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ライブ日記が書けなくなって

こことは違うところで、ライブ(鑑賞)日記「ぽこたさんのライブ日記」をしたためてきたけれど、振り返ってみれば、一時は書ききれないぐらいだったものが、最近は殆ど更新できていない。

所謂、コロナ禍だ。

新型コロナは、楽しみにしていたライブやイベントを軒並み中止や延期に追い詰めた。

追いやったというのが正しいか。

一部の会場では、「クラスターが発生」などという事態まで起きてしまったし、感染予防に関しての国の動きやら自治体の動きやらと相まって、ライブやライブハウスへの世間の風当たりは、急激に厳しいものとなってしまった。

確かに、自分が常日頃通っていたライブハウスの多くは地下にあり、当然ながら窓もないし、あくまでも感覚的・個人的意見だけれど、決して換気良好とは言えない所が多いと思う。

分かりやすいのが紫煙だった。

今は喫煙側から嫌煙側に回ってしまった自分としては、喫煙OKの店舗や、出入口のすぐ前に喫煙所がある店舗については、なるべく行きたくない場所としてチェックしていた。

やたら煙と匂いが滞留するから、髪や衣服に匂いが染み込んでしまうのだ。

鼻腔の奥にまで、長い時間匂いの元が留まってしまう。これも感覚的なものかもしれないが。

なんにせよ、換気がよろしいなどとは到底言えない構造なのだと思えてしまう。

新型ウィルスが空気感染するのかどうかについては、専門家でも何でもない自分には、きちんと理解出来てはいない。

とは言え、「三密」はダメ!と専門家諸兄に言われてしまえば、積極的にそれに反抗する根拠など持ち合わせていない。

必然的に、空気が滞留しやすくて、人がみっしり詰まって大騒ぎする所には足を踏み入れるべきではないだろうと思ってしまう。

厳しい選択ではあるけれども、観客にとっても演者にとっても感染しない方がいいに決まっている。

なので、具体的な危険が想定されてしまう以上、ライブやイベントの中止や延期は、止むを得ないどころか、寧ろ当然と言われても仕方ないことなのだろう。

そして、そんな状況にあっても、ファンと言うか、オーディエンスと言うか、殆どの受け手は、チケット代やらドリンク代やらグッズ代やら交通費などなど、一人ひとりがそれなりに負担を抱えてはいるものの、気楽な立場に過ぎないのだと思えてしまう。

無論、中には、音楽を聴くことによって生きる力を得ている人や、明日への希望を見出している人だっているだろう。

決して大袈裟ではなく、音楽なしでは生きていけないという人はいるに違いない。

ただ、それでも圧倒的多数を占めているのは、音楽が大好きなお気楽な受け手なのだと思う。

少なくとも、自分はそうなのだ。自分と他人を勝手に一緒にしてはいけないのだろうけれど。

対して、送り手の方はどうなのだろう。

言うまでもなく、この激変で最も深刻な影響下にあるのは、送り手の人々なのだ。

ステージに立つミュージシャン(あるいはアーティスト)、その音作りを支える様々な職種のスタッフ、そして、当たり前の話ではあるけれど、会場として無くてはならないライブハウスやコンサートホール。

勿論この他にも、お気楽に聴いているだけの自分なんぞには、思いも寄らないようなジャンルの所謂「関係者」がいるのだろう。

既にいくつかのTV番組で取り上げられていたのを見たけれど、彼らの窮状は相当に厳しい。

先が見えてさえいれば、目標も立てられるし希望も持てるだろうけれども、今もって先はほぼ見えない状況にある。

あと少し、あと少しと歯を食いしばって頑張っている人もいるだろうし、既に見切りをつけて音楽の世界から去って行ってしまった人も少なからずいることだろう。

彼らの経済的実情は、正直言って解らない。

音楽で生計を立てたことがないのだから解る訳もない。

情けないけれども、お気楽なオーディエンスである自分には、大好きなミュージシャンを応援し続けるためには、具体的にどうすることが最も効果的なのか、思う存分創作活動をしてもらえるようにはどうしたら良いのか、現実的にはまるで解らない。

考えてみれば、立場がまるで違うのだから解る訳もない。

開き直る訳ではなく(開き直る必要もないけれど)、結局は受け手なのだ。支援するなどというのは、おこがましい、いや、ずうずうしいにも程がある。

だから、詰まるところ、求められたことに対して、自分に出来るだけ応えるしかないのだろう。当たり前すぎる結論だけれど。

そんなこんなで、ライブ離れして約半年が経ってしまった。

確かに淋しい。

応援しているミュージシャンの音楽を生で聴けない。逢いに行けない。

結果、生活のリズムがすっかり変わってしまった。

空虚だ。

ただ、別の部分でも大きく影響が現れた。

自らの財布の話としては、世知辛い話かも知れないけれど、ライブに通わないのだから当然出るべきものが出ないで済んでいる。

思えば随分と散財していた。(散財と言ってしまったらミュージシャンに失礼かもしれないけれど)

潤沢な収入や資産がない一般市民にとっては、相当に経済的負担が軽減されたという現実があるのだ。

また、時間的にも体力的にも、大いに余裕が生み出された。

仕事帰りに自宅とは真逆の方向に、職場より何倍も遠い会場に出掛け、深夜に満員電車で帰路に着く。

おのずから睡眠時間も削られてしまう。

年齢的な衰えも感じている今日この頃だけに、正直言ってキツかった。

それらの負担が全て解消されたのだから、失ったものと得たものの対比とその評価は、極めて微妙な話になってくる。

もともと、一年半程前に職が変わった時に、平たく言えば収入が激減した時に、もうやみくもにライブには通えない、諸事情がそれを許さない、絞り込まなければ!そんな風に考えていた。

ただ、実際、ライブ通いをだいぶ減らして来てはいたものの、まだまだ頑張ってしまっていた。

しかし、それが突然にして、しかも全く予想もしていなかった原因で、目指していた形に落ち着いてしまったのだ。

なんとも皮肉なことに。

ただ、当然のことながら、更に状況は刻々と変わりつつある。

ここにきて、ライブを取り巻く環境も少しずつ変化して来た。

送り手たちの涙ぐましい努力によって、新しい生活様式に合わせた運営方法を工夫してのライブの開催や、配信ライブにあたっての投げ銭方式などなど、受け手が安心して楽しめる、応援できる、新しい形のライブが次々に生み出されつつある。

配信ライブには、遠隔地なので参加しようにも参加出来なかったライブがリアルタイムで楽しめたり、チャットやコメントでより密に参加してる感を味わえたり、一定期間公開されているアーカイブのおかげで、仕事とかの都合で時間に間に合わなくとも参加出来たり、何度も何度も楽しめたり、浮いた交通費でさらに別のライブを楽しめたり、メリットは沢山ある。

ライブシーンにとっては、従来のライブを超えたエンターテインメントの新しい風だ。

ただし、これを「ライブ」と呼んでいいのかは、微妙な問題なのかもしれない。

アーティストやファンの仲間と、時間と空間を共有し、全身に音楽を浴びることによって齎されるものは、配信というフィルターによってかなり縮減されてしまうことは否めない。

突き詰めていくと、まだまだメリット<デメリットなのかもしれない。

正直なところ、自分的には、もうコロナ以前のライブに戻ることなどないのだと思っている。

寧ろ、確信していると言っても過言ではない。

自分のようなお気楽な受け手は、新たな形に順応するしかないのだろう。

そして、それが淋しいことなのか、はたまた新たな楽しみとの出逢いなのか。

今はまだ誰にも判らないのだろうな。