Ami

ただそこにあるものを表現しよう🕊️🎨 日記の延長。わたしの気持ちやら、心の中やら、好きな…

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ただそこにあるものを表現しよう🕊️🎨 日記の延長。わたしの気持ちやら、心の中やら、好きなものなど。 中心点を求めて細かく深くもぐりがち┆一気に潜って満足したら次の場所へ┆"今"という点の世界を生きる人┆それはただの事実にすぎない。ただそうであるだけ

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  • 【食レポ】おいしいもの全部食べてアウトプットしていくチーム

    • 17本

    #農ブラ部 メンバーによる食レポチーム おいしいものを食べながら、 生産者さんを全力で応援します!!

最近の記事

"今の自分で生まれ変わるなら?" から見えた "私にとっての「遊び」とは"

突き抜けそうで突き抜けない。 脱出しそうで脱出しない。 浮上しそうな感覚はありながらも、一歩進んで二歩下がる、一歩進んで波に飲まれる。 そんな感覚のここ数日。 抜け出せないのは何故だろう?と問いを投げたら、何か(過去)に引っ張られているのでは?と返ってきた。 ☽⋰ 私は物を捨てるのが大の苦手で、いつか使えそう、まだ使えそう、と大抵のものをとってある。 もう使わないもの/私の中から消えかかっているものも、たくさん溜め込んでいるなぁと思った。 " じゃあ、今の私で生ま

    • ただ私でありながら社会と生きる

      私はただただわたしで居たくて、その私の延長に日常や仕事や遊びがあったらいいなと思う。 何かを頑張るのではなく、私で在る1歩先の/1歩外側のそれが、人と関わる/交わる部分だといいなぁ。 社会で生きるためには、社会仕様の私につくりかえて、その私で生きなければならないと思っていた。 けれども、私はただ自分で在りたくて、社会仕様の私は私の望む私とはちょっと違う。必要以上の頑張りがどうしても必要になってくる感じがする。 甘えと言われればそうなのかもしれないけど、このモードで長時

      • "わたし"の形を変えられなくても。

        私はどうも社会で生きる私とプライベートの私を意識的に分けられないようだ。 最近知ったのだが、多くの人は社会の私とプライベートの私を分けていたり、他者と関わる時の自分と私だけの世界の自分を切り離して考えられたり、場面によって自分の開き具合を調整できるらしい。 私はここらへんの調整や割り切りがどうも苦手で、"わたし" という存在を変化させることが出来ない。調整してるつもりでも "わたし" という枠の大きさや形は変えられず、"わたし" のままなのだ。 だから、頭で分かっていて

        • 宇宙視点で見れば、きっとどれも必要なこと

          宇宙視点で自分を見たら、それはきっと全て自分が求めて実装したものに過ぎず、それをやりたくて生まれてきたはず。 そこには良いも悪いも優劣も凸凹もなくて、ただそれをやって見たかったから、その装備の自分で向き合ってみたかったから、それくらいのことなのだろう。 宇宙視点で見れば "ただそれだけ" のことも、人間界で、日本で、社会で、いろいろな枠が加わることで、いろいろな思考や囚われや常識が加わることで、勝手に複雑化されていくし、狭い範囲で考えがちになる。 そこを1度、宇宙視点に

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        • 【食レポ】おいしいもの全部食べてアウトプットしていくチーム
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        記事

          苦しみの弱さと強さ。そこから見る人との関わり。

          ただ楽しさだったり嬉しさだったり幸せだったり、そういったものを中心において過ごせばいいはずなのに。 それが自分の幸せな人生に、幸せな今に繋がるはずなのに。 そうは分かっていても、それらを中心におけない時がある。 自分で複雑にしていることも、自分がこの現実を創っていることもわかっている。 それでもどこか宙に浮き、自分の居場所も自分の存在も分からず、ただ彷徨い続けることしか出来ないことがある。 どうしたらこの状況が晴れるのか、私はここからどうしたいのか、何もかもが分からない

          苦しみの弱さと強さ。そこから見る人との関わり。

          光と闇と複雑さと諦めと。

          光が射したかと思えばまた闇の中へ。 私はいったいどこに生きているのだろう 私の中にあるいろんな感覚が次から次へと押し寄せてくる。 得体の知れないそいつらは、得体が知れないから脅威であって、得体を知れば少しは落ち着くはずなのだが、得体を知ったら知ったで、それらをどう扱えばいいのかわからない。 ただそれを認めてしまえば良いのは分かっていても、それが出来ない自分がもどかしい。 いろんなものに絡まって、がんじがらめになっている。 そこまで理解しててもなお、この状況は何も変わ

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          この2ヶ月のリセットの軌跡

          この2ヶ月でたくさんのリセットと遭遇した。 リセットにもいろんな種類があって、いろんな角度があるみたい。 どんなリセットが起こっていたかを書き残してみる。 1度目のリセット(2月中旬)1度目のリセットは2月上旬〜中旬にかけて。

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          世界に赦されたかった

          私は世界に赦されたかったらしい。 ひとつ前の記事を書いたら出てきたこと。 私の居場所はどこにもないように感じて、一歩外に出たらそこは未知の世界。 私の見えている世界とは別の世界が所狭しと広がっているようだった。 自分の見えているものが信じられず、自分の感覚が信じられず、私は何を見ているのかと思っていた。 少しずつ自分を取り戻し、自分を生きていると思っていたけど、それでもなお深いところでは私の居場所を探していたらしい。 私が自分を解明することは、私の居場所を見つける

          世界に赦されたかった

          振り出しにもどる

          人生に定期的に訪れるリセット感。 小さなリセットから大きなリセットまで様々なリセットがある。 今日は穏やかながらも大きそうなリセット感。 2024.04.01(月) という節目にはもってこいな日な気がした。 思い返せば、行きながらにして生き直しているなぁ / 子供からやり直しているなぁ と感じていた時期もある。それが24歳前後からの約5年間くらいの話。 そこから先に進めそうな感じがしていたけれども、停滞して迷走してリセットされた。 "リセット" と言っても、過去の出

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          "才能・強み" は結果論

          "才能"や"強み"と聞くと 他者よりも秀でたものであり 何かを足さなければならないと 今の自分では足りないと 今の自分には才能も強みもないと 思ってしまうことがある。 それでも自分の中には "才能"も"強み"もすでにある。 なぜならば 私が私のまま ただ私であるとき その他多数と比較した時に 秀でたものが必ずあるから それは生まれ持った特性かもしれないし 経験の中で蓄積したものかもしれないし 出来ないからこそ発達したものかもしれない。 ただただ私として世界を見ているそ

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          自分の特性と改めて向き合うこと

          私の中で数年単位で浮上してきていたこと。それが自分はASD(アスペルガー症候群)なのでは無いか、ということ。 今はASDではなく自閉スペクトラム症といわれているらしい。 2~3年前にもそうなのかもと思って本を読んだりネットの海を渡り歩いたりしていた。 それでも近しい症状はあるもののそれとは言いきれず、"グレーゾーンかもしれない、でもよくわらかない"というところで落ち着いた気がする。 ☽⋰ 時は流れて今。 今年に入ってからの私の体感とリーディングでいただいた宇宙人と

          自分の特性と改めて向き合うこと

          宇宙人にしっくりきてしまった背景やら私の考えやら

          先日書いたこちらの記事▼ 宇宙人でいきましょう!と言われてしっくり来てしまったわたし。 この記事の1歩先というか、深いところというか、そんなお話。 有益になるような話は書いていないのですが、センシティブな内容だとは思うので有料記事とさせていただきます。 フラットな視点で私が感じていることを書いているだけですので、フラットな視点で受け取ってくださる方のみ読み進めてください。 私は自分のことを人間というよりも宇宙人という方がしっくりくる。 それは大多数の人が当たり前に出

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          言語化力は習得したチカラ

          この数年でわたしが周りから褒められるようになった 「言語化力」 これは私が人間になるためにかなりの年月をかけて習得した力だ。もともと備わっていた力では無い。これは言い切れるほどに強く思っていること。 というのも、私はもともと言葉をもたない人間だった。言葉を持たないというよりは、"私の感覚に 合う / 当てはまる 言葉がなかった" という方が正しいだろう。すでにある言葉では自分を表現できず、同じ言葉を使いたくてもみんなが使っているニュアンスとは違う感覚があり、その言葉を選べ

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          美容院でみえた自分の大切なもの

          先日初めての美容院に行った。 いつも行く美容院は2ヶ所あるのだが、家から1時間前後かかる場所。自分がいっぱいいっぱいなのもあり、時間を確保して予定を組んで予約して……という行為をする余力が全くなかったので、家の近くの病院に行ってみた。 雰囲気が良さそうなお店&近いというポイントだけで選んだ場所。近くに美容院があってよかったと思った。 ‪☽⋰ いざ行ってみたら綺麗な場所。雰囲気は悪くない。 でもカット&カラーの時間はすごく冷静で淡々としている時間だった。 いつもなら

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          人間になりたかった私

          数日前に書いたこのnote。この続きの話。 のびさんとのセッションがスタート。 水瓶座新月〜乙女座満月の体感や流れやテーマに触れ、今回のセッションであるソラリタの話に入っていき、冒頭で言われた今年のソラリタの最終テーマは 「 宇宙人でいきましょう!」 だった。 … ウケる😂わかる…! 乙女座満月を超え、無になった私は、あぁもう世間にあるルール的なものに則って生きることは出来ないんだろうなぁ。ただ私であるしかできないんだろうなぁ。私として確立するしかないなぁ、、と思って

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          宇宙人的なわたしと人間的なわたしと

          感覚的な人というか 宇宙人的な人というか スピリチュアル的な人というか そういう人たちは境界線が薄くなりがちなのかも? 人間として生きるためには境界線が必要で 境界線があるからこそ自分を生きれるわけで 境界線がないならば自分として生きている意味はあるのか? とも言えそうな気がするのだけど、 いわゆるワンネス的なものを感覚的に知っている人たちは 溶け合うこと、全てはひとつであること、もともとはひとつであること みたいなことを知っていて、そこにある喜びもしっているから 境界線

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