真面目すぎてスケール練習ばっかりやってるとかないですか?
■テキトーベースみち(5)
「よし!今日も練習だ!」
「ド~レ~ミ~ファ~→3時間経過」
「いゃあ!よく練習したぞ!」
すご~く効果あるんだけど、それに取り憑かれる、それがメイン、そればっかりだとロクな事にならない、なかなか厄介な実感があるスケール練習。
指板を把握する、コードートーンを理解する、音を繋げる、今でもやりますし、効果を感じますし、基礎としての手応えも確実に得られます。
一方、本当にそればっかりやってる、それやるのが目的になってる、それが主になってる、練習=スケール練習みたいになってしまうのは、結構~キツい。
その効果と言うよりもはや代償?
・棒読み
・羅列
・義務
そういう音を垂れ流す感じになっちゃうと、色々死んでいくのを痛感します。
必死こいてスケール練習をやった結果、
『スケール練習が上手くなる』
この悲しさったらありません。
加えて、メトロノームを鳴らして丁寧に丁寧にカチッ!と合わせるようになる、速度を高めるようになると、さらに効果倍増って感じ。
ソロ時、スケールを行ったり来たり、リズムにピタッと合わせてカッチリ、音をただ記号として羅列するっていうのは、本当に厳しいです。
なかなか難しいのは、理論への理解や指板の把握など、それらの効果が確実にある、凄く身になる、基礎としての積み重ねにもなるっていう、それを繰り返し言いたくなるところなのも間違いないって事。
「理論を知ってる!譜面も読める!でも指板を全然把握してない….」
ってんじゃ困りますし、
「めちゃくちゃ指は動く!でも何弾いたらいいか分かんない….皆目検討も付かない….」
これも辛いし、
「この難曲に挑みたい!でも全く歯が立たない….練習はしたくない….」
それで放置しちゃうってのも勿体ない。
そういった状況、打破の基礎としてスケールを把握、実践的に使えるようになる事には確かな価値があるし、大きな意味にも価値にも繋げられると思います。
「音楽は感性だ!理論なんか不要!本能だ!」
それで上手くいくならいいんだけど、ま~、よっぽど持って生まれて来ない限り、よっぽどの修羅を生きない限り、なかなかそう都合良くは行ってくれないかなと。
そうは言ってもやっぱり気を付けたいスケール練習。
ド~レ~ミ~って規則正しくしか弾けない、動かない、発展できなくなると、かなり苦しい。
レッスンをやっている実感、例えばCメジャースケールを弾くにしても、5フレットまでを行き来してるだけみたいなのは、相当によろしくない。
「さぁベースソロだ!」と張り切るのはいいけど、ごく限られたポジションしか使わない、そこを行ったり来たりしか出来ないなど、これも悲しい。
抑揚なく、表情なく、迫力も説得力もなく、練習した通りの音の羅列が出てきてしまうのはまさに、
『練習の為の練習』
それが炸裂した光景と言えます。
「全全半……全全全半……」
みたいな覚え方も限りなく疑問。
スケールによっていちいちそれを全部覚えるのか、把握するのか、理解したところで規則正しくそれを並べるだけなのか、物凄く微妙に思えてしまいます。
インターバルを覚えるのはいいけど、だからってそれを羅列すればいいかって、そりゃキツイですよね。
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