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宇宙人的なわたしと人間的なわたしと

感覚的な人というか
宇宙人的な人というか
スピリチュアル的な人というか
そういう人たちは境界線が薄くなりがちなのかも?


人間として生きるためには境界線が必要で
境界線があるからこそ自分を生きれるわけで
境界線がないならば自分として生きている意味はあるのか?
とも言えそうな気がするのだけど、

いわゆるワンネス的なものを感覚的に知っている人たちは
溶け合うこと、全てはひとつであること、もともとはひとつであること
みたいなことを知っていて、そこにある喜びもしっているから
境界線を溶かしてひとつになりたいと溶ける方に向かってしまう。

溶けて喜んでいる時はいいんだけど
そこから少し離れた時に自分がどこにいるか見えなくなる。

境界線がなくなっているから自分自身を見失う。
自分の輪郭が見えなくなる。
どこまで何が自分なのか分からなくなる。

この時間が心地よい人は少ないんじゃないかな。


宇宙人的な自分と人間的な自分と
ふたつの自分を行ったり来たりしているわけ。

どちらかに固定出来たら楽なんだろうけど
固定できないのも自分なわけで
そこも含めて境界線なわけで。

もう少し自分を上手く扱っていきたいところだけど
今はただ気づいたことと感覚を記しておく。
狭間の私の観察日記。

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