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#3.アイルランド語

  ー"Ó hEochagáin"。
 大学の英語の授業で先生が「これ読めますか?」と言って、人の名前を黒板にチョークでかつかつ書いてくれたのだけれど、誰一人として読めなかった。それもそのはず、それはアイルランド語由来の名前であり、「英語圏の文化」ではあったものの「英語」ではなかったのだ。その人はアイルランド人ではなかったが、アイルランド含め、インド英語など英語圏の幅広い文化について教えてくれた面白い授業であったと今ながらに思う。

複雑な綴りで複雑な気持ち

 アイルランド語、またはゲール語と呼ばれるこの言語は言葉が好きな人間の前に一種の憧れを持って私たちの前に現れる。だって「ケルト語」という名前の響き自体が素敵ではありませんか。しかもケルトといえば妖精や魔術師ドルイド、アーサー王伝説というようなイメージを彷彿とさせるので、おとぎ話の言語のような印象さえ時には与える。イメージだけで行くと次のように思う人が絶対に出てくる。
「よし、おとぎの国の言葉を勉強して、絶対アイルランドに行ってやるぞ!」
 しかし、そのような意気込みとは裏腹に、そのやる気は独習書を開いたときに見事に打ち砕かれることが多いはずだ。何故なら、まず待ち構えているのは大量の綴りの読み方の勉強だからだ。いつまで経っても本編に入らない。数えるのも面倒臭いので、Wikipediaから読み方の「一部」を抜粋する:

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 上記のようにただ6種類の発音のためだけに19種類の綴りが存在している。この第一関門を突破しなければアイルランド語攻略は「遠き理想郷」状態になってしまう。かく言う私もアイルランド語の専門家ではないので、結構覚え方は適当である。ちゃんと覚えなければいけないのは承知の上だが、読み方の一覧表を見ると複雑な気持ちになる。スペリングにそんなに時間をかけてもなぁ...。

シンプルなところ・複雑なところ

 アイルランド語は常に英語と接しているため、英語と似ていると考えている人もいるかもしれない。なるほど確かにスコットランドのアルスター地方には「スコットランド語」という、英語にそっくりな言語が存在している。だがしかし、アイルランド語の構造はお隣の英語ともスコットランド語とも全く異なっている
 例えばよく挙げられる特徴としてアイルランド語の語順がある。アイルランド語は私たちが良く知る「主語〜目的語〜動詞(SOV)」ないしは「主語〜動詞〜目的語(SVO)」というような語順ではない。アイルランド語の基本的な語順は「動詞〜主語〜目的語(VSO)」である。
 また綴りが複雑であるため、文法も難しそうに見えるが、動詞の構造は他のヨーロッパの英語、ドイツ語やフランス語と比べるとめっぽうシンプルである。例えば動詞に人称がないことは他のヨーロッパの言語の勉強でつまづいた人にとって朗報であろう。例えばドイツ語の例を見てみよう。

ドイツ語のBe動詞"sein"の現在形の変化:

一人称単数:bin
二人称単数:bist
三人称単数:ist
一人称複数:sind
二人称複数:seid
三人称複数:sind

 上記のように人称に合わせて変化する。しかしながら、アイルランド語のコピュラの現在形は"is"の一つしかない。「私」であろうが「君」であろうが「彼ら」であろうが、"is"のままである。
 ただ、これを見てホッと一安心できない。複雑なところも当然ある。例えば「前置詞的代名詞」というカテゴリーの前置詞がある。動詞には人称がなかったが、前置詞に人称変化があると考えて頂いて差し支えはないと思う。それがアイルランド語を残念ながら一筋縄ではいかない言語として格上げしている感は否めないだろう。例えば前置詞"ag(〜に、で)"の人称変化は下記のこのようになる。前置詞が人称変化を起こすという点で思い出すのがハンガリー語なのだが(この場合、正確にいえば後置詞)、そちらはかなり規則的だ。だがアイルランド語は人称変化を起こすと"ó(〜から)"のように前置詞自体の形も変わってしまうものもある。このようなところがウラル系の言語とは違って厄介だ。

一人称単数:agam
二人称単数:agat
三人称単数:aige/aici
一人称複数:againn
二人称複数:agaibh
三人称複数:acu

多様性は大事

 リラックスできる部分もあるけれど、アイルランド語は親しみのない文法事項がそれなりにあり、総じて難易度が低い言語だとはいえないだろう。語族的にはドイツ語やフランス語、スペイン語の仲間ではあるものの、文法体系や表現の発想が異なり、良い意味でも悪い意味でもカルチャーショックを受けると思う。
 英語の先生はアイルランド語自体を教えてくれたわけではないが、英語の国の中の多様性について着目していたところで学識がある先生だったのだろう。多様性に着目するのは大事なことである。大変、勉強になっています。
 ところで、冒頭の人名は「オー・ホーハガーン」と読むらしい。読めました?


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