の構造を暴き出すように、芸術言語はその内的構造によって、他の世界の構造を暴き出す。そして芸術言語に開かれた何かしら新奇なことについて語る可能性一つひとつが、また他の世界の構造の中で、新たな、以前には知られていなかったものを暴き出していくのである。だから、望まれない領域を開示したというその点のために、アーティストを愛することができる。ロシアにおいてアートとは——魔術なのである。

 それでは“他の世界”とはいったい何なのか? それは、宗教が私たちに開示するところの世界でもある。また、芸術を通じてのみ、我々に開かれる世界でもある。これら2つの世界の交差するところにある世界でもある。このため、ロシアにおいて芸術と信仰とは、緊張した関係にある。念のため言っておくが、他の世界とは、過去や未来のことではない。それは、何よりもいま現在、存在するものであり、その中に跡形もなく消え去ってしまうことができるような世界だ。教会のなか、あるいは芸術のなかに生きることを、待ち続ける必要はないし、そのために努力する必要もない。適当な方向に歩いていって、違う場所にいるぞ、とふと気づきさえすればいいのだ。死ぬのと同じくらい簡単なことだ。そして本質的には、死ぬのとまったく同じことである。[この]世界にとって死ぬことは、その隣の世界で甦えることだ。魔術は、空間に存在するのであって、時間に存在するものではない。宇宙(コスモス)自体、多様な諸世界のための場所を内包するようにして形成されているのだ。

 上述したアーティストたちは、宗教的ではないけれども、信仰としてのアートという考え方が芯まで浸透している。純粋な生存可能性として、純粋な提示可能性(啓示、隠匿しがたいもの)として、あるいは天から与えられる解釈を要する徴として——どんな場合であっても、アートは彼らにとって我々の[この]世界に他の世界が侵入してくることであり、その意義を認識すべき事項なのである。この侵入は、それらを通じて実現可能なのであり、我々はこの侵入を可能にするそれらのことについてありがたく感じないわけにはいかない。なぜなら、別の世界が、こうして我々の「歴史」(大文字の)へと侵入してくるがために、世界自身が世界について我々に語ることができないようなあるものについても、我々には語ることが出来るのだから。そしてこの我々に語り得ることとは何かといえば、それは「他の世界はどこか余所の世界なのではなく、我々自身の歴史であって、それは我々のためにいま、ここに開かれているのだ」ということである。

(了)

ボリス・グロイス「モスクワのロマンチック・コンセプチュアリズム」
初出は、サミズダート誌『37』第15号(レニングラード、1978)にB. G.名義で掲載された同論文。
Борис Гройс (под именем Б. Г.). Московкий романтический концептуализм. // Журнал «ТРИДЦАТЬ-СЕМЬ (37)», №.15, 1978. Л.(самиздат).
トロント大学のアーカイブSoviet Samizdat Periodicalsにて閲覧可能。

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