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ナン・ゴールディン以降のファッションイメージ The Fashion Image after Nan Goldin

ナン・ゴールディン、ミステリアスなイメージと、なんだかこちらを見透かされているかのような緊張感がある。 

apertureのナン・ゴールディンのテキスト

ファッション写真というジャンルがある。主に雑誌やブランドのカタログに掲載するため、もしくは広告表現の写真として、スタイルを重視する画作りが行われていた。ECが主流になってからはファッション写真の在り方が変わってきたと考える。雑誌を見て、店頭に出かけ、現物を見るという購買スタイルから、ECで写真を見て、購買するという購買スタイルに変わった。ファッション写真の役割は変わっていった。

このテキストでは、かなり皮肉を持って説明している。

According to many, fashion is superficial—it is about surface, exaggeration, frivolity. It is, both as a sensibility and a process (the act of getting dressed), about adopting and embracing a disguise, a cover-up. Fashion, at its best and its worst, relies on an acceptance of the fake—the external. Fashion photography is, then, a festival of trickery, a heady, multilayered performance.
多くの人によれば、ファッションとは浅薄な事、それはうわべ、大げさ、軽薄さである。それは感性としてもプロセス(服を着るという行為)としても、変装や隠蔽を採用し、受け入れるということである。ファッションは、最高でも最悪でも、外見的なフェイクを受け入れることに依存している。ファッション写真は、トリックの祭典であり、頭脳的で重層的なパフォーマンスなのである。

ファッションに纏わる様々な言い方、ファッションに興味が無いといっても服は着る。髪型、表情、裸であってもファッションを表象することはできるのではないだろうか。

ナン・ゴールディンはファッション写真のファンであるという。1970年代の初頭にギイ・ブルダンの作品を通じてファッション写真に出会った。

ちょうど京都の展示の告知で見ていた。日程の都合上、見に行くことは出来なさそう。

Guido Costa says that Goldin’s early works “aspire to a sort of fashion-magazine glamour, and look more towards Vogue than to the classical traditions of photography.”
ギド・コスタは、ゴールディンの初期の作品について「一種のファッション雑誌のような魅力を目指しており、写真の古典的な伝統よりもVOGUEに目を向けている」と述べている。

VOGUEのような写真よりもゴールディンの写真はルポに近い。若い人は、そこに真実をイメージとして持ち、そこが支持されているという。ゴールディンの写真はファッション写真から参照されている。

1990年代のファッション写真、汚れ、傷、ドラッグ。快楽主義な様子は、世紀末による退廃的な感覚からだろうか。日本のバブルがはじけて、アート・ワールドにも不況が押し寄せていた。

コリンヌ・デイは、ゴールディンからの影響を語っている。

“I found Nan Goldin’s and Larry Clark’s work liberating and their work also validated the way I had started to take photographs myself.”
ナン・ゴールディンやラリー・クラークの作品には解放感を覚えましたし、彼らの作品は私が自分で始めた写真の撮り方を検証してくれるものでもありました。

テキストは、ゴールディンの写真が、ファッション写真に与えた影響について影響を受けた写真家の名前とともに説明されている。ゴールディン以前にも真実を捉えようとするファッション写真はあった。

Authenticity replaced theatricality
真実性が演劇性(シアトリカル)を置き換えた。

これは現在の痩せすぎモデルの禁止や、ルッキズムからの脱却への動きと呼応しているように見える。

デジタルをまぶした際にファッションは、演劇性ではなく仮想性をまとったのだろうか。仮想世界のファッションは現在進行形の事象であり、どこに向かうのか常に注視している。

Guen Fiore の言葉

“Nowadays people have a strong voice and are demanding for a more realistic standard of beauty, minorities want to be represented. Beauty as we knew it almost doesn’t exist anymore.”
今日、人々は強い声を上げ、より現実的な美の基準を求め、マイノリティはその代表となることを望んでいます。私たちが知っているような美は、もうほとんど存在しないのです。

Fioreは、また、ファッションは社会が新しいものを求めるときに変容していくと語っている。Fioreの言葉を借りるまでもなく、移り気で、捉えどころのないものだろう。

相手に見せるためのファッションをセクシーとし、自分自身のためのファッションをエロと表現する。自己表現の方向性の転換は、ある種の表象から伝播していく。

企業は社会が求めているものが何かを敏感に感じるもの。ファッションイメージに、リアリズムの化粧をする。

Clients are usually moneymen—they see that a veneer of realism edifies the product, the brand, the consumption, and makes people feel better.
クライアントはたいてい金の亡者です。彼らは、リアルさを装うことで製品、ブランド、消費を浮き彫りにし、人々の気分を良くすることができると考えている。

フェイクの脅威もあるが、写真とは、つくづく不思議なものである。

In general, truth is a dangerous word when one is talking of photographs.
一般に、写真について語るとき、「真実」とは危険な言葉である。

感情を伴う写真、詩的なものは、次の展示で見ていた。


ファッション写真においてゴールディンの影響を様々な事例とインタビューを引き合いに出してまとめられたテキストだった。どこか退廃的な雰囲気があるのは1990年代のことだからだろうか。2020年代、ダイバーシティ&インクルージョンの意識の浸透によって、随分とエッジが無くなってきたように思う。


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