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ベースソロの基本の基本について考える。

■テキトーベースみち(7)


正直、得意とは言えないベースソロ。

流麗華麗、自由自在、まるで歌うようになんていう、そんな風には弾けない側の人間です。

一方、全く弾けないか、何やってもソロらしくならないか、糸口さえ見つからないか、それは無いかなって。

音楽学校で初めてアドリブやらされた時とか、ほんと手も足も出ずボロクソになりましたが、さすがに今は色々身に付いてるなって実感します。



先日も、レッスンでベースソロについてのリクエストがあり、改めて色々考えました。

そこで思った問題、ソロらしくならない原因、難しさを生む要因を簡単に言うと、

・ソロの音色じゃない

・ソロの発音じゃない

・ソロの弾き方じゃない

これを大きな壁として感じます。

どんなにスケールを覚えても、フレーズをストックしても、指が動いても、ソロっぽくならない…..ソロに聴こえない…..

自分もその違和感、不安を散々味わってきただけに、その要因を分かりやすくしてみたらやはり、上記のその壁について考えたくなりました。


客観的になって強烈に感じるに、

・そもそもソロの音が出来ていない

・バッキング時とほとんど同じ音色、発音、タイミングで弾いてしまう

・ヘタしたらいつもよりもリズムもアタックもニュアンスも薄い音を出している

そんな致命的な問題があると袋小路に陥るなと。


何ともベースな実感、

・ハイポジションでアプローチしてるのに全然響かない….

・ソロを弾いてるはずがバッキングしてる感の方が強い….

・アンサンブルの物凄いスカスカ感に背中がゾワゾワする….

この悲しさったらありません。

そして、その違和感や不安、自信の無さ全開の音に困惑し、さらにドツボにハマっていくという、これもほんっっと、メッチャクチャ分かります。


だからこそ、超シンプルなフレーズでも、タッチ、ニュアンス、タイミングで全くの別物になる。

それこそがソロの第一歩になる、ベースソロの手応えになる、もっと向き合うべきポイントなんじゃないか、強く感じます。

スケールについてはそれこそ、ペンタトニックだけだってソロは弾けるワケですし、コードトーンを把握してるだけでも音が良ければ成立しちゃいます。

当たり前のようだからこそ意識したい。

・バッキングのそれそのまま弾いちゃう

・全てが弱々しく音が全く前に飛ばない

・抑揚も何もない音の羅列になってしまう

これは避けたいですよね。


ベースソロの現実として、バッキングには期待できない、そもそも音が薄いのが前提、孤独な闘いを強いられるという、条件的にかなり厳しい事が確定してる面もあります。

そこについて向き合うならば、

・音が薄いからこその音楽を生み出す

・ベースソロだからこその空間を作る

・自分の世界観と雰囲気で場を支配する

これも本当に大事だと痛感します。

誰もベースを弾かない、ルートの存在すら微妙。ハーモニーもあやふや。和音にも期待できない。基本的な刻みすら怪しい。グルーブも一気に弱くなる。

そんな中でベースを際立たせる、そういうアレンジの中で戦う、音楽的必然で納得させる、ま~、なかなか恐ろしい話ですこれ。

にもかかわらず、全然音が響かない、飛ばない、サウンドしない、主役になるべきベースが薄~いバッキングをしてるみたいな感じになっていては、空虚な時間が流れだけみたいな雰囲気になってしまうのも必然、そりゃしんどいなんてモンじゃありません。

ならばこそやはり、兎にも角にもまずはソロの発音、音色を作っていくべきではないか、手段として得るべきじゃないか、力として持つべきじゃないか、そう考えさせられる次第です。


エフェクターをかけるっていうのも良いけど、ベースソロの悩みの根本が、

【棒読み】

これだとしたら、そこを変えずに今後も行こうと言うのは、問題の先送りになってしまう可能性が高い。

スラップでド派手にバチバチとか、それも分かりやすくて良いんですが、それが全く合わない場面でのソロが求められた瞬間、自信なく棒読みになってしまうんじゃ、これもまた悲しい。

少ない手段、と言うか、基本的なカードだけで如何に音を彩るか、聴かせるか、惹きつけるか、まずはそこについて意識するだけでも、表現や雰囲気が一気に変わる可能性があると思います。


なかなか皮肉ですが、律儀なリズムトレーニング、生真面目にメトロノームとお付き合いをするほど、

「ワン!ツー!スリー!フォー!」

っていう感覚が染み込みすぎたり、そのお固さがソロに出てしまう、カチコチに縛られてしまう、そんな悲しい事が起きたりもします。

「いち!に!さん!し!」

とまでは言いませんが、それをキープしなければいけない、そこから離れるのが怖い、それを崩せない、表現が出来ないっていう、そんな恐ろしさを実感します。

これについては、グルーブってモンもそうかもしれないし、リズムキープだけ出来てればノリが良くなるか、盛り上がるか、楽しめるか幸せに出来るのかって、だいぶ話が違いますよね。


じゃあどうすればいいかって話ですが、多くの場合、「誰かをコピーする」ってアドバイスが出てくるんじゃないかと想像しますが、個人的にはそれ、結構怪しいところもある実感もあります。

何でかって言うと、

・いくら音源に合わせたっていざ本番では環境が全く違う

・完コピしても音源に合わせてるだけじゃ弾けてる気になるだけ

・勉強や義務のつもりでやっても全然響かない

こんな印象がどうにも強かったり。


まぁ、そりゃやり方が悪いだろ、取り組み方が良くないんだよってのもそうなんですが、自分だったらそこに、

【タッチ・ピッキング・フィンガリングの研究する】

これを加えたいところですし、その具体的な目的は何かを言うなら、

【自分の声色と発音を身に着ける】

と続けたくなったり、

【イメージを具現化する術を手に入れる】

ともなるし、

それを実現する為に研究したいのが、

【なまり】

これだなぁって強く思いもします。


前述した棒読み、お堅いメトロームの話じゃありませんが、

【抑揚も何もなくカチコチに一定に喋る】

これ、誰がどう聞いたって感動はしないですよね。

レッスンの実感、ベースソロに悩んでいるその苦悩の量に対し、乖離してる気がしたのは、

・ビブラートが全然できない

・チョーキングが全然できない

・ハンマリングやプリングが機能してない

・スライドやグリスも不自然でたどたどしい

・特定のポジションを行ったり来たりばかり

左手のぎこちなさ、バリエーションの無さが実態としてあったり、それが棒読みの大きな原因になっている、でもそこになかなか気付けない、厄介な難しさを感じます。


「なまり」と言うのもおかしな言い方かもしれませんが、ジャズなんかだと本当、律儀に跳ねすぎ、ぴょんぴょんした感じで弾いちゃうと、ま~、全くそれらしさが出なくて泣けてしまいます。

三連を弾くにも、

「タンカ!タンカ!タンカ!タンカ!」

これじゃキツイ。

だったら、

「タァカタゥカトゥカトァカ」

みたいになるか、ここじゃちょっと表記表現できないけど、頭のタやトを小さくして小文字のァとゥを大きくしてみるとか、その辺の発音入り乱れてなまらせ膨らませてみるか、色々考えられます。


コピーと一口にしても、

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