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暇になったら弾き方変えたり基礎鍛えるチャンスかも?

■テキトーベースみち(8)


余裕なく慌ただしいより案外、の~んびり楽しむ方が好き勝手に弾き方を変えられる、自由に長く楽しんだり育てられる、そんな気もするここ最近とレッスンの実感。

タッチ、ピッキング、フィンガリング、叩き上げてこそ完成するってのもそうなんだと思う一方、全ての人がそうあるべきだ、そうでなければならないと考えるのも話がちと乱暴。

毎日のちょっとした運動、筋トレ、その成長と実感を楽しむのと同じく、自分の弾き方について好きなように積み重ね、好きなように高めていくのも悪い話じゃありません。

大忙しに活躍してたはずが、

「バンドが解散した….」

「体を壊した…..」

「疫病が発生した….」

人生、何が起きるか分かったモンじゃない、だからこそ、そこにあまり引きずられ過ぎずに生きていくのも、一つの強さや道だと思います。


実際問題、あんまり忙しかったり、作業こなさなきゃいけないってなると、「弾き方を変えるんだ!」なんて言ってられなかったりします。

変化しようと決意したり、その為の行動や実験を起こしても、

「今それは求めてない!」

「前の方が良かった!」

「そんなのお前らしくない!」

なんて面と向かって言われてしまったら、なかなかそれを裏切れない、真っ向ぶつかれない、期待に応えたい、やっぱり戻そうとなるのが人情ってもの。

スーパー短期間で身に付けてしまう、鍛え上げてしまう、または上手く世渡りする、完璧に使い分けられるって事ならともかく、弾き方を変えようにも環境が許してくれないというのは、とても幸せであると同時に実は厄介な問題でもあります。


その点、自由に好きにやれる人は強い。

「誰に何と言われようと!」と言うかそもそも言われない、そんな大層な扱いじゃない、いくらでも趣味遊びに出来るし、遠慮なく楽しめる。

そういう人なほど今の弾き方に固執する事なく、バンバン変えられる可能性があります。

好き勝手できる、自由に遊べる、変化を楽しめる、良い意味で無責任になれる、縛られる必要が無いってなかなか強力。

積み重ねたものでも壊して進んじゃえる、新たなものを取り入れられる、自由奔放にやっていける、そう在れるのもそれはそれで素晴らしい。

安定しない、前と全然違う、コロコロ変わる、嫌がられがちなそういう変化を楽しめる、自分の好きにやっていける、恐れる必要が無いって、結構どころか凄く美味しいかも?

「そんな事じゃモノにならん!」ってのもそうなのかもしれないけど、そうやって皆が皆、大真面目にシリアスにやっていくのが正しいと言うのも、本当のところどうなんだろうって。


自分語りになりますが、やってたバンドが解散した際、

「これまでの弾き方を捨てる!」

真っ先に実行しました。


心底思ったこれ、

「このまま音が細いのは嫌だ!」

「腱鞘炎になる弾き方とはおさらばしたい!

「もっと音を良くしたい!」

「出したい音を出せるようになりたい!

「とにかく変わりたい!今の自分を壊したい!」

結果、全く違う弾き方とサウンドを得た確信があります。

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