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あまりにも致命的な小手先

 キーボードの上を歩くハエを容赦なく叩き潰した。容赦の対象はハエというよりも、適当にキーを押したことで何が起こるかわからないパソコンだった。幸いにも大変なことは起こらず、事なきを得る。

 そういえば、昔ハエをつぶしたという事実だけをネタにして、短いゆっくり実況プレイの動画を投稿したことがあった。"The Plan"という、一匹のハエを動かして「ゴール」にたどり着くだけのゲーム。動画の内容だけでゲームプレイが九分九厘完結しているもの。そこに、編集をしたのと同じ日に潰したハエとその経緯を合わせた、本当に小さい動画だ。

 今は2021年10月2日。投稿から4年弱、自分が確認した段階で6996再生。終始仄暗い画面で、テーマや主人公自体が人を選ぶものになっている割には、そこそこ視聴されているほうだと思う。ほら、今ニコ動に投稿されている12本中4番目の再生数。あの日使った労力の割には十分な成果を得ている……


そういう経験を多くしてきたことが、むしろ自分の首を絞めているのでは?

 

 "Mountain"というゲームを題材にゆっくり実況プレイを開始した、2014年8月頃に記憶が遡る。ゆっくり実況プレイを開始した動機は、「現実逃避」だった。当時は卒業論文というものに取り掛かっており、その苦しみを紛らわせるために、思わず心を揺さぶられ且つ1時間程度で編集が終わる実況プレイに手を出した。

 見返してみると粗が目立つ。画質が今一つ悪いのは当時の投稿ルールやパソコンスペックの兼ね合いもあるが、改めて聴いても何だ「もうんたいん」って。読みかたを修正する方法くらい学んでから投稿したっていいだろ。

 しかし、結果として得たものは大きかった。ほぼ毎日投稿して、part10を出すころには初回が1000再生。数年前に生声の実況動画を投稿し、30再生くらいで止まっていた人間からすれば大きな前進。更には後続のシリーズも含めていくつかの新人発掘動画に掲載され、投稿から1年経過するころには1万再生に達していた(はずだ)。


ほんの少しの労力でも、小手先でもうまく行く。そんな体験が一つ増えた。


 子供のころから体力がやや低い、それでも割と器用で、やること成すことがそこそこの完成度を伴っていた。スポーツはそれほどうまく行かなかったが、力を入れてやらなくても大きな問題にはならなかった。高校や大学に入るまで、その道を究めてようやく何かが得られるような分野を避けて生きることができた。

 しかし、(ある種幸運にも)動画投稿活動へとつながる「逃避癖」を強く抱えることになった出来事が起こる。

 運転免許の取得だ。周辺状況を把握する際に他の人より気負ってしまう質が災いし、座学はいいとしても実技がとにかく苦しかった。交通量が多い道を、冷や汗をかきながら仮免で走る。シミュレーターでは歩道や中央分離帯に乗り上げる。運転なんてものを現実で、補助なしでできる自信はなかった。

 これまで、将来必要になってくるであろうものを、極めて苦しい思いをして取得する経験はなかった。初めて小手先ではどうにもならないうえに、回避できない事態に遭遇した。結果として免許は再試の類を経ずに取得できたものの、達成感よりは疲弊が、精神的なダメージが勝っていた。


 運転免許を巡る経験によって、小手先頼りの選択をする傾向が極端化した。研鑽の果てに何らかの成果を得られるようなものを選択しなくなり、うまく行かなかったときに多くの労力が無駄になることをひどく恐れ、理由をつけては避けていく。惰性が勝って進んだ道を小手先でカムフラージュして、「努力」と銘打って飾り付ける。その繰り返し。

 実況動画も小手先で編集し続けた。小手先だけではない編集を少しでも施したのは、"Lisa: the Painful"をはじめとしたトリロジーや、非実況系のゆっくり・VOICEROID動画くらい。それが視聴されて好評や不評という天秤に乗せられること自体はプラスではあっても、小手先癖への依存をより強めるという、マイナスの効果はじわじわと蓄積していった。


 それが今、社会の変動を前にして露呈した。故あって将来の生活の見通しを立てにくくなった。小手先ではあれ多少の蓄積を持っていた分野から離れるほうが現実的といえる状態だ。

 しかし、そうした事態を前にして、手が動かなくなっている自分がいた。正直なところ、次にどの道に進むかをしっかりと見定め、必要な努力や勉強をしたとしても、動画投稿をはじめとした活動との両立は可能だと思う。そのはずなのに、両方とも手が出なくなっていた。

 小手先だけでどうにかなる日々は終わった。耐え忍んで努力をした人々が持っている体力がない。動画投稿活動も同じだ。あとから始めても、努力で技術をコツコツとためてきた人々が、自分と同じ編集時間でより良いものを生み出していく。SNSでの広報も、周囲が見えることで生まれる苦しみこそあれ、地道に続けることで成果が出る可能性は増加する。


 全ての努力が実を結ぶとは思わないものの、実を結んだ努力を前にして、自分が指先を飛び回るハエくらいの大きさまで縮んでいるような感覚がある。偶然にも今まで潰されずに来たとはいえ、巨人の気が突然変わって叩き落としにかかってくるかもしれない。その巨人を前にして懸命に逃げ回っても、運が尽きれば全てが終わる。例え逃げ切ったとしても冬は越せない。

 今からでもいいから、あらゆる物事に対して、もう一度努力するしかない。最終結果はいざ知らず、好転する可能性を秘めているのはその道しかない。きつい道でも、きつさを感じる根源をこうして言語化できたのだから一歩前進だろう。


 7年の歳月を経て、後悔を吐き出すのは恥ずべきことなのかもしれない。しかし、成果を伴った努力に小手先の力で潰されて、内臓や体液を吐き出すよりは余程ましではある。まずは、潰すよりも窓から出て行ってもらいたくなるような大きさのハエくらいにはなれるよう、努力する。

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