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【感想】第3回ケアとまちづくり未来会議@京都に参加して③ 我を振り返るドキリとした言葉 #041

前回の続きです。

セッション1の中で、佐藤さんとはベクトルがまったく違う意味で、印象的だったのが、永田さんのお話でした。

『ケアとまちづくり 福祉の必要性』というテーマで、制度と現場で起こっていることについて話してくださいました。その中でもドキリとした言葉が、下記になります。

わが身を振り返るドキリとした言葉

  • 制度の縦割りで、現場も縦割りの対応になる

  • サービス当てはめ病…人の暮らしを制度からしか見れなくなる

  • 支援対象化…“支援対象者”としてのカテゴリーで見てしまう

  • 専門職だけでサービスを当てはめても、その人らしい暮らしにはつながるのか?

  • 地域の資源化…地域を支援の“資源”として見てしまう傾向のこと

永田さんのお話を聴いて、思わずわが身を振り返らずにはいられませんでした。

私は、専門職でもなければ、医療従事者でもありません。社会福祉に関する特別な資格も持っていないけれど、ここ数年間は医療現場と隣接した場所でリンクワーカーとして働いてきました。

その中で、知らず知らずのうちに、相手を“支援対象者”にカテゴライズしたり、地域にある様々なつながりを“資源”として見ていないか、ということを改めて突き付けられたように感じました。

“地域資源”というフレーズへの違和感

特に気になったのは、“地域の資源化”という言葉。私が「地域資源」という言葉を知ったのは、おそらくリンクワーカーという言葉を知ったのと同時期(5~6年前)くらいだと思います。

社会的処方の文脈でいう地域資源とは、地域の子育てサークルや囲碁・アート・こども食堂など様々な地域のコミュニティグループを指します。

私が初めて耳にしたときは「地域資源……石油?鉄鋼?」みたいな感じで、思わずリアルな資源をイメージするくらい、あまり馴染みがありませんでした。

ましてや、人が営む有機的なグループと、無機質なリアル資源とは言葉のイメージのギャップが結構あるなぁと、当時思ったりしました。もちろん、便宜上そういう名称が用いられているのは理解していますが。

そんな私も、今は何かお困りごとがある方が来られた際に、それに何かしら応えることができるようにと、地域の相談窓口やコミュニティグループなどを一部ピックアップしてリスト化しています。

直接顔も名前も知っていて気軽に話したり紹介したりできるところもあれば、グループ名や簡単な活動内容のみを把握しているというところもあります。

できれば、どのコミュニティグループの方とも、個人としてお顔とお名前を知っておきたいと思っています。ですが、かかわりあい不足だなと思うことのほうがまだまだ多いです。

単なるリスト上の記号になっていないか?“その人”が感じられない無機質なつながりになっていないか?――永田さんの投げかけに、そんな根源的なことを問われているように感じたのでした。

続きます。

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