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やなぎみわ展 神話機械

ゼミで演劇を研究している同級生とアーティストのY先輩から、やなぎみわの神話機械を観よという指令。12/1まで神奈川県民ホールで開催していた。

神話機械とは、機械によるパフォーマンス、開始時間が決まっているので、それにあわせて行動する。

展示はポートレートのような写真作品から始まり、代表作というエレベーターガールに続く。その先に神話機械があり、桃園の写真、インスタレーション的な展示へとつながる。

やなぎみわは、アート・プロジェクトKOBE 2019:TRANS -でパフォーマンスを提示していた。残念ながら観ることはできなかったけれど。

最初の展示室はマイ・グランドマザーズの作品から始まる。様々なシチュエーションの女性のポートレート、大型であり、それぞれ活き活きとしている。添えられているテキストが、ポートレートの物語性をより強調するように思う。

最初の作品はリアリティがあったものの、徐々にフィクションな感じの作品に変わる。そのうち、モデルは、本当に老女なのだろうか、メイクしているモデルなのか。そんな風な混乱を起こさせる。

「50 年後のわたし。そうなるかどうかはわからないけど、 今はそうなるように願い、未来に喜びがあればいいと思います。」(やなぎみわ)

やっぱりフィクションだった。

50年後の可能性をいろいろと提示している作品は、アーティストとモデルとで対話を重ねながら作られたらしい、そのテキストは、そうした対話から生まれたものだろう。そして、鑑賞者との対話、ナラティブな作品。

エレベーターガール、フェアリーテールの作品は綺麗だった。

いよいよ神話機械の上演。

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概要としては、衝突によって人が居なくなった世界、機械が延々と同じことを繰り返す世界。

主演のロボットは、とても雄弁。セリフというか音声を再生するし、様々な光を発する。そして、舞台を動き回る。セリフはループしている。

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連動してボトルラックが揺れたり、得体のしれないもの(人体の一部?)がうねりを見せたりする。ガイコツを投げつけて壁に激突もさせる。

純粋にこの作品を楽しめないのは、動作シーケンスはどのようなプログラムだろうかとか、オブジェ同士は連携しているのかタイミング同期なのか、そうしたことが気になってしまう。

機械による神話の提示、繰り返し。僕は手塚治虫の火の鳥を連想してしまった。

お正月の時間を使って読み直し中。


Y先輩は、機械によるループを提示しながらも、人の手によってスイッチオンが必要であり、床の掃除などを行わないといけない点に皮肉を感じたということ。

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パンフレットに使われていた《女神と男神が桃の木の下で別れる:川中島》が鮮烈だった。美術手帖に掲載されていたインタビューに、桃園での撮影の苦労話が掲載されていたけれど、確かにすごい写真だった。

桃は日本の神話にも登場するし、西遊記でも不老長寿の妙薬として桃が登場する。神がかり的な不思議な魅力が桃にある。桃源郷も桃だしね。



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