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自分の人生が見えてしまうことのつまらなさ

このnoteを開いていただきありがとうございます。

前回に引き続き、今回もシンガポールでお会いさせていただいた方からの学びを書かせていただければと思っております。

シンガポールでお会いした社会人の方は日本を離れてシンガポールで働かれているので、なぜその道に進まれたのかを伺ったことがありました。

その方は
「自分の人生が見えること、決められた道に進むことが面白くないから」
と仰っていました。

日本にいれば、特に大企業にいれば、5年後はこうなってて、10年後はこうなっててという道がある程度は見えてしまいます。
それが良いと思う人は日本に残るだろうし、それを嫌だと思う人は海外に挑戦するのだろうなということを感じました。

言い換えると日本では安定した成長が見込める代わりに、その成長には限界がある、海外では先がどうなるか分からない反面、自分の成長は天井知らずで上がっていくということになるのかなと感じます。


振り返ってみれば自分の大学生活もそうだったのかなと思いました。

安定した成長は学生団体にいる間の生活がそれに当てはまるのかなと思います。組織に入ってある程度活動していく時点で「この人はこれくらいのポテンシャルがある」ということを見込まれて、それとなく自分にあった道を先輩であったり周りの人がアシストしてくれる。
もちろんそれを最終的に選ぶのは自分なので、全てを相手の思うがままに転がされてるという意識は全くないですし、成長してないとも思っていないです。むしろそれによって成長している自分がいるのも事実です。

これがいわゆる「安定した」成長になるのかなと思います。大きな失敗、脱線ということがなく、自分がある程度想定の範囲内で伸びるか伸びないかが決まる道です。
たとえ安定していると言っても成長の振れ幅が大きいからこそそこにいる意味、その中で活動する意味はすごくあると思います。そして何より道を踏み外すことなく、挑戦をし続けられることが非常に大きなメリットになります。失敗をしても、それが次の自分の成長に繋げられる可能性がある、また別のアプローチで自分にあった未来を、他の人のサポートや組織のシステムを借りて長期的に描き直すことが可能だからです。


社会人の方における海外での成長というものを学生のレベルで例えるのは難しいですが、留学が僕自身1番当事者意識を持てるところなので留学に当てはめて考えてみたいと思います。

留学の成長というものは安定しません。海外に人間が行ったところでその人が数ヶ月後、留学から帰ってきた時にどんな人間になっているかが誰にも予想がつかないからです。
毎日現地の人と話していたり、自分から話しかけにいく人の成長度合いは無限大です。英語力の伸びという面でもそうでしょうし、それまで過ごしてきた自分の世界とは全く違った世界を見ることになるので、そこでどれだけ自分が変わるのか、成長するのかは想像がつきません。ただしリスクも当然あります。毎日、毎食日本人と一緒に過ごしていたり、ずっと1人で行動していたら、ただ海外にいただけで英語力も自分の精神的にも成長は見込めなくなってしまいます。

つまり自分の成長路線というものを全て自分自身の力で切り拓いていく必要があり、うまく軌道に乗ればどこまででも伸びていく未来がある反面、一度失敗したらズルズルと底なし沼のように落ちてしまう「未知の」未来があるということです。

これが社会人において日本にいることと海外に行くことの違いなのかなと感じました。


もちろんどちらにもメリット・デメリットがありますし、日本社会そのものが「安定」を好むからこそ多くの人は国に残るのだろうな、ということを感じています。


自分ごとに例えたからそうなるのは当然なのですが、今は安定した世界と未知の世界の両方を体験している状態なのかなと感じています。
まだどちらが良いかを決めきれていないからこそ両方の道を見ていて、まだどちらが自分に合っているのかの判断をしかねているからこそ、どちらにも足を踏み入れたままの状態なんだと感じています。

正解はないですが、どちらの道に進むにしても伸びるか伸びないかは自分次第だと思うので、とにかく今やれるだけのことを精一杯やって、挑戦できるだけ挑戦していくことが自分の成長を少しづつ進めてくれることの鍵になると信じてやっていきます。


ここまで読んでいただきありがとうございました。

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