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ep28 海外生活を豊かにする二郎系ラーメン

28回目の投稿。14日連続となりました。1ヵ月の半分近くを投稿しながら過ごすことが出来ました。今後も毎日投稿出来るよう努めて参ります。

写真は昨年の春ごろに訪れた二郎の写真となります。まだ肌寒い時期でしたが20人近くが列をなしていました。私も列の一員となり、写真を撮ってから30分後に美味しい二郎を頂きました。良い思い出です。

今回はこの二郎にまつわる私の昔話をさせて頂きます。個人的には運命的なものを感じております。皆さんも御覧になって二郎と私の縁を感じて頂ければ幸いです。

<二郎とは?>

こちらは今では大分メジャーな食べ物として認知が進んでいると認識しております。人によってはラーメンの一つと言いますし、二郎は二郎という食べ物だと言う人もいます。私は後者です。

私が外国人に紹介するときは「Crazy Ramen」と言っています。具体的にどのような食べ物か箇条書きで説明いたします。

・豚骨醤油ベースの脂たっぷりの濃厚スープ

・うどんに近い太さの小麦麺を使用

・一人前が麺300グラムを超える

・厚さ1センチを超える極厚チャーシューが2枚

・片手一杯に掴まれてトッピングされるもやしとキャベツ

・スプーン大さじ1杯強のニンニク

・5回食べれば病みつきとなり中毒になる(美味しくて)

・日本全国に40店舗

・各店舗によって味が多少異なる

・インスパイア系と呼ばれる二郎系ラーメン店が無数に存在

こちらでイメージを掴むことが出来ましたでしょうか。詳細まで書くとそれだけで1万字を超えてしまうかもしれません。

<在学中に出会った二郎という食べ物>

私は大学時代に体育会の部活に所属しておりました。その頃は先輩からの可愛がりも当たり前のように存在していました。

私の代では可愛がりは入部してから1ヵ月程度の間行われました。具体的には、部活後に食事もトレーニングということで大食いが出来るお店に連れていかれました。その中のお店の一つが二郎でした。

その様にして半強制的に連れていかれると、大盛りのメニューを頼まなければなりません。上述の通り、二郎は普通サイズでも一般的ラーメンの3倍近い量です。その大盛りとなると単純に倍となり6人前近い量が提供されます。

ここでトラウマとなって以後食べれなくなる部員とハマって中毒になる部員になるかの選別が行われます。私の場合は後者でした。以後週に3回程度はコンスタントに通っていました。

先輩的には可愛がり的イベントでしたが、個人的には紹介して頂き誠にありがたかったです。

こうして二郎の虜となり中毒となった私はその後の大学生活を二郎と共に4年過ごしました。

<札幌に行っても二郎>

大学を卒業した後に就職すると、札幌への異動が出ました。その時に名残惜しかったことの一つは二郎が食えなくなることでした。当時は札幌に二郎が出店していなかったからです。

しかしながら、札幌には二郎にインスパイアされた二郎系ラーメンがあり、そこで自分の二郎欲をある程度満たすことが出来ました。

さらに住み始めてから3ヵ月位すると、なんと札幌に二郎の新店舗がオープンするというニュースが飛び込んできました。

こちらには歓喜しました。かなりの妄想ですが、私が来たことによって二郎が札幌に来たと錯覚してしまったほどです。

そしてその噂は現実となり、私が住み始めてから4カ月後には二郎が食べれる日が戻ってきました。場所もオフィスから歩いて10分圏内という最高の立地でした。そこから3年近くお世話になり私は札幌を後にしました。

<東南アジアに住んでも二郎>

札幌生活の後に東京での生活に戻りました。もちろん東京生活中は二郎に困りませんでした。引越し直後は週に5回足を運んでいました。

その後転職をして東南アジア新興国での海外生活が始まりました。

このときに名残惜しいものは二つありました。二郎はもちろんのことでもう一つはジャンプでした。私は子供の頃から毎週欠かさず読んでいたため、ジャンプの無い生活が想像できませんでした。

とはいえ新たに始める仕事を優先させて二郎とジャンプにお別れを告げて日本を後にしました。

名残惜しんでいたものの、二郎との再会は非常に早いものでした。当時首都には2店舗しかなかったラーメン屋の一つが二郎系ラーメンを提供していたのです。

さらに提供開始は私が引っ越してすぐの頃だったそうです。ここでも個人的に運命を感じてしまったことはいうまでもありません。

二郎との久々の再開は海外生活が始まって1ヵ月が経過した頃でした。二郎欲も溜まっていた矢先、メニュー欄に二郎の文字を見た瞬間の衝撃は今も忘れられません。

この時はさすがに海外のため本物の二郎とはいきませんでしたが、こうして3年ほど二郎系ラーメンと共に生活を送ることが出来ました。

<東南アジア2ヵ国目でも二郎>

その後2ヵ国目の東南アジアに引っ越しました。こちらは1ヵ国目よりは経済発展していたため、すでに二郎系ラーメンが存在していると考えておりました。

色々な日系の飲食店に足を運んで情報を仕入れたところ、やはり二郎系ラーメンは存在しておりました。さらに二郎で働いたことのある人が店主をしているという情報もありました。これには胸が躍りました。

しかしながら実際のところ、そのお店は既に閉じてしまっていました。私の住む地に二郎が来ると考えていたのですが、今回はそうではありませんでした。非常に残念でした。

ところが事実は好転しました。1ヵ月ほどして閉じたお店が移転して再度オープンしたという情報が入ったのです。後から聞いた話によると、家賃で揉めてしまって新しい店舗を探していたそうです。救われました。

また、結果的に私が引っ越した地で二郎の提供が開始される(実際は再開ですが)という現象が3度も起こったことになりました。ここでも運命を感じずにはいられませんでした。

ただ今回の場合、店舗の場所が家から1時間以上かかる遠方に位置していたため、数カ月に1度ほどしか足を運ぶことは出来ませんでした。それでもどうしても食べたい時に食べれたことは非常にありがたかったです。

こちらでは2年ほど過ごし、そして1か国目の国に戻って今に至ります。

<まとめ>

二郎を食べ始めてから15年以上が過ぎました。海外生活を5年以上しているものの、現在も二郎と共にある生活を送ることが出来ております。海外でも二郎のある生活のおかげで心が豊かになっている気がします。

二郎中毒者をジロリアンと揶揄することがあるのですが、ジロリアンの方も海外で生きていけることをこのnoteで理解頂けたのであれば幸いです。

今はコロナのため日本でも二郎に足を運びにくいとは思います。早くコロナウイルスの蔓延が終息し、美味しい二郎を欲しいままに食べれる日が来ることを期待しております。

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